「韓国併合ニ関スル条約」の版間の差分

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青鬼よし (会話) による ID:86394359 の版を取り消し独自研究でなくすべて「出典」のある「事実」です
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事実とは、その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述のことです(WP:RSを参照) 編集者による個人的な一次資料の解説は独自研究であり、Wikipediaでは除外の対象となります。(WP:ORを参照)
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=== 条約案の作成者 ===
併合後の1910年11月、朝鮮総督寺内正毅は、併合の経緯をまとめた「韓国併合始末」<ref>{{Cite web|url=https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A04010229300|title=韓国併合始末ノ件|accessdate=2021年8月30日|publisher=国立公文書館アジア歴史資料センター|author=朝鮮総督子爵 寺内正毅|date=1910年11月7日}}</ref>を桂太郎首相に提出した。それによると同年8月16日に寺内が李完用を韓国統監官邸に呼び出し併合交渉開始<ref>{{Cite web|url=https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A04010229300|title=韓国併合始末ノ件|accessdate=2021年8月30日|publisher=国立公文書館アジア歴史資料センター|author=朝鮮総督子爵 寺内正毅|date=1910年11月7日|quote=八月十六日を以て内閣総理大臣李完用を統監邸に招き……両国相合して一体と成り以て政治機関の統一を図るの外なき理由を説示し(6・7画像目)}}</ref>、二日後の18日には寺内が李に条約案と委任状案を提示した<ref name=":0">{{Cite web|url=https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A04010229300|title=韓国併合始末ノ件|accessdate=2021年8月30日|publisher=国立公文書館アジア歴史資料センター|author=朝鮮総督子爵 寺内正毅|date=1910年11月7日|quote=翌十八日之に対する裁可を得たるに依り其の趣を李完用に伝達し……且条約案を提示して之に詳細の説明を加へ尚ほ韓国皇帝は内閣総理大臣を条約締結の全権委員に任命せらるるを以て正式の順序と為すが故に左案の趣旨に依り勅命を発せらるべき必要あることを告げ置けり。
 朕東洋の平和を鞏固にせむが為日韓両国の親善なる関係に鑑み相合して一家となるは相互万世の幸福を図る所以なるを念ひ茲に韓国の統治を挙げて之を朕が最も信頼する大日本国皇帝陛下に譲与することに決したり依て必要なる条章を規定し将来に於ける我皇室の安寧並に生民の福利を保障せむが為め内閣総理大臣李完用をして大日本帝国統監寺内正毅と会同し商議協定せしむ(18・19画像目)}}</ref>。併合条約調印当日8月22日に実際に出された全権委任状と比較すると、ほぼ同一文面であることが分かる
 
=== 「韓国が日本に譲与」=「韓国からお願いした」ではない ===
譲渡・売買契約書は一般に「AがBに譲渡し、Bが譲り受ける」「AがBに売渡し、Bが買い受ける」という表現をとる。具体例を挙げると<blockquote>経済産業省サイト「中小M&Aガイドライン参考資料」<ref>{{Cite web|url=https://www.meti.go.jp/press/2019/03/20200331001/20200331001-3.pdf|title=中小M&Aガイドライン参考資料|accessdate=2021年8月30日|publisher=経済産業省}}</ref> <ref>{{Cite web|url=https://www.meti.go.jp/press/2019/03/20200331001/20200331001.html|title=「中小M&Aガイドライン」を策定しました|accessdate=2021年8月30日|publisher=経済産業省}}</ref> 45頁
 
(4)株式譲渡契約書サンプル
 
株式譲渡契約書
 
第2条  (本株式の譲渡) <u>甲は、乙に対し</u>、本契約の規定に従い、○○年○○月○○日又は甲及び乙が書面により別途合意する日(以下「クロージング日」という。)において、<u>本株式を譲り渡し、乙は甲から本株式を譲り受ける</u>。(下線は引用者による)</blockquote><blockquote>国税庁サイト「質疑応答事例」の「印紙税」項目中「土地売買契約書」の文例<ref>{{Cite web|title=土地売買契約書|国税庁|url=https://www.nta.go.jp/law/shitsugi/inshi/08/02.htm|website=www.nta.go.jp|accessdate=2021-08-30}}</ref>
 
土地売買契約書
 
第1条 <u>甲は</u>甲所有の後記土地を1平方メートル当たり50万円也にて<u>乙に売渡し、乙はこれを買受けた</u>。(下線は引用者による)</blockquote>
 
 
この場合、甲乙どちらが先に取引を持ち掛けたかは分からない。甲が「買ってくれ」「もらってくれ」と先に持ち掛けたのかもしれないし、乙が「売ってくれ」「ただでくれ」と先にお願いしたのかもしれない。それは契約書の文言では分からない。韓国併合条約も同様である。<blockquote>韓国併合条約(1910年)
 
第一条
 
<u>韓国皇帝陛下は</u>韓国全部に関する一切の統治権を完全且永久に<u>日本国皇帝陛下に譲与す</u>
 
第二条
 
<u>日本国皇帝陛下は</u>前条ニ揭げたる譲与を受諾し且全然韓国を日本帝国に併合することを<u>承諾す</u></blockquote>「韓国が日本に譲与し、日本が承諾する」これは上で述べた通り契約の一般的な書き方であって、「だから韓国から併合をお願いしたのだ」「こう書いてあるということは韓国から併合を言い出したのだ」とはなるわけではない。どちらから言い出したかはここからは読み取れないのである。
 
=== 条約文言の先例 ===
また韓国併合条約の表現は当時としても特別なもの・目新しいものではなかった。日清戦争の下関条約(1895年)では第2条「清国は左記の土地の主権並に該地方に在る城塁兵器製造所及官有物を永遠日本国に割与す」<ref>{{Cite web|title=下関条約 - Wikisource|url=https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84|website=ja.wikisource.org|accessdate=2021-08-30|language=ja}}</ref>とある。また日露戦争のポーツマス条約(1905年)では第5条「一切の権利、特権及譲與を日本帝国政府に移転譲渡す」「一切の公共営造物及財産を日本帝国政府に移転譲渡す」第9条「一切の公共営造物及財産を完全なる主権と共に永遠日本帝国政府に譲与す」<ref>{{Cite web|title=日露講和條約 - Wikisource|url=https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E8%AC%9B%E5%92%8C%E6%A2%9D%E7%B4%84|website=ja.wikisource.org|accessdate=2021-08-30|language=ja}}</ref>とある。韓国併合条約の文言「韓国が一切の統治権を完全且永久に譲与」とほぼ同じ表現であることが分かる。日本以外の例を見ても、英国がニュージーランドを獲得したワイタンギ条約(1840年)ではマオリ族が英女王に「absolutely and without reservation(引用者注:完全かつ無条件に)」<ref>{{Cite web|title=Read the Treaty|url=https://nzhistory.govt.nz/politics/treaty/read-the-treaty/english-text|website=nzhistory.govt.nz|accessdate=2021-08-30|language=en}}</ref>譲渡するとあり、これもやはり韓国併合条約と同様の文言である。
 
「下関条約にこう書いてあるから清から台湾をもらってくれとお願いしたのだ」「ポーツマス条約がこうだからロシアから旅順大連樺太をもらってくれとお願いしてきたのだ」「マオリ族からニュージーランドを献上したのだ」とはならない。むしろ嫌々であろう。それと同様に、「韓国併合条約にこう書いてあるから韓国からもらってくれとお願いしたのだ」とはならないのである。
 
=== 日本政府の併合方針閣議決定 ===
それどころかむしろ、併合前年1909年7月6日には日本政府(桂太郎首相)が「適当の時機に於て韓国の併合を断行すること」と閣議決定<ref>{{Cite web|url=https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A03023677700|title=韓国併合ニ関スル閣議決定書・其三(2画像目)|accessdate=2021年8月30日|publisher=国立公文書館アジア歴史資料センター}}</ref>しており、併合を望んでいたのは日本であった。
 
== 韓国皇帝から李完用への「全権委任状」 ==
 
=== 全権委任状の意味 ===
全権委任状とは「外交使節が条約を結ぶ交渉にあたる場合、その条約について交渉し、署名する権限をもつものであることを正式に証明する公文書。」<ref>{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E5%85%A8%E6%A8%A9%E5%A7%94%E4%BB%BB%E7%8A%B6-88163|title=精選版 日本国語大辞典「全権委任状」の解説|accessdate=2021年8月30日|publisher=コトバンク}}</ref>
 
つまり条約締結に際して自国代表に持たせる文書であり、「この者は確かに自国の代表であり。この者が条約にサインします」と示す身分証・資格証明書である。以下具体例を挙げる。<blockquote>日華平和条約(1952年)<ref>{{Cite web|title=日本国と中華民国との間の平和条約 - Wikisource|url=https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84|website=ja.wikisource.org|accessdate=2021-08-30|language=ja}}</ref>
 
日本国及び中華民国は、
 
その歴史的及び文化的のきずなと地理的の近さにかんがみ、善隣関係を相互に希望することを考慮し、その共通の福祉の増進並びに国際の平和及び安全の維持のための緊密な関係が重要であることを思い、両者の間の戦争状態の存在の結果として生じた諸問題の解決の必要を認め、平和条約を締結することに決定し、よつて、その全権委員として次のとおり任命した。
 
日本国政府 河田烈
 
中華民国大統領 葉公超
 
これらの全権委員は、互にその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次の諸条を協定した。
 
第一条 日本国と中華民国との間の戦争状態は、この条約が効力を生ずる日に終了する。
 
(以下省略)</blockquote><blockquote>日本国とエティオピアとの間の友好条約(1957年)<ref>{{Cite web|title=○日本国とエティオピアとの間の友好条約|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1958/s33-shiryou-003.htm|website=www.mofa.go.jp|accessdate=2021-08-30}}</ref>
 
日本国政府及びエティオピア皇帝ハイレ・セラシエ一世陛下の政府は、
 
幸に両国間に存在する友好関係を強化することを希望して、友好条約を締約することに決定し、そのため、次のとおり全権委員を任命した。
 
日本国政府
 
  エティオピア駐在日本国臨時代理公使  山津善衛
 
エティオピア皇帝ハイレ・セラシエ一世陛下の政府
 
  エティオピア副総理大臣外務大臣    アクリル・アブテ・ウォルド
 
これらの全権委員は、互にその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次の諸条を協定した。
 
第一条
 
日本国とエティオピアとの聞及び両国の国民の間には、永久の平和及び永続する友好関係が存在するものとする。
 
(以下省略)</blockquote>このように全権委任状とは、条約締結国の全権委員が互いに提示しあい、その者が確かに全権委員であり国家代表として条約署名権限をもつことを確認するための書類である。
 
=== 全権委任状で誤解しやすい点 ===
つまり全権委任状とは「相手国に自国の全てをゆだねます。相手国に自国の全てをお任せします。相手国に自国をお譲りします」という意味ではない。以下具体例を挙げる。
 
* (例1)日露戦争のポーツマス条約に際し、日本は外務大臣小村寿太郎と駐米公使高平小五郎の両名を全権委員に任命し、全権委任状を出した。これは「小村と高平が日本代表であり、条約に署名する資格がある」と証明するだけであり、「ロシアに全てをゆだねます、ロシアに全てお任せします、ロシアに日本国をお譲りします」という意味ではない。
* (例2)太平洋戦争後の戦艦ミズーリ上での降伏文書調印に際し、日本は外務大臣重光葵と参謀総長梅津美治郎の両名を全権委員に任命し全権委任状を出した。これは「重光と梅津は日本代表であり、降伏文書に署名する資格がある」と証明するだけであり、「日本から降伏をお願いします。連合国に日本国をお譲りします」という意味ではない。
 
=== 韓国併合条約の全権委任状 ===
 
韓国併合条約に際し韓国皇帝から李完用に出された委任状についても、上述の例と同様の単なる身分証・資格証であって、「日本国に韓国の全てをゆだねます、韓国の全てをお譲りします」という意味ではない。
 
=== 李完用に出された委任状の経緯 ===
上述のとおり、併合交渉中8月18日には寺内韓国統監が李完用に条約案と委任状案を提示した<ref name=":0" />。併合条約調印当日8月22日に実際に出された全権委任状と比較すると、ほぼ同一文面であることが分かる。
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!8月18日に寺内が示した全権委任状案