「スコットランドによるアメリカ大陸の植民地化」の版間の差分

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== ダリエン計画(1695年) ==
[[{{仮リンク|ダリエン計画]]|en|Darien scheme}}は恐らくスコットランドによる植民地経営で最も良く知られており、かつ最悪の結果に終わったものである。1695年、スコットランド議会でアフリカ・インド貿易のスコットランド会社を設立する法律が成立した。これにはイングランド王を兼務するスコットランド王ウィリアム2世による国王裁可が与えられた。この法では会社に[[アフリカ]]と[[アジア]]での31年間貿易独占権を与え、船舶に武器と装備を施し、アメリカ、アジアおよびアフリカで住民がおらず所有権主張も行われていない地域であれば、植民地を建設する権限を与えていた。これらの権限は[[イギリス東インド会社]]に与えられたものと同等であり、イギリス東インド会社はスコットランドにライバル会社ができることに反対していた。
 
この会社の資本金は40万ポンド(スコットランドの流動資産の3分の1から4分の1に相当すると推計されている)であり、スコットランドのみで集められた。これはイングランド商人やイングランド政府が[[アムステルダム]]や[[ハンブルク]]で株が売られるのを妨げたからだった<ref>{{cite book| last =Herman| first=Arthur|title=The Scottish Enlightenment | publisher=Fourth Estate| date =2003|isbn=1841152765|page=32}}</ref>。この対抗策により、当初意図されたようにイングランドで株が売られることも妨害された、