「浜田尚友」の版間の差分

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|国旗 = JPN
|職名 = [[衆議院議員]]
|選挙区 = [[鹿児島県第2区 (戦前中選挙区)]]
|当選回数 =
|就任日 = 1942年4月30日 - 1943年10月25日<br/>1944年12月22日 - 1945年3月1日<br/>1945年3月20日
|就任日 =
|退任日 = 1945年12月18日
}}
 
 
== 経歴 ==
[[鹿児島県]]の[[国分市|国分村]](現・[[霧島市]])出身{{R|座右}}{{R|政治家}}で[[霧島市立国分小学校|国分小学校]]卒業{{R|座右}}。[[1927年]](昭和2年)[[鹿児島県立加治木高等学校|鹿児島県立加治木中学校 (旧制)]]卒業{{R|座右}}。[[1932年]](昭和7年){{R|座右}}{{R|衆議院}}[[早稲田大学政治経済学部]]政治科卒業{{R|座右}}{{R|政治家}}{{R|衆議院}}。同年{{R|座右}}{{R|政治家}}[[東京日日新聞社]](現・[[毎日新聞社]])に入社し{{R|座右}}{{R|政治家}}{{R|衆議院}}、社会部・政治部記者{{R|座右}}{{R|政治家}}。[[厚生省|厚生大臣]][[秘書官]]([[1940年]](昭和15年))などを経て、[[1942年]](昭和17年)の[[第21回衆議院議員総選挙]](翼賛選挙)で[[翼賛政治体制協議会]]推薦候補として[[鹿児島県第2区 (戦前中選挙区)|鹿児島県第2区]]にて当選{{R|座右}}{{R|政治家}}{{R|衆議院}}。[[1943年]](昭和18年)現職議員中より第一号陸軍二等兵として応召、硫黄島戦闘参加{{R|座右}}。[[鹿児島2区選挙無効事件|選挙無効判決]]による[[1945年]](昭和20年)の再選挙でも当選。[[1946年]](昭和21年)[[公職追放]]、[[1951年]](昭和26年)解除{{R|座右}}。
 
戦後、[[国分市]]議会議員{{R|衆議院}}、同議長{{R|座右}}{{R|政治家}}{{R|衆議院}}、同社会教育委員長{{R|衆議院}}を歴任し、政治評論家としても活動{{R|政治家}}。