「元末四大家」の版間の差分

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4人ともに元初の[[趙孟頫]]の復古主義的な画法に共鳴し、[[董源]]・[[巨然]]などの'''江南山水画'''様式を受け継ぎ、各々が個性的な画風を確立した。
 
文献的にはこの呼称は[[明|明代]]の[[何良俊]]の著した[[画論]]『四友斎叢説』に「黄呉倪王四大家」が初見<ref>元の[[夏文彦 (か ぶんげん)|夏文彦]]『図絵宝鑑』が初見とする説がある。</ref>と見られる。明初の[[王紱]]、明代中期の[[沈周]]や[[文徴明]]らの[[文人]]の間でこの四大家が盛んに称揚された。さらに明末の[[董其昌]]の[[南北宗論]]を受けて[[清朝]]になると絶大な評価を得る。とりわけ[[四王呉惲]]の[[南宗正統派]]とされる画派からは強く信奉された。
 
== 出典 ==