「飯塚高史」の版間の差分

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この後も飯塚は野上との「[[J・J・JACKS]]」、[[山崎一夫 (プロレスラー)|山崎一夫]]・[[永田裕志]]・[[木戸修]]との「山崎隊」などユニットの形でチャンスを与えられるが、生かすことは出来ず「隠れた実力派」と称される中堅選手の位置に甘んじていた。
 
[[1999年]]1月4日、[[東京ドーム]]で行われた[[小川直也]]対[[橋本真也]]戦における試合後のリング内外における乱闘で、飯塚は小川のセコンドについていた[[村上和成]]に対して一時昏睡状態に陥るほどのダメージを負わせた張本人とされる(これが原因で、村上は一時執拗に飯塚の首を狙っていた
 
[[2000年]]1月4日、飯塚は橋本とのタッグで小川・村上組と対決、橋本を馬乗りパンチで攻める小川をドロップキックで駆逐するなど大活躍し、最後は飯塚がスリーパーホールドで村上をKOした。飯塚はこの一戦がきっかけで一躍大ブレイクし、決め技となったスリーパーは前述のように飯塚の代名詞となった。4月7日には、シングルでも村上からスリーパーで勝利<ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/833216?page=4 真面目な男が「クレイジー坊主」。いつも体を張った飯塚高史の引退。(3/4ページ)] Number Web 2019/01/18 10:00(文藝春愁、2019年1月26日閲覧)</ref>。すると、7月20日に健介の持つ[[IWGPヘビー級王座]]に挑戦。試合には敗れるものの、その後の[[G1 CLIMAX]]で永田と大会中ベストバウトと呼ばれる試合を展開した。[[G1 TAG LEAGUE|G1タッグリーグ戦]]では永田と組んで初優勝と、飯塚にとって2000年は非常に実りの多い年でもあった。
 
その後、しかし[[2001年]]に[[長井満也]]との試合で首を負傷したため、長期欠場を余儀なくされた<ref name="intai">[https://number.bunshun.jp/articles/-/833216?page=4 真面目な男が「クレイジー坊主」。いつも体を張った飯塚高史の引退。(4/4ページ)] Number Web 2019/01/18 10:00(文藝春愁、2019年1月26日閲覧)</ref>。
 
その後、トップ戦線との関わりは無く光が当たる事はなかったものの[[2008年]]に復帰して[[G・B・H (プロレス)|G・B・H]]勢に袋だたきに遭った[[天山広吉]]を助け、天山とタッグ共闘を持ちかけた。最初は天山を冷たくあしらわれていた飯塚だったが、G・B・Hのイス攻撃から身を挺して天山を守る等の捨て身の救助を行い、気持ちが通じて天山との友情タッグを結成した<ref name="intai"/>。
=== ヒール転向 ===
[[File:Takashi Iizuka.JPG|thumb|180px|観客席を徘徊する飯塚。]]