「目黒のさんま」の版間の差分

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[[林家彦六]](稲荷町)は殿様を徳川将軍家とした。殿さまが後で食べるサンマを江戸の日本橋で水揚げされたものとせず、[[徳川御三家]]の一つである[[水戸]]で水揚げされたものとする大きな話に仕立てている。
 
== 最初のサンマはどこで入手したか ==
殿さまが御殿で後に食したサンマは、上記のように日本橋で買ったものとして暗に高級を示唆する<ref>彦六のみ描写が異なる</ref>が、最初に目黒(の茶屋)において食べたサンマはどこで手に入れたものか。噺の中にそれを特定する根拠は何もないが、愛好者の間では以下の諸説が語られている。
*[[芝浜]]の魚市場(ざこば)
[[:芝浜]]の魚市場(ざこば)は現在の港区にあった。そこでサンマを購入し徒歩で茶屋まで運ばれたという説である。
*別の魚市場(ざこば)
:噺家の[[古今亭志ん好]](柳家三寿、柳家金語、三遊亭金魚、[[1901年|1901]] - [[1994年]])の説<ref>[[山下勝利]]『芸バカ列伝』</ref>によれば、江戸時代には目黒は芋の産地で[[行商]]が盛んに行われていたが、「目黒のいも」の大需要地が、東海道[[品川宿]]と、大きな魚市場が当時存在していた芝であった。目黒を朝早く出て両地にて芋を売り、その代金で「芝のサンマ」を買って、昼過ぎに歩いて目黒に帰るのが行商人のパターンの一つだったという。
 
*別の魚市場(ざこば)
:目黒は現在の[[天王洲]]あたりとなる目黒川河口の雑魚場から揚がる新鮮な近海魚が入手可能で、新鮮なサンマが手に入り易い場所だったとする説がある。雑魚場は、目黒川河口に確認できず、芝浜の雑魚場と同じ可能性もあり、位置が明確でなく真偽は不明である。海と無縁な場で食した魚が美味かったとする噺の趣旨とも異なる。
*[[目黒川]]
:これは、最初に将軍の口に入ったのが「新鮮でないサンマ」か「新鮮なサンマ」かという違いでもある。ちなみに[[築地]]にはこのころ[[築地市場|魚市場]]は存在していない。
:目黒川に遡上したサンマを農民が捕獲したものとも言われる。現在でも目黒川河口は[[ボラ]]・[[スズキ (魚)|スズキ]]・[[ハゼ]]などの食用魚が生息する。1980年代前半に東京湾で大量にサンマが発生して[[江戸川]]などの河川を遡上したこともあった。
 
=== 芝浜 ===
[[芝浜]]の魚市場(ざこば)は現在の港区にあった。そこでサンマを購入し徒歩で茶屋まで運ばれたという説である。
 
噺家の[[古今亭志ん好]](柳家三寿、柳家金語、三遊亭金魚、[[1901年|1901]] - [[1994年]])の説<ref>[[山下勝利]]『芸バカ列伝』</ref>によれば、江戸時代には目黒は芋の産地で[[行商]]が盛んに行われていたが、「目黒のいも」の大需要地が、東海道[[品川宿]]と、大きな魚市場が当時存在していた芝であった。目黒を朝早く出て両地にて芋を売り、その代金で「芝のサンマ」を買って、昼過ぎに歩いて目黒に帰るのが行商人のパターンの一つだったという。
 
=== 別の雑魚場 ===
目黒は現在の[[天王洲]]あたりとなる目黒川河口の雑魚場から揚がる新鮮な近海魚が入手可能で、新鮮なサンマが手に入り易い場所だったとする説がある。雑魚場は、目黒川河口に確認できず、芝浜の雑魚場と同じ可能性もあり、位置が明確でなく真偽は不明である。海と無縁な場で食した魚が美味かったとする噺の趣旨とも異なる。
 
=== 目黒川 ===
目黒川に遡上したサンマを農民が捕獲したものとも言われる。現在でも目黒川河口は[[ボラ]]・[[スズキ (魚)|スズキ]]・[[ハゼ]]などの食用魚が生息する。1980年代前半に東京湾で大量にサンマが発生して[[江戸川]]などの河川を遡上したこともあった。
 
=== *日本橋の魚河岸 ===
:輸送が不便だった当時は、現場ですぐ淡塩(うすじお)をあてた。九十九里浜で捕れたサンマは速度の遅い和船で1昼夜かけて日本橋の魚河岸に運んだが、魚味が定まっており手を加えずに食せた<ref>本山荻舟『飲食事典』1958年、平凡社</ref>。目黒近辺は[[サトイモ]]の産地で、サトイモと塩漬けサンマを日本橋で[[物々交換]]していた、とする説もある。
 
== 「目黒のさんま」にちなんだ祭り ==
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