「揚武 (大韓帝国軍艦)」の版間の差分

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=== 大韓帝国軍艦 ===
1903年(明治36年)4月1日、本船は軍艦としての改装工事を受けて大韓帝国に売却され、高宗により「'''揚武'''」と改名された<ref name="종, 최초군함 양무호 명명·신순성 함장 임명">종, 최초군함 양무호 명명·신순성 함장 임명</ref><ref name="極秘海戦史7_12_658" />。初代艦長は第一次官費留学生で日本の[[東京商船学校]]を卒業した[[{{仮リンク|愼順晟]]|ko|신순성}}
 
大韓帝国はこれ以前の1893年に近代海軍の創設を試みて海軍士官学校を開校するなどしていたが、[[日清戦争]]中の1895年に日本によって中止を強いられていた<ref>[[#kang|Kang (2008)]] , pp. 74-75.</ref>。そのため、本船が[[大韓帝国軍]]にとって最初の近代軍艦となった<ref name="Kang76" />。なお、日本の新聞記者の塩崎誓月によれば、「揚武」導入の目的は、1903年に予定された[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]即位40周年記念式典において各国軍艦との間で[[礼砲]]を交わすためであったという<ref>{{Cite book |和書 |author=塩崎誓月 |title=最新の韓半島―附 満洲雑記 |publisher=青木嵩山堂 |date=1906 |page=105-106 }}</ref>。
==艦長==
;大韓帝国軍
*{{仮リンク|愼順晟|ko|신순성}}(初代艦長)<ref name="종, 최초군함 양무호 명명·신순성 함장 임명" />
:1903年4月1日 - (後、光済号艦長)