「内ヶ島氏」の版間の差分

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[[大名]]としての内ヶ島氏は滅亡したが、個々人については難を逃れた者もいた。氏理の弟である[[経聞坊]](きょうもんぼう)ともう一人の弟は仏門に入っていたために助かった。経聞坊は後に白川郷における天正地震の史料『[[経聞坊文書]]』を残した<ref>{{cite web |url=http://www.gifu-kenpaku.jp/wp-content/uploads/2011/12/bb9a71d2a9331eb480aa775a8652b791.pdf |title=経聞坊文書 |accessdate=2015年1月10日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150110073136/http://www.gifu-kenpaku.jp/wp-content/uploads/2011/12/bb9a71d2a9331eb480aa775a8652b791.pdf |archivedate=2015年1月10日 }}</ref>。
 
また、家臣で一族の山下時慶・[[山下氏勝]]の親子は金森氏に従う事を拒否して出奔していた事から難を逃れ、金森氏侵攻の折に独断で帰雲城を明け渡した罰で宴席への参加を禁じられていた家老の川尻氏信も生き残り、領主のいなくなった白川郷一帯の事後処理を任せられる事となった。
 
== 埋蔵金伝説 ==