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==経歴==
{{雑多な内容の箇条書き|date=2021年12月12日 (日) 15:54 (UTC)}}
船本は1968年までは広島ですごし、1968-1971年には山谷、1972-1973年は釜ヶ崎で主に活動し、1974年からは地下に潜伏し、1975年6月に焼身自殺している。
*1945年12月、満洲国警察官<ref group="註">船本洲治の父は日本の貧農の三男に生まれ満洲に渡って警察官となった日本人である。船本の父は日本の敗戦後、[[八路軍]]に銃殺される際に天皇陛下万歳と叫んだとのこと。船本は自分の父を満洲人を抑圧した日本帝国主義の犬と呼び、その父に付けられた自分の名を呪われていると書いている。  -船本洲治『黙って野たれ死ぬな』共和国、2018年、p.237-238</ref>の子として生まれるが、満洲国崩壊後、父は[[八路軍]]に銃殺され、母とともに広島県呉市に[[引き揚げ]]た<ref name="死ぬな2018 p.343>船本洲治『黙って野たれ死ぬな』共和国、2018年、p.343</ref>。
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==流動的下層労働者こそ真のプロレタリアートである==
{{一次資料|section=1|date=2021年12月}}船本は流動的下層労働者(日雇い労働者など)こそが真のプロレタリアートであり、革命の主体であるとし、(社会党や共産党などの)社民勢力が指導する市民階層(組織労働者、本雇工など)は下層労働者との分断を呼び、その市民主義的利益追求のため日本帝国主義の「新植民地主義」をもたらすものであると主張した<ref>船本洲治『黙って野たれ死ぬな』株式会社共和国発行、2018年、pp.254-270</ref>。
 
船本によると現代日本帝国主義の支配下のもと、労働者階級は組織労働者(上層、市民的、定着的)と寄せ場の労働者を代表とする未組織労働者(下層、非市民的、流動的)に分断されているとする<ref>船本洲治『黙って野たれ死ぬな』株式会社共和国発行、2018年、p.239-240</ref>。
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==暴動論==
{{一次資料|section=1|date=2021年12月}}山谷や釜ヶ崎では1960年以降暴動が頻発したが船本はそれを分析してこのように述べた。
 
{{Bquote|釜ヶ崎=山谷暴動に共通して言えることは、仲間が警官に差別的、非人間的に扱われたことに対する労働者の怒りの爆発として始まった点である。仲間がやられたことに対する、労働者個々人の日常的な屈辱感、怨念、怒りを背景とした大衆的反撃、下層労働者の階級的憎悪の集団的自己表現としての武装、これが暴動の内実である。暴動とは、日常的にやられ続けて泣寝入りさせられてきた「弱者」の「強者」たる敵=権力に対する心底からの怨みをたたきつける闘いであり、そうであるが故に、その戦闘行為は優れてゲリラ的、非妥協的、非和解的な階級闘争である。|||船本洲治『黙って野たれ死ぬな』2018年、p.215}}