「精神貴族」の版間の差分

 
== 民主主義社会における精神的貴族主義 ==
しかし、今日語られる精神貴族あるいは精神的貴族とは、新興の[[インテリ|知識階級]]を指すものではなく、[[民主主義]][[社会]]において、[[ノブレス・オブリージュ]]を尊ぶ、より[[道徳]]的な[[人物]]像を指す概念である。[[スペイン]]の[[哲学者]] [[ホセ・オルテガ・イ・ガセット]]が[[1929年]]に著した『[[大衆の反逆]]』の中で、[[大衆]]と[[権力]]との関わりを論じ、大衆とは、自らを特別な理由によって良いとも悪いとも[[評価]]せず、自らが他人と同様であることに苦痛を覚えず、自らと他人が同一であることをかえって良しとする人々全部を指すものだと[[定義]]。その中で「高貴な人」について選ばれた人とは、自らより優れた[[存在]]を[[規範]]とし、自ら訴えることが必要であると心底から思い、その[[規範]]のために奉仕する人だと規定した。さらにオルテガは、高貴さは[[権利]]ではなく、自らの要求と[[義務]]によって定義され、高貴な[[身分]]は義務を伴うものだとし、民主主義社会においても貴族主義的な要素も必要であるとの見解を示している<ref>[[寺田和夫]]訳『大衆の反逆』([[中央公論社]]、2002年)参照。</ref>。
[[ドイツ]]の哲学者 [[カール・ヤスパース]]もまた、[[高等教育|大学教育]]を対象として、一般大衆と精神貴族を区別し、大学教育は精神貴族のために行うべきと論じ、実情は[[学生]]大衆といわれる学生が多く、大学の[[学校|学校化]]が起きていると指摘した<ref>{{Cite journal|和書|author=松田幸子 |title=一般大衆と精神貴族 : ヤスパース実存哲学における |url=http://id.nii.ac.jp/1026/00000359/ |journal=紀要 |issn=0911-4238 |publisher=上田女子短期大学 |year=1993 |month=mar |issue=16 |pages=A1-A8 |naid=110006406583}}</ref>。