「高橋徹 (レーサー)」の版間の差分

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== 事故死 ==
全8戦で行われる全日本F2は前半を終えランキング5位。新人としては決して悪くない位置だったが、デビュー戦で2位を獲った事で周囲もファンも優勝を期待。高橋自身も「1位しか価値がない」と周囲に漏らしていたと言われる。また、富士での事故の直前には、成績が伸び悩んでいた。そんな状況の中で迎えた10月23日の富士GCシリーズ最終戦「富士マスターズ250キロレース」、高橋のマシンは決勝レースでトップを走る星野を追走していた。だが、2周目の最終コーナー立ち上がりでスピンを喫した。車体は木の葉のように舞い上がり、車体上面(運転席付近)から観客席フェンスに突き刺さるようにクラッシュ。マシンやその破片の直撃を受けた観客一人が即死、一人重傷、二人が軽傷を負うという大事故となった。高橋は富士スピードウェイの医務室に運ばれたが死亡が確認された。まだ23歳と17日だった(同年11月の録画放送の冒頭部分では高橋と死亡した観客に対しての追悼テロップが表示された)
(なお、同年11月の録画放送の冒頭部分では高橋と死亡した観客に対しての追悼テロップが表示された。)
 
高橋がトップ・カテゴリーで戦ったのは僅か8ヶ月だったが、この短い期間にレース関係者・ファンに強烈な印象を残した。1960〜1970年代に見られたドライバーと違い、高橋はどこにでもいる普通の若者然としており、それでいて一気にトップ・カテゴリーに上り詰めたことから、「新人類ドライバー」などと言われたこともある。同年齢のライバルだった亜久里は後年「徹が生きていたら、絶対にF1に乗ったはず」と、高橋の才能を高く評価している。