「第十八富士山丸事件」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
14行目:
日本政府は解放要求をしたものの、日本国[[外務省]]は「[[国交]]がないから、民間ベースで話し合え」として国交がないことを理由に不作為に終始した。また北朝鮮の友好国等の第三国を仲介しての解放交渉も全く行われなかった。
第十八富士山丸乗組員の救援運動が起こり、当時の[[日本社会党]]が熱心に取り組むとともに、1987年には当時の[[土井たか子]]委員長が[[金日成]]主席との会談で「乗組員の釈放・帰還」を強く切り出し「政府間交渉に委ねる」との返答を得た。1988年の[[大韓航空機爆破事件]]による北朝鮮への制裁措置により、問題解決が宙に浮いたこともあったが<ref name=":0" />、[[冷戦]]が終結していた[[1990年]]8月に[[金丸信
野党外交を担ってきた当時の社会党は、北朝鮮に捕らわれている漁民の帰国のための交渉などに尽力し、再発防止のための漁業協定の締結に努めた。『北朝鮮抑留 - 第十八富士山丸事件の真相』によれば、2名は「日朝の友好を乱さぬように」とする政治的事由から彼の地における体験については公言せず沈黙を守るように宣誓させられたという。実際に2人が帰国後[[マスコミュニケーション|マスコミ]]に露出することは少なかった。
|