「達磨寺 (高崎市)」の版間の差分

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[[明治14年]][[6月14日]]の火災によって寺院と共に古文書の大半が焼失してしまい、創建などの詳細については不詳となってしまった。{{Harv|田島武夫|1973}}によれば、(戦時に供出されてしまった)煩鐘の鐘銘に「正徳2年壬竜猛夏仏生日洞山卅六世少林二世天湫出撰」と記載があったと指摘し、正徳2年には成立していたと考えてよいとしている。『[[上野国史]]』では[[享保7年]]に[[前橋城]]・酒井雅楽頭忠知の懇請をいれて開山水府公護持の霊符を謹請し鎮護国家・武運長久の祈願所としたとある{{Sfn|田島武夫|1973}}。
また一説には古くからこの地に観音堂があり、[[延宝]]年間([[1673年]]~[[1681年]])この地を訪れた一了が[[達磨]]禅師の像を彫って安置したと言う。といった具合に諸説様々である。
 
当初は[[曹洞宗]]であったが、明治になって黄檗宗に改まった。
 
九代目の東嶽禅師が、[[天明の大飢饉]](1783年~1787年)により窮乏した村人を救うため、一筆だるまのお札をもとに張り子だるまの作り方を教えたのがだるま市の始まりとされる<ref>『仏教行事歳時記1月初詣』だるま市 37頁 坂本要 [[第一法規出版]]株式会社 ISBN 4-474-10151-0</ref>。
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==文化財==
*洗心亭(県指定史跡)日本建築の紹介者ブルーノ・タウト夫妻が昭和8年から滞在し著作に専念した場所である。
*達磨大師立像(市指定文化財)