「中日ドラゴンズ」の版間の差分

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前年12月19日に今後は中日新聞が球団経営を行うと決定していたのを受け、1月14日に株式会社中部日本野球協会に商号を変更して、球団名も'''中日ドラゴンズ'''に戻した。1月30日には、名古屋鉄道が球団経営から撤退した。
 
監督は、天知俊一が3年ぶりに復帰した。天知監督は選手からの人望が篤く、監督を親分に見立て「天知一家」と俗称された。西沢道夫・[[杉山悟]]・杉下茂・[[石川克彦]]らが主力となり、活躍した。7月25日、大阪球場での対阪神戦は、観客が球場に乱入し、放棄試合が宣告された。8月31日、中日球場の巨人戦は[[日本放送協会|NHK]]がテレビで初の中継をした。10月19日に2位の巨人が敗れたことで初優勝達成。その日は東京遠征の移動日であり、監督・選手らは[[横浜駅]]到着後、電報で優勝を知ることとなった。この年の観客動員は109万7千人で、球団史上初めての100万人を突破している{{Refnest|group="注"|巨人に次いで2球団目<ref>{{Cite book |和書 |author = [[宇佐美徹也]] |title = 日本プロ野球記録大鑑 |year = 1993 |publisher = [[講談社]] |pages = {{要ページ番号|date=2015年10月}} |isbn = 978-4062061087 }}</ref>。}}。同年の勝率.683は2019年時点で球団最高記録である{{R|試合最高記録}}。[[1954年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]を相手に4勝3敗で初の日本一達成。しかし、この年のオフに天知は体調不良を理由に監督を退任<ref group="注">日本シリーズの優勝監督が同年オフに退任したのは、この年の天知と2014年の[[秋山幸二]]([[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]])の2人のみである。</ref>し、中日球団の副代表に就任した。なお、この年を最後に年間勝率1位の上で出場した日本シリーズには全て敗退しており、2021年現在存在する12球団で最も長く日本一から遠ざかっている<ref group="注">ただし、2007年[[クライマックスシリーズ]]勝者と制覇て年間勝率2位で日本一になっていため、日本一に最も長く遠ざかっているのは[[広島東洋カープ]]で、最後53年本一は1984年まで遡る。</ref>を要した
 
=== 野口監督→第2次天知監督時代 ===
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