「アルタン・ハーン」の版間の差分

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{{Commonscat|Altan Khan}}
*祖父に劣らぬ智勇兼備の人物で、その才腕と器量でモンゴルを再統一した評価は高い。
*信心深い一面があり、チベット方面に進出した際、仏教に帰依している。のちに青海に[[迎華寺]]を建立し、[[ダライ・ラマ3世]]を迎えた。このため、モンゴル全土にチベット仏教が広まり、アルタンの孫は[[ダライ・ラマ4世]]となっている。
*[[1542年]]に[[山西省]]に侵攻した際、男女20万人を虐殺し、さらに200万の家畜を略奪し、8万軒を焼き払うという残酷さを見せている。[[1550年]]に北京に迫った際、明軍を北京に籠城させるまでに追いつめたこともある。
*武勇ばかりが目立つが、亡命漢人の官僚、[[白蓮教]]徒、さらに明から生活苦で逃亡してきた農民などを積極的に受け入れ、彼らの文化を受け入れてフフホト(内モンゴル自治区の首都)など多くの都市を建設するという優秀な内政手腕も持ち合わせていた。