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Yは沖縄に来て以降、しばらくは職に就かず、[[那覇市]]内の公園などでホームレス生活をしていたが<ref name="祈り届かず2"/>、那覇市若狭の公園で、日雇いの建設作業員を斡旋していた那覇市内の人材派遣会社の関係者から、「うちで働く気はないか」と声を掛けられた<ref name="盗んで逃走">『琉球新報』1997年1月4日朝刊第1版第一社会面31頁「Y容疑者 勤務先の車盗んで逃走」(琉球新報社)</ref>。その会社では当時、同じように公園にいたところを誘われたUが働いていた<ref name="盗んで逃走"/>。Yは、Uら数人とともに、会社が借り上げた那覇市[[首里]]のアパートで暮らしつつ、那覇市を中心に、建設現場で働いていた<ref name="祈り届かず2"/>。作業内容は、ブロック作りや道路工事などの作業だった<ref name="砕かれた願い2"/>。2人は、現場は別々だったが、宿舎では同室で暮らしており<ref name="砕かれた願い2"/>、互いに親しくなっていた<ref name="琉球新報1997-04-24"/>。また、[[国頭郡]]内の作業現場で働いたことがあったため、犯行現場には少し土地勘があった<ref name="毎日新聞1997-01-04 西部朝刊"/>。
 
しかし、2人が勤めていた建設作業員派遣会社は事実上倒産状態で、給料も未払いだった<ref name="毎日新聞1997-01-04 西部朝刊">『毎日新聞』1997年1月4日西部朝刊第一社会面「沖縄・女子中学生拉致事件 Y容疑者を再逮捕 Y容疑者を手配--沖縄県警」(毎日新聞西部本社)</ref>。給与の支払い遅延などから、会社の経営者に不満を抱いた2人は<ref name="砕かれた願い2"/>、退職して姿をくらまそうとし<ref name="琉球新報1997-04-24"/>、1996年6月14日、那覇市[[安里]]のホテル駐車場から<ref name="祈り届かず2"/>、経営者が所有していた白いワンボックスカーを盗んだ{{Efn2|車を盗んだ動機について、加害者Yは逮捕後に「遊ぶため」と供述したが、捜査員は『[[毎日新聞]]』([[毎日新聞西部本社]])記者からの取材に対し「給料を払ってくれない(会社への)腹いせも要因ではないか?」と証言していた<ref name="毎日新聞1997-01-04 西部朝刊"/>。}}<ref name="砕かれた願い2"/>。犯行車両は目撃証言によれば、[[トヨタ・ハイエース]]のロング型に似たワゴン車で<ref name="朝日新聞1996-06-29"/>、車両後部の窓には白いペンキが塗られていたか、白いフィルムが貼られていた<ref name="琉球新報1996-06-27"/>。沖縄は日差しが強いため、このように白い塗装で、日除けのフィルムを貼った車は珍しくなかった{{Sfn|週刊文春|1996|p=32}}
 
その後、2人は[[辺戸岬]]付近の宇佐浜海岸(国頭郡[[国頭村]])で[[車中泊]]をしていたが{{Efn2|『毎日新聞』 (1997) は「2人は盗んだワゴン車に寝泊まりしながら国頭村のビーチなどで遊んでいた」と報道している<ref name="毎日新聞1997-01-04 西部朝刊"/>。}}<ref name="琉球新報1997-04-24"/>、事件2日前(6月19日)ごろ、国頭村の海岸で、遊びに来ていた観光客の女性を見たYが、Uに「女性を拉致して乱暴しよう」と持ち掛けた<ref name="沖縄タイムス1997-04-25"/>。Uもこれに同意し、2人で女性を拉致して強姦することを計画した<ref name="沖縄タイムス1997-04-25"/>。また、事件の2、3日前には、拉致現場(名護市伊差川)付近のガソリンスタンドで給油していた<ref name="祈り届かず2"/>。Aを絞殺した際に用いた凶器の紐(長さ約2&nbsp;[[メートル|m]]、太さ約9&nbsp;[[ミリメートル|mm]])は、このころに海辺で拾ったものだった<ref name="祈り届かず3"/>。
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{{Quotation|〔A〕、○○だよ。早く会いたい。そして一緒に話して一緒に笑いたい。いっぱい話したいことあるから早く帰っておいで。|Aが拉致される直前まで一緒に下校していた女子生徒|<ref name="特別広告"/><ref name="特別広告2"/>}}
{{Quotation|犯人に対して言いたいことは、罪を犯していつまでも逃げとおすことはできません。(中略)あなた達にも家族がいるのであれば、私たちの気持ちが分ると思います。一刻も早く、〔A〕を解放して[[自首]]することをすすめます。|Aの父親|<ref name="特別広告"/><ref name="特別広告2"/>}}
このように、地元住民による熱心な捜索活動が繰り広げられた背景について、『[[週刊文春]]』 (1996) は1人の地元住民の声を取り上げ、「1994年12月、名護市内で幼児3人が行方不明になり、約20日後に散水車のタンク内から遺体で発見された“タンク事件”があった。この事件の際、約7,000人の市民が自主的に捜索活動に参加し、今回と同様に広範囲で捜索を行ったが、遺体は子供たちの自宅の至近距離に放置されていた散水車から発見された{{Efn2|当時、約6,000人態勢での捜索が実施されたが、タンクに入ったことを想定して捜索した人物はおらず、結果的に偶然タンクを使おうとした市民によって遺体が発見された<ref>{{Cite news|title=深読み 子どもが一瞬であなたの前から消えるワケ|newspaper=[[読売新聞オンライン]]|date=2018-03-13|url=https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20180309-OYT8T50025/3/|accessdate=2021-12-06|publisher=[[読売新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210914125724/https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20180309-OYT8T50025/3/|archivedate=2021年9月14日}}</ref>。}}。この時の苦い経験から、市民は慎重に同じ場所を何度も捜索している」と報じている{{Sfn|週刊文春|1996|p=32}}。
 
=== 2人を窃盗容疑で指名手配 ===
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* {{Cite book|和書|title=沖縄が中国になる日|publisher=[[育鵬社]]・[[扶桑社]](発売:扶桑社、発行者:[[久保田榮一]])|date=2013-04-02|pages=102-104|ref={{SfnRef|惠隆之介|2013}}|author=[[惠隆之介]]|edition=初版第1刷発行|isbn=978-4594067885|NCID=BB12457321|chapter=第3章 沖縄制政策を迷走させる虚言 > 2報道されない少女暴行殺人・遺体遺棄事件 犯人が米兵でなければ報道しない沖縄マスコミ|id={{国立国会図書館書誌ID|024307118}}}}
'''雑誌記事'''
* {{Cite journal|和書|journal=[[週刊文春]]|title=ワゴン車に消えた「中学3年」沖縄美少女の「生死」 異例の公開搜査|volume=38|date=1996-07-11|issue=26|pages=30-33|publisher=文藝春秋|DOI=10.11501/3376651|id={{NDLJP|3376651/16}}|ref={{SfnRef|週刊文春|1996}}}} - 1996年7月11日号(通巻:第1889号)。
* {{Cite journal|和書|journal=[[AERA]]|author=長谷川熙(編集部)|title=沖縄 少女誘拐で見せた県警の事大主義 基地内捜索の要請に二の足|volume=9|date=1996-08-12|issue=33|pages=15-17|publisher=[[朝日新聞出版|朝日新聞社出版本部]]|ref={{SfnRef|AERA|1996}}}} - 1996年8月12日号(通巻:第443号)。
* {{Cite journal|和書|journal=[[諸君!]]|author=惠隆之介|title=暴走する「沖縄の英雄」 大田琉球国王に反乱す|volume=28|date=1996-10-01|issue=10|pages=26-34|publisher=[[文藝春秋]]|DOI=10.11501/3368742|id={{NDLJP|3368742/15}}|ISSN=0917-3005|ref={{SfnRef|惠隆之介|1996}}|id={{NDLJP|3368742}}}} - 平成8年10月号。
* {{Cite journal|和書|journal=[[週刊文春]]|title=沖縄美少女殺人事件 父親が慟哭告白 「A、私の手で探してやりたかった」|volume=39|date=1997-01-16|issue=2|pages=37-39|publisher=文藝春秋|DOI=10.11501/3376676|id={{NDLJP|3376676/19}}|ref={{SfnRef|週刊文春|1997}}}} - 1997年1月16日新春特別号(通巻:第1914号)。
* {{Cite journal|和書|journal=諸君!|author=惠隆之介|title=特別企画 怪しげな「言説の流布」に警鐘乱打 この20人を大論破! 4 大田昌秀 「本土」に甘えられた頃はよかったが…|volume=30|date=1998-02-01|issue=2|pages=132-135|publisher=文藝春秋|DOI=10.11501/3368758|id={{NDLJP|3368758/68}}|ISSN=0917-3005|ref={{SfnRef|惠隆之介|1998}}|id={{NDLJP|3368758}}}} - 平成10年2月号。