「立川談志」の版間の差分

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[[古典落語]]に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けた。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価されたが、その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。落語のみならず、[[講談]]、[[漫談]]をも得意とするなど、芸域の広さで知られた。初高座は[[新宿末廣亭]]における『[[浮世根問]]』。
 
自ら[[落語立川流]]を主宰し、「家元」を名乗る。[[出囃子 (落語)|出囃子]]は「あの町この町」「[[トクサ|{{ruby|木賊|とくさ}}]]{{ruby|刈|がり}}」。[[三遊亭圓楽 (5代目)|5代目三遊亭圓楽]]、[[古今亭志ん朝|3代目古今亭志ん朝]]、[[春風亭柳朝 (5代目)|5代目春風亭柳朝]](柳朝没後は[[橘家圓蔵 (8代目)|8代目橘家圓蔵]])と共に「[[江戸落語若手四天王]]」と呼ばれた。
 
[[参議院|参議院議員]](1期)、[[沖縄振興局|沖縄開発庁]][[政務次官]]([[三木内閣]]において36日間)、[[サイバー大学]][[客員教授]]などを歴任した。
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「東京は東京を愛するものにまかせろ」、「相談にのるぜ、力になるぜ」、「そしてあなたもつづけ」のキャッチフレーズを掲げて挑んだ<ref>新聞広告『朝日新聞』昭和44年(1969年)12月20日朝刊、12版、15面</ref>ものの落選。定数3のところ、19,548票で立候補者9人中6位であった。
 
同年、[[ニッポン放送]]にて、[[月の家圓鏡]](後の[[橘家圓蔵 (8代目)|8代目橘家圓蔵]])と木魚を叩きながらナンセンスなやりとりをするラジオ番組『[[談志・円鏡 歌謡合戦]]』がスタート。人気番組となり、[[1973年]]まで放送された<ref>{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/geino/news/111211/gnj1112110505015-n1.htm |title=談志さん、未公開音源蔵出しで“復活” |date=2011-12-11 |
publisher=産経ニュース |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120117045529/http://www.sanspo.com:80/geino/news/111211/gnj1112110505015-n1.htm |archivedate=2012-01-17 |accessdate=2021-04-07}}</ref>。こちに、舞台やテレビ番組は談志のお気に入りであり、後に独演会などで、何度も「番組の再現」しを行っている
 
1971年、[[第9回参議院議員通常選挙]]に[[全国区制|全国区]]から無所属で出馬、初当選。当時の全国区で50人中50位の最下位当選だったが<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=-6CcDRkwjpA&t=193s 「タレント候補の泣き笑い -参院選-」No.911_2] 中日映画社</ref>、その際のインタビューで「[[寄席]]でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ」という言葉を残す。直後に[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]に入党した(本人によれば、談志の自民党入りを要請するために訪れた[[佐藤栄作]]が座布団から降りて小さんに頭を下げたため、小さんが談志に自民党入りを促したという)。国会質疑では[[NHK受信料|NHK受信料問題]]などを取り上げた。
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参議院議員2期目を目指し、全国区から東京地方区への鞍替え出馬を予定していたが、直前で出馬を取りやめ、議員活動は参議院議員1期6年だけで終わった。本人曰く「政治家としての経歴がマイナスになるのは俺ぐらいだろう」と振り返っていた。
 
政治思想的には保守寄りであった。在任中は[[日本共産党]]議員への野次に力を入れていたことにより、共産党支持者の[[林家彦六|8代目林家正蔵(後の林家彦六)]](ただし、共産党のイデオロギーに共感したわけではなく、本人は[[判官贔屓]]としている)と、野次があるたびに喧嘩をしていた模様である(ただし、彦六は談志の選挙を手伝っていた。談志も、国会の決算委員会で[[日本国有鉄道|国]]問題の際に「通勤定期を通勤のみに使い、外出など私用な目的には定期を使わずに運賃を払っている人物」の例として彦六を取り上げており、議事録にも残っている<ref>昭和51年10月28日、参議院運輸委員会会議録7号29頁</ref>)。政界を退いた後も自民党を中心とする保守系政治家との親交を深め、保守系議員の選挙応援などにもしばしば動いた。
 
その反面、元社会党衆議院・参議院議員[[上田哲]]の選挙応援に動いたこともある。談志によると「議会には反対派も必要だ」とのことだが、政治レベル以外での個人的な交友関係による支援と思われ、上田も立川流の高座に上がったこともあるほか、医師・作家の[[なだいなだ]]の提唱した[[老人党]]に賛同、談志・[[西丸震哉]]と「老人党東京」(3人の共同代表)を旗揚げした。
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=== 落語立川流創設 ===
[[ファイル:家紋・丸に左三階松-Maruni-hidari-sankaimatsu.gif|代替文=|サムネイル|"丸に左三蓋松"は、立川流の[[定紋]]である。]]
1978年、[[三遊亭圓生 (6代目)|6代目三遊亭圓生]]ら[[三遊派]]が落語協会脱退。[[落語協会分裂騒動]]となが発生する。この脱退については諸説あり、落語史としても今なお不透明な部分が多い。談志と5代目圓楽を黒幕とする説が多数説(5代目圓楽は著書で、新協会設立の話を圓生に持ちかけたのは談志であると述べている。志ん朝の香盤を下げるために仕組んだとする見方もある)だが、反響の大きさに慌てる談志の姿が目撃されてもいる。また、参加しないと思われていた志ん朝が参加してしまったため、慌てて参加を取りやめたとの説もある。[[川柳川柳]]の著書によると、談志は脱退した三遊派で構成される「三遊協会」の次期会長は自分だと思い込んでおり、圓生に確認したところ、「次は志ん朝だ」と答えられたため、思惑が外れて計画から手を退いたという。[[金原亭伯楽]]の著書にも同趣旨が記述されている。
 
1983年、[[落語協会]]真打昇進試験制度運用をめぐり、当時落語協会会長であった師匠・小さんと対立。同年、落語協会を脱会し、[[落語立川流]]を創設して家元となる。
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同年[[4月13日]]には8か月ぶりに高座に復帰し『[[首提灯]]』を披露する。
 
同年11月22日に大阪の[[天満天神繁昌亭]]の[[桂文枝 (6代目)|桂文枝(6代目)]][[桂米團治 (5代目)|桂米團治(5代目)]]二人会の鼎談にゲスト出演。前座の[[桂米市]]に感化され演りたくなったと小咄を披露する。これが最初で最期の天満天神繁昌亭の出演となる。この舞台の映像は天満天神繁昌亭([[上方落語協会]])のアーカイブに保存されている。
 
10月30日・11月6日放送のTOKYO MXテレビ『[[西部邁ゼミナール]]』「この人を見よ―立川談志」にゲスト出演。『西部邁ゼミナール』の前身番組は『[[談志・陳平の言いたい放だい]]』『続・言いたい放だい』であり、[[西部邁]]は談志から2008年に番組のメインを引き継いでいる
 
11月に声門癌再発を確認。この時は声帯摘出手術を本人が拒否した。
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没後10年となる2021年は公演などは行われなかったが、追悼・回顧企画がテレビ・ラジオで多数放送された。
 
2021年11月3日の[[NHKラジオ第一|NHK ラジオ第一]][[らじるラボ]]では、番組出演者の[[立川談慶]]と[[吾妻謙 (アナウンサー)|吾妻謙]]により8時05分から11時50分まで(途中ニュース等の中断あり)「祝日も!らじるラボ~よってたかって立川談志~」を放送。過去のNHKテレビ・ラジオの談志の音源多数を談慶の解説つきで放送。
ラジオではNHK「[[真打ち競演]]」やTBS「[[ラジオ寄席]]」で追悼番組を放送。
 
命日である11月21日は、[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[ザ・ノンフィクション]]で長男が撮影した晩年の映像をまとめた切なくていじらしくてメチャクチャなパパ~家族が映した最期の立川談志~を放送<ref>{{Cite web|url=https://www.fujitv.co.jp/thenonfx/_basic/backnumber/index-118.html|title=切なくていじらしくてメチャクチャなパパ~家族が映した最期の立川談志~|accessdate=2021-11-22|publisher=フジテレビ|website=ザ・ノンフィクション}}</ref>、[[TBSラジオ]][[爆笑問題の日曜サンデー]]には長女の[[松岡ゆみこ]]がゲストとして登場<ref>{{Cite web|url=https://www.tbsradio.jp/articles/47327/|title=松岡ゆみこ「よくぞこの時間に呼んでくれた!」|accessdate=2021-11-22|publisher=TBSラジオ|date=2021-11-21}}</ref>、[[TOKYO-MX|TOKYO MX]]では『[[談志・陳平の言いたい放だい|~立川談志没後10年~ 復活!言いたい放だい2021]]』が、[[野末陳平]]・[[立川志らく]]・[[神田伯山 (6代目)|神田伯山]]の出演で放送された。また、『[[笑点]]』では[[大喜利 (笑点)|大喜利]]1問目のお題に談志に関連した内容が出題されている<ref>{{Cite web|url=https://www.ntv.co.jp/sho-ten/onair/2786.html|title=放送内容 第2786回|accessdate=2021-11-24|publisher=日本テレビ}}</ref>
2021年11月3日の[[NHKラジオ第一|NHK ラジオ第一]]「[[らじるラボ]]」では、番組出演者の[[立川談慶]]と[[吾妻謙 (アナウンサー)|吾妻謙]]により8時05分から11時50分まで(途中ニュース等の中断あり)「祝日も!らじるラボ~よってたかって立川談志~」を放送。過去のNHKテレビ・ラジオの談志の音源多数を談慶の解説つきで放送。
 
命日である11月21日は、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]「[[ザ・ノンフィクション]]」で長男が撮影した晩年の映像をまとめた『切なくていじらしくてメチャクチャなパパ~家族が映した最期の立川談志~』を放送<ref>{{Cite web|url=https://www.fujitv.co.jp/thenonfx/_basic/backnumber/index-118.html|title=切なくていじらしくてメチャクチャなパパ~家族が映した最期の立川談志~|accessdate=2021-11-22|publisher=フジテレビ|website=ザ・ノンフィクション}}</ref>、[[TBSラジオ]]「[[爆笑問題の日曜サンデー]]」には長女の[[松岡ゆみこ]]がゲストとして登場<ref>{{Cite web|url=https://www.tbsradio.jp/articles/47327/|title=松岡ゆみこ「よくぞこの時間に呼んでくれた!」|accessdate=2021-11-22|publisher=TBSラジオ|date=2021-11-21}}</ref>、[[TOKYO-MX|TOKYO MX]]では『[[談志・陳平の言いたい放だい|~立川談志没後10年~ 復活!言いたい放だい2021]]』が、[[野末陳平]]・[[立川志らく]]・[[神田伯山 (6代目)|神田伯山]]の出演で放送された。
 
== 人物 ==
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=== 逸話 ===
* [[バスケットボール]]リーグ[[NBA]]のファンとしても知られ、落語のネタにできるほどの知識を持っていた。特に[[サクラメント・キングス]]と[[ジェイソン・ウィリアムス (1975年生のバスケットボール選手)|ジェイソン・ウィリアムス]]を熱心に応援していたという。。 
* 今では一般化した「あわわ」「やだねえ」という言葉を流行らせた。特に「やだね〜」の独特の言い回しは談志の代名詞となり、頻繁に物真似された。
* [[バスケットボール]]リーグ[[NBA]]のファンとしても知られ、落語のネタにできるほどの知識を持っていた。特に[[サクラメント・キングス]]と[[ジェイソン・ウィリアムス (1975年生のバスケットボール選手)|ジェイソン・ウィリアムス]]を熱心に応援していたという。。 
* 立川流創設後は、自らが弟子に落語の稽古をつけることは日に日に少なくなった。[[立川談之助]]曰く「弟子の噺は [[立川談春]]以外は皆師匠とは似ていない。売れっ子になった弟子は、勝手に育って行った」とのことである<ref name="soudouki">[[立川談之助]]『立川流騒動記』[[ぶんがく社]]、2012年6月29日。</ref>。
* 浪曲、講談、色物等の演芸全般から映画や音楽にも造詣が深いことで知られていたが、噺家にも贔屓が多い歌舞伎には関心が薄かった。ただ歌舞伎俳優との親交はあり、[[中村勘三郎 (17代目)|17代目中村勘三郎]]には立川流創設時に顧問になってもらっている。その縁で17代目の息子・[[中村勘三郎 (18代目)|18代目勘三郎]]とも交遊を持ち、当時「市川染五郎」を名乗っていた[[松本幸四郎 (10代目)|松本幸四郎]]を評価していた。
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== 家族 ==
息子(長男<ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/article/20211119-JXRDB2AYPVB2DGMGHMMDXLDISI/|title=没後10年…立川談志さんの最後の12年が未公開映像で初めて明かされる|publisher=産経ニュース|date=2021-11-19|accessdate=2021-11-20}}</ref>)は所属事務所・有限会社「談志役場」社長の[[松岡慎太郎]]。談志のマネージャーも務めていた。
 
弟は松岡由雄(「まむしプロダクション」でマネージャーを務めた後、立川企画で社長。2016年10月8日死去)<ref>{{Cite news|title=落語プロデューサーの松岡由雄さん死去 談志さんの弟|date=2016-10-9|newspaper=朝日新聞|url=https://www.asahi.com/articles/ASJB94QDVJB9UCVL004.html?fbclid=IwAR3iaBNyLhu0pY6HmoNCipLTZSYT41moWVneePFWtLRPGopiPSRv1wOBFUY}}</ref>。
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*[[山本晋也|立川談遊]]
*[[上岡龍太郎|立川右太衛門]]
*[[松岡悟|立川藪医志]]
*[[生原正久|立川談七]]
*[[ダンカン_(お笑い芸人)|ダンカン]](タレント){{efn|Aコース「立川談かん」からビートたけし門下へ移籍、改名後、[[1986年]]2月にBコースへ再入門、そのまま「ダンカン」を名乗る。}}
*[[内田春菊|立川於春の方]]
*☆[[ミッキー・カーチス|ミッキー亭カーチス]]
*[[奥山コーシン|立川侊志ん]]
*[[立川談デリー|マルカス]]
*[[野末陳平|立川流野末陳平]]
 
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==== 除名 (主なもの)====
Bコースメンバー整理の際に除名された主な人物。
*[[堀内美希]]
*[[田中朗]]
*[[山口洋子]]
*[[上田哲]]
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* [[まんが学校]]([[1964年]] - [[1967年]]、[[日本放送協会|NHK]]) - 司会
* [[NHK特集]]「びんぼう一代 〜五代目古今亭志ん生〜」(1981年3月27日、NHK) - 司会<ref>{{Cite web |url=https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010257_00000 |title=NHK特集 びんぼう一代〜五代目 古今亭志ん生〜 |publisher=NHKアーカイブス |archiveurl=https://archive.ph/YiVAd |archivedate=2021-04-07 |accessdate=2021-04-10}}</ref>
* [[家元ショー・ダダダダッ!談志ダッ!!]](1989年10月5日-  [[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[落語のピン]]([[1993年]]4月 - 9月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])
* [[そんなに私が悪いのか!?]]([[2000年]] - [[2001年]]、[[テレビ朝日]]) - レギュラー
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=== ラジオ番組 ===
* [[談志・円鏡 歌謡合戦]](1969年 - 1973年、[[ニッポン放送]])
*[[立川談志 最後のラジオ]](2001年4月8日 - 2002年10月6日、文化放送)<ref>{{Cite book|author=|title=ユリイカ 特集「立川談志」『立川談志 最後のラジオ』全放送記録|date=平成24年2月1日|year=|accessdate=|publisher=青土社|isbn=9784791702343|pages=209-218|volume=44|issue=2|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>
* [[話の泉#.E6.96.B0.E3.83.BB.E8.A9.B1.E3.81.AE.E6.B3.89|新・話の泉]](2005年4月 - 、[[NHKラジオ第1放送|NHK第1]]){{efn|療養のため[[2010年]][[4月]]より出演休止していたが、その回が最後の出演となった。}}
* [[談志の遺言]](2005年10月 - 2007年3月、[[TBSラジオ]])
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* [[エスビー食品]]
** 「[[ホンコンやきそば]]」(1960年)
** 「[[モナカカレー]]
* [[日本アイ・ビー・エム|日本IBM]] 「Aptiva」(1996年) ※[[香取慎吾]]と別撮りで共演している。
*[[TOWER RECORDS]]「NO MUSIC,NO LIFE」(2002年11月)- [[THE HIGH-LOWS]]と共演<ref>{{Cite web|url=https://tower.jp/article/series/2002/12/05/100043130|title=ザ・ハイロウズ & 立川談志|accessdate=2021-05-05|publisher=TOWER RECORDS}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://tower.jp/article/series/2002/12/05/100043130|title=第37回 ─ THE HIGH-LOWS & TATEKAWA DANSHI|accessdate=2021-05-05|publisher=TOWER RECORDS|author=北川達也|authorlink=北川達也|date=2002-12-05|website=タワーレコード Premium}}</ref>