「シカンダラーバード」の版間の差分

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後のイギリス首相[[ウィンストン・チャーチル]]も、1880年代に[[中尉]]としてセカンダラバードに赴任し、「隠遁所」と名づけた平屋に住んでいた。彼とその同僚は、セカンダラバード駐屯地をもってニザーム藩王国の衛兵たらんと称しながら、自らを[[アジア]]の大悪党と任じていた。言い伝えによると、チャーチルの部隊が、かくも短期間の駐屯で配置転換を命ぜられたのは、セカンダラバード・クラブでのツケを払えなかったからだとも言われている。彼への請求書の一部は、現在もセカンダラバード・クラブの「公文書」として残っているそうである。
 
[[1897年]][[8月20日]]に、[[マラリア]]の媒介に関する[[ハマダラ蚊]]の[[メス]]の役割について一大発見を成し遂げ、それを含めた一連のマラリア研究の功績により[[ノーベル賞]]を受賞した[[ロナルド・ロス]]は、セカンダラバードでその研究を行っている。その後、彼が研究のために使った建物は飛行学校となり、後のインド首相で[[ハイデラバード空港]]の国際線空港名ともなっている[[ラジーヴ・ガンディー]]も、こで[[パイロット]]としての訓練を受けている。
 
==関連項目==