「目黒のさんま」の版間の差分

 
江戸期に目黒筋鷹狩場の番人の屋敷であった場所は、現在[[鷹番]]と呼ばれている。
 
鷹狩場近辺に[[徳川幕府]]の庇護下にあって繁栄した[[瀧泉寺|目黒不動]]があったが、鷹狩から目黒不動参詣のあと近辺の茶屋で休息したといわれており、その話が成立のヒントとなった、とする説を地元が採用している。この茶屋は百姓の彦四郎が開いたとされ、[[徳川家光|将軍家光]]が彦四郎の人柄を愛して「爺、爺」と呼びかけたことから'''爺々が茶屋'''と称された。この爺々が茶屋は[[歌川広重]]の「名所江戸百選」で題材とされている<ref>{{Cite news|title=お殿様はなぜ旬の魚に出会った?「目黒のさんま」のなぞを解く 落語家・立川寸志さん特別寄稿(上)|newspaper=中日新聞web|date=2021-11-21|author=立川寸志|authorlink=立川寸志|url=https://www.chunichi.co.jp/article/364359?rct=kd_zokan}}</ref>
 
爺々が茶屋の場所に以下の2説がある。