「時そば」の版間の差分

そばを食べる場面において[[麺]]を勢い良くすする[[音]]を実際と同じように表現することが本作の醍醐味であり、一番の見せ場であるとよく言われる。更には、「そばをすする音と[[うどん]]をすする音には、確実に差異があるともされる。それをリアルに表現するのが当然で、何より落語の醍醐味」と堂々と主張する者{{誰|date=2018年6月21日 (木) 06:37 (UTC)}}までいる。しかし5代目[[古今亭志ん生 (5代目)|古今亭志ん生]]は本作を、何としても勘定をごまかしたい男を描いた物語と位置付けている{{要出典|date=2018年6月21日 (木) 06:37 (UTC)}}。志ん生の理論に従えば、麺をすする音のリアルな表現は所詮は瑣末な事で、巧妙に勘定をごまかす男と、それを表面的に真似してしまうためしくじってしまう間抜け、を描くのが本作の真髄であり醍醐味である。
 
この話は、九つ(午前0時前後)に屋台のそば屋が街を流し営業している事が必要であるが、江戸では[[振売]]や[[屋台]]が多く深夜の[[娼婦]]を客とする「[[夜鷹]]蕎麦」<ref>『[[守貞漫稿]]』五編「夜鷹そばは夜鷹がもっぱら夜売りそばを食べた」</ref>が街を巡っていた<ref>[[杉浦日向子]]『一日江戸人』「いっさいの買い物の用を足すことができるほど便利」</ref>。また、蕎麦の価格が9より多少高くないと成立しないが、それまでは6文程度だった蕎麦の価格が享保年間に急騰<ref>{{Cite news|title=男はなぜそば屋をだませなかった?「そば」なぞを解く 落語家・立川寸志さん特別寄稿(下)|newspaper=中日新聞|date=2021-11-19|author=立川寸志|authorlink=立川寸志|url=https://www.chunichi.co.jp/article/368358?rct=kd_zokan|accessdate=2021-11-23}}</ref>、二八蕎麦は16文<ref>『杉浦日向子の江戸塾 笑いと遊びの巻』第一章「蕎麦が16文」</ref>であり、となった。ほめあげるにしては質素なチクワを入れただけのかけ蕎麦が存在している事で成り立っている<ref>[http://rakugo-tanteidan.jp/mission00104.html 「時そば」のメニューを探せ!]</ref>。
 
== 物語 ==