「精神貴族」の版間の差分

[[ドイツ]]の哲学者 [[カール・ヤスパース]]もまた、[[高等教育|大学教育]]を対象として、一般大衆と精神貴族を区別し、大学教育は精神貴族のために行うべきと論じ、実情は[[学生]]大衆といわれる学生が多く、大学の[[学校|学校化]]が起きていると指摘した<ref>{{Cite journal|和書|author=松田幸子 |title=一般大衆と精神貴族 : ヤスパース実存哲学における |url=http://id.nii.ac.jp/1026/00000359/ |journal=紀要 |issn=0911-4238 |publisher=上田女子短期大学 |year=1993 |month=mar |issue=16 |pages=A1-A8 |naid=110006406583}}</ref>。
 
日本でも[[1910年]]([[明治]]43年)、[[第一高等学校]]第二期寄宿寮創立20周年に際して、[[卒業|卒業生]]でもある[[教育学者]]の[[吉田熊次]]が自分たち高等学校生・卒業生を精神上の貴族に例え、そのエリート意識の重要性を説いたことにも見えるように、戦前の[[高等学校]]や[[帝国大学]]などには精神的貴族主義的な気分があり、[[学歴貴族]]ともいうべき観念を醸成した<ref>[[竹内洋]]著『学歴貴族の栄光と挫折』(中央公論社、1999年)42頁参照。</ref>。また、[[戦後民主主義]]について多くの論考を遺した[[政治学者]]で[[思想史家]]の[[丸山眞男]]の主張にも、日本の民主主義を戦前の「重臣イデオロギー」への[[アンチテーゼ]]として捉えつつ、その精神的貴族主義を引き継ぐ視点が見られる。丸山は、著書『日本の思想』の中で、現代の知的世界で切実に不足し、最も要求されることとして、[[ラディカル]]な精神的貴族主義が民主主義と内面で結びついていくことだと述べ、民主主義における精神的貴族主義的要素の必要性に言及している<ref>[[三谷太一郎]]著『学問は現実にいかに関わるか』(東京大学出版会、2013年)53頁~81頁、丸山眞男著『日本の思想』([[岩波書店]]、1961年)179頁参照。</ref>。戦後、[[学習院|学習院長]]となった元[[貴族院 (日本)#勅選議員|貴族院勅選議員]]・元[[文部科学大臣|文部大臣]][[安倍能成]]もまた[[学習院大学]]の学生に対し、「精神的貴族であれ」と諭している他<ref>『「{{PDFlink|[http://www.gakushuin.ac.jp/ad/kikaku/koho/pdf/70.pdf 学習院広報第70号]}}」』(学習院大学、2003年)参照。</ref>、近年、[[日本生命保険]]相談役の[[宇野郁夫]]も社会[[リーダー]]の資質として精神的貴族であることを挙げている。このように、精神貴族という概念は現代日本の[[教育者]]や[[企業]][[経営者]]の中で若い世代へのアドバイスに、比喩としてしばしば用いられる<ref>「社会のリーダーたる者は、“精神的貴族”たれ! -日本生命保険相談役 宇野郁夫氏 もっと元気に、豊かに生きる知恵【1】働く喜び」『PRESIDENT 2010年8月30日号 』([[プレジデント社]]、2010年)参照。</ref>。また、[[弁護士]]で[[伊藤塾]]塾長の[[伊藤真 (弁護士)|伊藤真]]は、[[東京弁護士会]]の機関紙『LIBRA』の2020年3月号に寄稿した中で、自身の[[司法修習|司法修習生]]時代に刑事裁判の[[教員|教官]]から「[[裁判官]]は精神貴族だ」との講義がありとても惹かれたが「裁判官が精神貴族ではなく官僚になってしまっている姿をいくつも見てきた。」と回顧している<ref>括弧内、伊藤真著「{{PDFlink|[https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2020_03/p52.pdf 法曹一元に向けて]}}」東京弁護士会編『LIBRA』(2020年3月号)52頁より引用。</ref>。
 
また、[[中華人民共和国|中国]]でも[[2012年]]、『[[人民日報]]』の[[ニュース]]において、[[インターネット]]上で「貴族」という表現を用いて、[[マナー]]の向上を呼び掛ける議論があり、インターネットを中心に熱心な議論を呼んだことが報じられた<ref>「「[http://j.people.com.cn/94475/8023831.html 中国式精神貴族」めぐりネット上で激しい議論]」『[[人民日報]]』2012年10月14日配信。</ref>。