「聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会」の版間の差分

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== 沿革 ==
[[1668年]][[6月8日]][[教皇]][[クレメンス9世 (ローマ教皇)|クレメンス9世]]によって認可された。当時は[[修道会]]として認可を受けると、修道者は皆社会から閉ざされた生活をしなければならず、そのために街や村で人々のために働くことはできなかった。聖ビンセンシオは、シスターたちが助けを求める貧しい人の所に自由に行く事が出来る新しい形の会として、教皇より[[使徒的生活の会]]としての認可を受けた。
 
後に聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会の修道女となり、カトリック教会の聖人に[[列聖]]された[[カトリーヌ・ラブレ]]は18歳のころ、不思議な夢を見る。夢の中に司祭が現れ、「あなたはいつか、私を見つけるだろう。神はあなたのために一つの計画を持っている」と告げた。後にラブレは所属するであろう聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会の創設者、[[ヴァンサン・ド・ポール]]であることを知る{{sfn|須永|2017|p=135}}。
 
[[1830年]]1月、愛徳姉妹会に入会、同年7月18日夜、修練女になったラブレは子供に起こされ聖堂に行くと、祭壇上に[[聖母マリア]]が出現され、自分を型どったメダイ(カトリック教会の信心具)を作るように命じられた{{sfn|須永|2017|p=136}}。翌[[1831年]]、修道女となり、修道生活を送りながら福祉活動を献身に取り組み、[[聖母の出現]]のことを決して語らず、[[1876年]]、帰天。[[1947年]]、教皇[[ピウス12世 (ローマ教皇)|ピウス12世]]によって列聖された。列聖調査の際、墓から掘り起こされた遺骸は腐敗を免れ生前の姿を保ち、現在は聖母出現に立ち会った聖堂に安置されている{{sfn|酒井|2018|p=11,22-23}}。
 
 
== 日本管区の活動 ==
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== 関連項目 ==
*[[聖家族の家]]
*[[不思議のメダイ]]
;同会出身者
*[[カトリーヌ・ラブレ]]
*[[ジュスティーヌ・ビスケイブリュ]]
 
 
==参考文献==
* [http://www12.plala.or.jp/dcjprov/ 聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会HP]
* [http://www.ssvp-jp.com/aitoku2001-03/index.html 同会別HP]
* {{Cite book|和書|author=須永和宏|authorlink=|translator=|title=いのちを紡ぐ 聖人たちのことば|date=2017-11-01|publisher=[[ドンボスコ社]]|isbn=978-4886266255}}
* {{Cite book|和書|author=酒井しょうこ|authorlink=|translator=|title=酒井しょうこと辿る 聖母マリアに出会う旅 フランス 3人の聖女を訪ねて|date=2018-09-22|publisher=[[亜紀書房]]|isbn=978-4750515656}}
 
==脚注==
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[[Category:兵庫県の宗教施設]]
[[Category:1633年設立]]
[[Category:聖カトリーヌ・ラブレ]]