「聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会」の版間の差分

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後に聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会の修道女となり、カトリック教会の聖人に[[列聖]]された[[カトリーヌ・ラブレ]]は18歳のころ、不思議な夢を見る。夢の中に司祭が現れ、「あなたはいつか、私を見つけるだろう。神はあなたのために一つの計画を持っている」と告げた。後にラブレは所属するであろう聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会の創設者、[[ヴァンサン・ド・ポール]]であることを知る{{sfn|須永|2017|p=135}}。
 
[[1830年]]1月、愛徳姉妹会に入会、同年7月18日夜、修練女になったラブレカトリーヌは子供に起こされ聖堂に行くと、祭壇上に[[聖母マリア]]が出現され、自分を型どったメダイ(カトリック教会の信心具)を作るように命じられた{{sfn|須永|2017|p=136}}。翌[[1831年]]、修道女となり、修道生活を送りながら福祉活動を献身に取り組み、[[聖母の出現]]のことを決して語らず、[[1876年]]、帰天。[[1947年]]、教皇[[ピウス12世 (ローマ教皇)|ピウス12世]]によって列聖された。列聖調査の際、墓から掘り起こされた遺骸は腐敗を免れ生前の姿を保ち、現在は聖母出現に立ち会った聖堂に安置されている{{sfn|酒井|2018|p=11,22-23}}。
 
この聖母の立像を鋳造した1,500個のメダイが聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会によって人々に配布された当時、手渡された人々はそのカトリーヌへの聖母の御出現その他の「メダイが鋳造された理由や由来」を何も知らされぬままであった。配布を受けた人々からは当時流行していた[[コレラ]]・[[狂犬病]]等の快癒が報告され、無神論者たちの改心も伴い「[[不思議のメダイ]]」としていつしか呼ばれ、その名が巷に流布することとなった。「不思議のメダイ」鋳造の経緯や、配布される理由などがカトリーヌの聴罪司祭アラデル司祭によって匿名で公表されたのはメダイ鋳造後、2年たってからであった<ref>聖母の出現 近代フォークカトリシズム考 関一敏 日本エディタースクール出版部 ISBN 4-88888-200-2 c3022 </ref>。
 
 
 
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* {{Cite book|和書|author=須永和宏|authorlink=|translator=|title=いのちを紡ぐ 聖人たちのことば|date=2017-11-01|publisher=[[ドンボスコ社]]|isbn=978-4886266255}}
* {{Cite book|和書|author=酒井しょうこ|authorlink=|translator=|title=酒井しょうこと辿る 聖母マリアに出会う旅 フランス 3人の聖女を訪ねて|date=2018-09-22|publisher=[[亜紀書房]]|isbn=978-4750515656}}
* 関一敏『聖母の出現 – 近代フォーク・カトリシズム考』日本エディタースクール出版部、1993年 ISBN 4-88888-200-2
 
==脚注==
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== 外部リンク ==
* [http://filles-de-la-charite.org/ 聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会 公式ホームページ]
 
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{{DEFAULTSORT:せいひんせんしお・ぱうろのせいとくしまいかい}}
[[Category:ヴァンサン・ド・ポール]]
[[Category:カトリック教会の修道会]]