「小幡酉吉」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
加筆
9行目:
1925年(大正14年)に[[特命全権大使]]に任じられ、1930年(昭和5年)10月まで[[トルコ]]へ駐在。この間の1929年(昭和4年)10月に中国駐在大使へ指名されるが、中国側に[[アグレマン]]を拒否された<ref name="ndl"/>。{{要出典範囲|1929年11月に中国駐在公使[[佐分利貞男]]が急死した際、[[幣原喜重郎]]により後任に指名されるが、中国外交部長[[王正廷]]によって拒否され|date=2012年8月}}、中国公使の後任には[[重光葵]]が就任している。1930年10月に[[ドイツ]]駐在大使となり、同年11月には特命全権公使を兼任して[[ラトビア]]駐在も兼ねる<ref name="syokureki" />。[[1933年]](昭和8年)に退任、同年5月に依願退官した。
 
1934年(昭和9年)7月3日<ref>『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、43頁。</ref>から1940年(昭和15年)4月24日<ref>『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。</ref>までは[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員、その後は[[枢密院 (日本)|枢密顧問官]]となり、制度が廃止される1947年(昭和22年)5月まで務めた<ref name="ndl"/>。同年8月9日に死去。
 
== 栄典 ==
53行目:
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
*『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
 
 
{{在ドイツ日本大使|1930年-1933年}}