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1954年8月1日付で四段に昇段し、当時の史上最年少棋士(14歳7か月)・史上初の中学生棋士となった<ref name=":14">{{Cite web|url=http://www.shogi.or.jp/news/2016/09/post_1449.html|title=新四段誕生のお知らせ *藤井聡太(史上最年少四段)・大橋貴洸|accessdate=2017-01-14|date=2016-09-03|publisher=[[日本将棋連盟]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170312074947/https://www.shogi.or.jp/news/2016/09/post_1449.html|archivedate=2017-03-12}}</ref>。加藤の最年少棋士記録は、2016年に14歳2か月で四段に昇段した[[藤井聡太]]が更新するまで、62年にわたり維持された<ref name=":14" />。なお、加藤によれば自身がプロ入りした時の反響はさほどではなかったという<ref name=":0">『マイナビムック 将棋世界スペシャルno.4 加藤一二三』、マイナビ、2013年、p.38</ref>。
 
8月1日付であったが、[[順位戦]]については同年度6月から始まっていた[[第9期順位戦]]に途中よりC級2組で参加した(同期四段の[[佐藤庄平]]と[[市川伸]]も同様)。この年のC級2組はかなり変則的であり、途中より東組(東京)と西組(大阪)で組分けされ、加藤は7名の西組に属して12回戦を戦った(よってリーグ内の同一人物と2回ずつ戦った)。11月2日の[[畝美与吉]]六段戦で最年少勝利を挙げるなど、11勝1敗の好成績でC級1組昇級を決め、1955年4月1日付で15歳3か月による最年少五段昇段を果たした<ref name=":15">{{Cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20180202/spn/00m/200/001000c|title=藤井聡太さん、史上初「中学生五段」9連勝で順位戦C級1組昇級(スポニチ)|accessdate=2018-2-2|date=2018-2-2|publisher=[[毎日新聞]]([[スポーツニッポン]]記事)|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180202044303/https://mainichi.jp/articles/20180202/spn/00m/200/001000c|archivedate=2018-2-2}}</ref>。続けてC級1組を10勝3敗、B級2組を9勝2敗、B級1組を10勝2敗でいずれも1期抜けし、1958年4月1日付で18歳3か月でのA級八段となる偉業を成し遂げた<ref name="順位戦デビューからA級まで連続昇級">{{Cite journal ja-jp|author=[[中原誠]]|year=|title=我が棋士人生 第7回 米長永世棋聖の巻「タイトル戦初対決」|journal=[[将棋世界]]|serial=2019年1月号|publisher=[[日本将棋連盟]]|pages=114-119}}</ref><ref name=":41" /><ref name=":22" />{{refn|group="注釈"|2020年現在は昇級が確定した時点で昇段が決まるが、当時は期始めの4月1日に一括昇段であった。なお、昇級が確定したのは1958年2月27日で、京都府立木津高等学校3年在学中(18歳1か月)のことであった<ref name=":3" />。}}。「'''神武以来(じんむこのかた)の天才'''」と呼ばれ<ref name="神武以来の天才の軌跡"/><ref group="注釈" name="神武以来" />、[[朝日新聞]]の「[[天声人語]]」でも取り上げられるなど<ref name=":10">{{cite web|url=http://digital.asahi.com/articles/DA3S13166807.html?_requesturl=articles%2FDA3S13166807.html&rm=150|title=(サザエさんをさがして)加藤一二三 ヒー・フー・ミーの快進撃|publisher=[[朝日新聞]]|accessdate=2017-10-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171008171623/http://www.asahi.com/articles/DA3S13166807.html|archivedate=2017-10-08}}</ref>、大きな反響があった<ref name=":0" />。当時の昇段規定は順位戦のみだったこともあり、これは順位戦の各昇級と各昇段のいずれも当時の最年少記録を次々と塗り替えていく結果も意味していた<ref name=":41" /><ref name=":51" /><ref name=":1">{{Cite news|title=藤井七段、最年少八段へ「また戦える」2期連続で竜王戦決勝トーナメント|date=2018-06-06|url=https://www.hochi.co.jp/entertainment/20180606-OHT1T50000.html|accessdate=2018-09-10|publication-date=|language=ja-JP|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180910094359/https://www.hochi.co.jp/entertainment/20180606-OHT1T50000.html|archivedate=2018-9-10|work=[[スポーツ報知]]}}</ref>。
 
順位戦以外のタイトル棋戦や、一般棋戦での活躍も顕著であり、1955年11月22日には当時始まった新人棋戦である第1回[[名棋戦|六、五、四段戦]]で優勝し、15歳10か月で最年少棋戦優勝記録を樹立した<ref name=":16">{{Cite journal ja-jp|author=渡辺壮大|year=|title=第11回朝日杯将棋オープン戦[準決勝・決勝]藤井聡太 新伝説の始まり|journal=将棋世界|serial=2018年4月号|publisher=[[日本将棋連盟]]|naid=|pages=28-36}}</ref>。また、1956年度には16歳で[[王将戦]]リーグ入りし<ref name=":47">{{Cite web|title=7月18日、王将戦リーグ入りを目指して佐藤康光九段(49)と藤井聡太七段(16)が対戦|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20190717-00134602/|website=Yahoo!ニュース|accessdate=2019-08-01|language=ja|publisher=[[ヤフー (企業)]]|author=松本博文(将棋記者)|archiveurl=https://megalodon.jp/2019-0802-0712-12/https://news.yahoo.co.jp:443/byline/matsumotohirofumi/20190717-00134602/|archivedate=20198-1}}</ref><ref name=":48">{{Cite web|title=ツィート|url=https://twitter.com/mtmtlife/status/1151380507646500864|website=[[Twitter]]|date=2019-07-16|accessdate=2019-08-01|language=ja|last=|publisher=|author=松本博文(将棋記者)|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190801215525/https://twitter.com/mtmtlife/status/1151380507646500864|archivedate=2019-8-1}}</ref>、1957年1月24日には[[東京新聞社杯高松宮賞争奪将棋選手権戦|高松宮賞争奪選手権戦]]で優勝して、新人棋戦を除く公式棋戦の最年少優勝記録17歳0か月を樹立した<ref>{{Cite journal ja-jp|author=|year=|title=現役棋士データブック2016下(た - わ行)「羽生善治」|journal=将棋世界|serial=2016年2月号付録|publisher=[[日本将棋連盟]]|naid=|pages=28-31}}</ref>。
 
こうした最年少記録は、先述した62年後の2016年に四段となった藤井聡太が登場するまで脅かされることすらなく、四段昇段(14歳2か月)、初勝利(14歳5か月)、一般棋戦優勝(15歳6か月)<ref name=":16" /><ref name="nikkei20180217">{{cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27056420X10C18A2000000/|title=藤井五段が棋戦最年少優勝、朝日杯 中学生初の六段に|accessdate=2018-2-18|date=2018-2-17|publisher=[[日本経済新聞]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180217163214/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27056420X10C18A2000000/|archivedate=2018-2-18}}</ref>、全棋士参加棋戦優勝(15歳6か月)と藤井に更新されてしまったものもあるが、王将戦リーグ入りや<ref name=":47" /><ref name=":48" />、参加時期のズレ{{refn|group="注釈"|上記の通り、加藤はプロ入りしたその年の順位戦に参加できたが、藤井は10月プロ入りで翌期からの順位戦参加であったため、C級2組の1期抜けは共に同じでも、年齢記録には差が出てしまう}}による順位戦の各記録は破られていない<ref name=":15" />(ただし、当時とは昇段規定が異なるため六段、七段、八段昇段は藤井に更新されている)。
 
A級初年度となった[[第13期順位戦]]は4勝5敗の負け越しで8位という成績であったが、2年目の[[第14期順位戦|第14期]](1960年度)は6勝2敗で名人挑戦権を得た。20歳3か月の挑戦は、他棋戦のタイトル初挑戦も含め、当時の最年少記録であり、2020年現在においても名人挑戦は最年少記録を維持している<ref>{{Cite web|title=天才・藤井聡太七段(17)(17) B2組昇級決定! 史上最年少20歳名人誕生の可能性もキープ|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20200204-00161745/|website=Yahoo!ニュース 個人|accessdate=2020-02-06|language=ja|publisher=[[Yahoo! JAPAN]]|author=[[松本博文]]|authorlink=|date=2020-2-4|archiveurl=https://megalodon.jp/2020-0206-1401-15/https://news.yahoo.co.jp:443/byline/matsumotohirofumi/20200204-00161745/|archivedate=2020-2-6}}</ref>。名人挑戦権を獲得する少し前の1960年2月1日には、朝日新聞朝刊の新聞漫画「サザエさん」で、活躍する若者の代表として、力士の[[大鵬幸喜]](加藤より1学年下)と共に「しょうぎの加藤八段」として言及された<ref name=":10" />。しかし、第19期名人戦七番勝負は1勝4敗で[[大山康晴]]名人に敗れた。
 
=== タイトル戦での大山・中原との対決 ===
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