「上地雄輔」の版間の差分

(巻き添えで取り消してしまった版番86135296の編集内容を復元)
少年時代の夢はプロ野球選手だった。1991年(小学生時代)、1994年(中学生時代)と、全日本選抜メンバーとして世界大会に出場。小学生時代はキャプテンとしてチームをまとめた。中学時代は[[軟式野球]]クラブチームの横須賀スターズでキャプテンを務める。上地が中学3年生の時に、所属チームは全国大会出場、関東大会優勝を果たした。横須賀スターズでの練習、試合、自主練習などに専念するべく、中学では理科部に所属した。
 
中学時代に計38校からスカウトを受け、[[横浜中学校・高等学校|私立横浜高等学校]]に進学。当初は[[木内幸男]]の下で野球がしたいと思い、[[茨城県]][[土浦市]]の[[常総学院中学校・高等学校|常総学院高等学校]]に進学しようと決めていたが、[[小倉清一郎]]から声をかけられた中学3年の夏に丹波慎也<ref group="注" name="丹波慎也" />の投球を見て「この人の球を受けてみたい」と思い進路を変更した。在学時は硬式野球部に所属し、[[渡辺元智]]と小倉の厳しい指導を受けて[[捕手]]を務め、丹波とバッテリーを組んでいた。1年後輩には[[松坂大輔]]がおり、松坂が入部すると最初にバッテリーを組んだ<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202111290000886.html|title=上地雄輔「週3会ってる私の元彼」松坂大輔氏とのツーショットや動画公開|publisher=日刊スポーツ|date=2021-11-30|accessdate=2021-11-30}}</ref>。2年生から背番号2を背負ったが、その年の[[全国高等学校野球選手権神奈川大会]]の試合中に右肘の[[神経断裂|神経を断裂]]したため正捕手の座を1年後輩の[[小山良男]]に譲った(関東大会では、背番号2を背負っている<ref>{{cite news|url= http://www.hb-nippon.com/interview/44-hb-nippon-intvw2007/75-intvw2007-07-date20071203no06?page=3|title= インタビュー > 第6回 俳優 上地雄輔さん(4)|publisher= 高校野球ドットコム|date= 2007-12-03|accessdate= 2013-11-12}}</ref>)。
 
2008年1月19日に行われた松坂軍団対[[茨城ゴールデンゴールズ]]([[横浜スタジアム]])では松坂チーム・SAMURAIとして途中出場。打撃では最初の打席で[[本塁打|2ランホームラン]]を放ち、その後決勝[[犠牲フライ]]を放って3打点の活躍だった。守備では11年ぶりに松坂とバッテリーを組んだ。試合は松坂軍団が7対5で勝利し、上地はMVPに選ばれた。