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船本は1968年までは広島ですごし、1968-1971年には山谷、1972-1973年は釜ヶ崎で主に活動し、1974年からは地下に潜伏し、1975年6月に焼身自殺している。
*1945年12月、満洲国警察官<ref group="註">船本洲治の父は日本の貧農の三男に生まれ満洲に渡って警察官となった日本人である。船本の父は日本の敗戦後、[[八路軍]]に銃殺される際に天皇陛下万歳と叫んだとのこと。船本は自分の父を満洲人を抑圧した日本帝国主義の犬と呼び、その父に付けられた自分の名を呪われていると書いている。  -船本洲治『黙って野たれ死ぬな』共和国、2018年、p.237-238</ref>の子として生まれるが、満洲国崩壊後、父は[[八路軍]]に銃殺され、母とともに広島県呉市に[[引き揚げ]]た<ref name="死ぬな2018 p.343>船本洲治『黙って野たれ死ぬな』共和国、2018年、p.343</ref>。
*1964年広島大学理学部物理学科に入学するも大学には半年ほどしか通学せず、関西方面などに働きに出ていた。日立造船や大阪鉄鋼、神戸製鋼などに社外工として飯場から通っていたらしいが同時に酒も飲み始め、自らをアル中と呼ぶ状態になっていた。出稼ぎでまとまった金が入ると広島に戻って大学の友人と酒を飲んだり、1968年自作のビラを広島大学で撒いたり、広島学生会館の寄宿生と山谷への活動をともにし山谷では広大グループとくくられることもあり、しばらくは広島大学を拠点としている<ref >船本洲治『黙って野たれ死ぬな』れんが書房新社、1985年、pp.240,249-250,303</ref><ref>船本洲治『黙って野たれ死ぬな』株式会社共和国発行、2018年、p.237,356-357</ref>。
*1968年春、広島大学を除籍<ref>朝日新聞大阪朝刊昭和50年6月27日p.1</ref>、6-7月、広島学生会館の仲間であった鈴木国男らと[[三里塚闘争]]に参加、その帰りに山谷に寄り暴動を目撃し広島大グループとしてカンパ活動や糾弾集会などを行う、8月広島にてプロレタリア解放同盟結成、同月、船本らは再び山谷に行き山谷で活動していた梶大介らの山谷解放委員会と共闘を開始する。10月、プロレタリア解放同盟と山谷解放委員会で山谷自立合同労働組合結成、船本、鈴木は書記局員になる。この時期に鈴木、船本らが議論を重ねて発表した綱領で労働者の中に本工や職員と日雇いなど下層労働者の労働者階級内の分断を指摘し下層労働者こそもっとも労働者らしい労働者であり、下層労働者こそがもっとも革命的な階級であると規定した。ただしこの時点では船本の思想は具体的な運動論に乏しく抽象的なものであった。10月[[新宿騒乱]]に参加。11月対都庁闘争で船本ら逮捕。12月、山谷自立合同労働組合は梶派と船本ら書記局派に分裂<ref name="死ぬな2018 p.296,344,358-359>船本洲治『黙って野たれ死ぬな』株式会社共和国発行、2018年、p.296,344,358-359</ref><ref>細木かずこ「詠わない詩人 あるいは詠う実践家」日本寄せ場学会発行『寄せ場』No.25、2012年6月、pp.201-204</ref><ref>上山純二「船本洲治は生きているか」 日本寄せ場学会編集『寄せ場』(通号9)特集/船山会レポート、1996.05、p.171</ref>。
*1969年、山谷自立合同労働組合内の梶派と船本ら書記局派の対立は続き、2月梶大介糾弾闘争(山谷大飯店事件)にて船本ら3人が逮捕される。山谷自立合同労働組合書記局派は組織名を全都統一合同労働組合に改変するもののしばらくは運動は低迷、8月プロレタリア解放同盟も全都統一合同労働組合も崩壊する。運動が停滞する中で船本も[[鳶職|トビ]]などの日雇い労働しながら家族を持つ(船本自身によれば船本の家族は後に船本によって母子寮に放り込まれる)<ref>船本洲治『黙って野たれ死ぬな』株式会社共和国発行、2018年、p.43,237,345</ref><ref >船本洲治『黙って野たれ死ぬな』れんが書房新社、1985年、p.253</ref>。
*1970年 東日本日雇労働組合(東日労)に加わり、東日労内部の造反派である山岡強一と知り合う。<ref>船本洲治『黙って野たれ死ぬな』株式会社共和国発行、2018年、p.346.360-361</ref>。山岡は山谷争議団を結成して山谷の労働運動を主導した人物で、船本思想の最大の理解者となる<ref>崎山 政毅「武装する根拠に到ること-山岡強一が遺した歴史性の作業をめぐって」インパクト出版会 編集発行『インパクション = Impaction』 (99)、1996年10月、pp.31-43</ref>
 
==日本帝国主義によるアジア人民からの収奪、新植民地主義との闘い==
戦前においては日本の若く健康な者の多くは軍隊に徴用され、肉体労働が必須となる(建築土木や運輸、港湾、炭鉱、造船や鉄鋼などの)基幹産業において日本資本主義は不足していた労働力を朝鮮・中国から強制連行して賄ってきた。強制連行してきた労務者は[[タコ部屋労働|タコ部屋]]に押し込められて、帝国主義にとって「死んだって構わない。代わりはいくらでも強制連行してくれば良い」存在で、船本は強制徴用労務者の中に労務者としての普遍的な運命を見るとしている<ref >船本洲治『黙って野たれ死ぬな』株式会社共和国発行、2018年、p.42-43,184-187,199-200</ref>。
 
第二次大戦後には朝鮮・中国から労務者を強制連行できなくなったので、解体された農村や漁村、廃坑となった炭鉱や鉱山、被差別部落や在日朝鮮人、アイヌさらには沖縄を流動的下層労働者の生産工場とし、流動的下層労働者を国内植民地としてきたと主張する。資本主義にとって必要なときにのみ必要なだけ安く使える流動的下層労働者こそ企業に利潤をもたらすための餌食となる存在で、歳を取ったり病気になったりして働けなくなったら野たれ死んでも構わない存在であると考えた<ref >船本洲治『黙って野たれ死ぬな』株式会社共和国発行、2018年、p.42-45,55,124,159,200,239,241,257</ref>。
 
したがって流動的下層労働者たちはアイヌ下層人民や部落下層人民、在日朝鮮下層人民、沖縄の下層人民と連帯しなければならないと船本は説いた<ref >船本洲治『黙って野たれ死ぬな』株式会社共和国発行、2018年、p.240-242</ref>。
==既成左翼に対する船本の評価==
==東アジア反日武装戦線との関係==