「堀川 (京都府)」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[平安京]]造営以前には、古烏丸谷(現在の[[烏丸通]]付近)や古堀川谷(堀川通付近)に自然の河川が流れていたと推測されている。平安京造営にあたって、これらの川を改修して堀川小路に沿う運河としたのが堀川の起源である。なお、この堀川付近にもともとの賀茂川(鴨川)本流の流路あり、平安京の造営に当たって今の賀茂川(鴨川)の流路に人為的につけ替えたという説([[鴨川 (淀川水系)#鴨川つけかえ説|鴨川つけかえ説]])があり、かつて通説となっていたが、1990年代に地質学の方から疑義が提示され、現在否定され多くの歴史学者が「付替えはなかった」との説に従っている。堀川は都市河川として平安建都以来水運の用を担いそれは明治期まで続いていた
 
また、[[朱雀大路]]を挟んで対称の位置には西堀河(現在の[[天神川 (京都市)|紙屋川]])が作られた。平安時代には物資の運搬のほか、貴族の庭園に水を引くためにも用いられた。後には農業用水や[[友禅染]]などにも用いられるようになった。江戸時代の地図には四条堀川から西側に向けて分流の四条川が描かれているが平成の現在ではその姿を見ることは出来ない。