「本居宣長」の版間の差分

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死に臨んでは遺言として、相続その他の一般的な内容の他、命日の定め方<ref group="注">天文学的な、0時(当時の表現で「九つ(ここのつ)」)を日付の境とする考え方はまだ一般的には普及しておらず、日の出を境とする意識が(当時のインテリである宣長にはともかく、残される他の者には)多かったということだろうが、そういったことまで詳細に述べている。『こよみと天文・今昔』 p. 93</ref>、供養、墓のデザインまでにも及ぶ詳細で大部の「遺言書」をのこした。これについては、やまとごころにおける死生観として以前に述べていることといささかズレがあるとして、「謎」であるとする評論もある。旧[[山室村]]の本居家の墓から本居宣長の霊魂を殿町の森に運び神仏の聖地が移転した。大正4年に学問の神様として本居神社が遷座した。[[平成時代]]([[1995年]])に社号を[[本居宣長ノ宮]]と改称した。
 
その墓は1959年(昭和34年)に松阪市内を見渡す[[妙楽寺 (松阪市)|妙楽寺]]の小高い山へ移された。生前の宣長が好んだ場所とされる。さらに1999年(平成11年)には遺言のデザインに沿った「本居宣長奥津墓(城)」が建造された。aiueo
 
== 人物 ==
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