「中日ドラゴンズ」の版間の差分

(→‎試合、勝敗、勝率に関する記録: 「リーグ優勝した上で、日本一になった」に最も遠のいている球団は、ドラゴンズではないことに気づいたので修正。)
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; [[2011年の中日ドラゴンズ|2011年]]
 
交流戦ではセ・リーグで唯一の勝ち越しチームとなり、リーグ首位にも立つなど好調であったが、高橋聡文、中田賢一、山本昌、トニ・ブランコ、谷繁元信、井端弘和ら主力選手の故障が相次いだ事に加え、統一球の影響などで前年MVPの和田一浩を中心に打撃陣が絶不調に陥り、7月に大きく失速。8月3日には首位ヤクルトに10ゲーム差が付き、8月10日には借金6で5位にまで転落した。しかし、リーグトップの投手陣の働きに加え、中継ぎから先発に転向した[[エンジェルベルト・ソト]]の活躍などで、巨人、阪神、広島との2位争いに踏み止まり、9月になると谷繁、ブランコ、井端の復帰や[[大島洋平]]、[[平田良介]]ら若手の成長もあり、徐々に首位ヤクルトとの差を縮めていく。その最中、任期満了による落合博満のシーズン限りでの監督退任と高木守道の二度目の監督就任が9月22日<ref>{{Cite web|date=2011-09-22|url=http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011092290151519.html|title=中日監督に高木守道氏 落合監督、今季限り|publisher=中日新聞|accessdate=2011-09-22|deadlinkdate=2017年9月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110925121521/http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011092290151519.html|archivedate=2011年9月25日}}</ref>、コーチ11人の退団が10月6日に発表された<ref>{{Cite news |title = 首位奪取のウラで…中日に異常事態 退団コーチは計11人に |newspaper = スポーツニッポン |date = 2011-10-06 | url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/07/kiji/K20111007001773410.html |accessdate = 2015-10-13 }}</ref>。前後して9月を15勝6敗3引分け、10月を11勝5敗2引分けと勝ち越し、10月6日に首位に浮上。10月18日の対横浜戦でブランコの同点本塁打で引き分けに持ち込み、142試合目にして球団史上初の2年連続セ・リーグ優勝を達成し、1982年以来29年ぶりに横浜スタジアムでの胴上げを実現した。チーム打率(.228)、得点数(419得点)は共にリーグワーストであり、両部門がワーストでのリーグ優勝はプロ野球史上初の事である。セットアッパーとして0.41という防御率を記録した浅尾拓也がセ・リーグMVPを獲得した。ヤクルトとの[[2011年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]ファイナルステージは4勝2敗で2年連続となる日本シリーズ出場を決めた。[[福岡ソフトバンクホークス]]との[[2011年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、第6戦までお互いの本拠地で敗戦する展開('''外弁慶シリーズ''')となったが、ダイエー時代に続いて名古屋で3戦全敗した事が祟ったのとキャッチャーの谷繁がヤクルトとのセ・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ第1戦の第1打席から43打席連続無安打と極度の不振で足を引っ張り、[[福岡ドーム|ヤフードーム]]での第7戦に敗れ3勝4敗。2010年もロッテに敗れているので、史上6チーム目<ref>{{Refnest|group="注"|1951年から1953年と1965年1966年のいずれも南海、1956年から1959年と1976年1977年のいずれも巨人、1967年から1969年と1971年1972年の阪急、1979年1980年の近鉄、1993年1994年の西武</ref>。}}の同一チームによる2年連続日本シリーズ敗退となった。オフに楽天を退団した山崎武司が10年ぶり、大リーグ・アトランタ・ブレーブスを退団した川上憲伸が4年ぶりに復帰。チェン・ウェインが大リーグ・[[ボルチモア・オリオールズ]]に移籍。
 
=== 第2次高木監督時代 ===