「御廟野古墳」の版間の差分

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築造年代は7世紀末から8世紀。古墳の大きさは、上円下方墳と見做す場合、上円対辺長約46メートル、下方辺長約70メートル、高さ8メートルである。
 
八角墳は7世紀の中葉になると、大王墓のみが営むようになる。現在知られているかぎりでは、[[奈良県]][[桜井市]]の[[段ノ塚古墳]](現[[舒明天皇]]陵)、奈良県[[高市郡]][[明日香村]]の野口王墓(現天武・持統陵)、一般に[[文武天皇]]陵と考えられている明日香村の[[中尾山古墳]]、それに御廟野古墳などが八角形平面の墳丘を持っている。日本では初めて大王に固有の型式の陵墓が出現したといえる。これらのほかに、奈良県高市郡[[高取町]]の[[束明神古墳]]([[草壁皇子]]の真弓山稜か)、方形墳の上に八角形の墳丘を造っている可能性のある明日香村の[[岩屋山牽牛子塚古墳]]([[斉明天皇]]陵か)などが八角形墳の可能性を指摘されている。
 
== 祭祀 ==