「安珍・清姫伝説」の版間の差分

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縁起絵巻:後小松・土佐光重の筆・1403年成立と寺伝ではされているが、鑑定は15世紀後半/16世紀前半である。初成立.酒井家旧蔵本は伝・土佐広周
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=== 道成寺の鐘・最期 ===
 
[[ファイル:Dojo-ji Engi Emaki.jpg|サムネイル|伝[[土佐光重]]([[土佐派]])画『道成寺縁起』。蛇身となった清姫が鐘の中の安珍を焼き殺そうとする様子を描いたもの。]]
蛇体で日高川を泳ぎ渡った清姫は、道成寺に逃げ込んだ安珍に迫る<ref name=nipponica/>。梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込む安珍。しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。因果応報、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった<ref name=nipponica/>。安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま[[入水]]する。
 
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=== 道成寺縁起 ===
[[ファイル:Dojo-ji Engi Emaki.jpg|サムネイルthumb|240px|伝[[土佐光重]]([[土佐派]])画『道成寺縁起』<ref name=kanagawa_u/>。蛇身となった清姫が鐘の中の安珍を焼き殺そうとする様子を描いたもの。]]
原型(平安時代の説話)から、やがて道成寺の[[寺社縁起|縁起]]物(室町時代から江戸時代)に発展した<ref name=ozaki/>。江戸期の写本や摸本を数多く道成寺では所蔵する<ref name=wakayama-museum-tokubetsuten-list/>。
 
なかでもとりわけ有名な稿本は、道成寺蔵「道成寺縁起」(絵巻、2巻2軸、重文)であるが{{Refn|group="注"|解説者によって様々に呼ばれているので名称にぶれがあるが、国の重要文化財としての登録題名は「紙本著色道成寺縁起」二巻である<ref name=oohashi2021/>。}}<ref name=oohashi2021/>、これは寺伝では[[応永]]十年([[1403年]])
「道成寺縁起」(絵巻、重文)では、主人公の女は{{読み仮名|真砂|まさご/まなご}}の清次の「{{linktext|娵}}」(よめ)である{{Refn|group="注"|だが「娵」の正しい読みは、「よめ」であるにかかわらず、道成寺では「むすめ」と訓じて来た経歴がある<ref name=tanaka_i1929/>。原文にはその家の女房(仕える女)ともみえる{{sfnp|浜下|1998|p=131}}。}}、相手は奥州出身の美男子な僧(「見目能僧」)と記される{{Refn|「紀伊國室)の郡(むろのこほり)」の「眞砂と云所」の宿の「亭主清次庄司と申人の娵」<ref name=dojojiengi-text/>}}<ref>『続日本の絵巻24 [[桑実寺]]縁起 [[道成寺]]縁起』([[小松茂美]]編、[[中央公論社]])に詳しく紹介されている。</ref>{{sfnp|安田|1989|p=3}}{{sfnp|徳田|1997|pp=204, 207}}。{{sfnp|浜下|1998|p=131}}。女は僧に「かくて渡らせたまえ」(しばらくいらしてください)と迫るが、これは夫になってくれとの口説きだと解釈される。後日、再会を約束したはずの僧はとうに通り過ぎて行った知って出立した女房は、[[切目王子]]の社を過ぎた上野という場所{{Refn|group="注"|旧・[[名田村]]大字上野(現今の[[御坊市]]名田町上野)<ref name=kineya/>。}}で追いつき呼びかけたが、僧は頭巾、負[[厨子]]、念珠などをかなぐり捨てて逃げたので、女は上体蛇と化し火を吹いて追いかけた。僧は[[塩屋村 (和歌山県)|塩屋]]を過ぎ、[[日高川]]を船で渡って逃げたが、女は衣を脱ぎ捨て全身蛇体となって泳ぎわたる<ref>(以上、絵巻の上巻){{harvp|田中|1979|p=19}}; {{harvp|浜下|1998|p=131}}にほぼ同文で転載</ref>。以上の部分も、残りの部分も{{efn2|絵巻の上巻・下巻のそれぞれ内容}}、上述の安珍清姫伝説と比べて大きな違いえは無い。僧は道成寺に駆け込んでかくまわれ、鐘の中に隠されるが、女房の大蛇は尾で堂の戸を壊し、鐘の{{読み仮名|竜頭|りゅうず}}を{{読み仮名|銜|くわ}}えては鐘に巻きつき尾でこれを打ち鳴らすと火焔がまきおこった。「3[[刻|時]]あまり」(6時間余?{{Refn|林雅彦の論文では"三時(六時間)余り"と注釈するが{{harvp|林|2005|p=114}}、浜下論文では"3時間ばかり"、和歌山県立博物館ニュースの訳では「一時間半ほど」<ref name=dojojiengi-text/>。『大日本法華験記』の原文では「兩三時計」(二、三どきばかり)尾で竜頭を叩いていた<ref name=hokke_genki/>となっているが[[三田村鳶魚]]はこれを「半日ばかり」と釈義している<!--「兩三日(りゃうさんにち)」は「二三日(にさんにち)」であるとしている-->{{sfnp|三田村|1911|pp=274-275}}。『今昔物語集』}})経ってやっと大蛇は「両眼より血の涙を流し」離れていったが、鐘を消火してみると骸骨だけの炭のような遺体がみつかった(以下略)<ref>(以上、絵巻の下巻){{harvp|田中|1979|p=19}}; {{harvp|浜下|1998|pp=131-132}}にほぼ同文で転載</ref>。
[[後小松天皇]]の[[宸筆]]により書きしたためられたもので絵は伝・[[土佐光重]]筆だが、現代の検証では6世紀前半ないし15世紀後半の成立と推察される<ref name=oohashi2017/><ref name=kanagawa_u/>。
 
「道成寺縁起」(絵巻、重文)では、主人公の女は{{読み仮名|真砂|まさご/まなご}}の清次の「{{linktext|娵}}」(よめ)である{{Refn|group="注"|だが「娵」の正しい読みは、「よめ」であるにかかわらず、道成寺では「むすめ」と訓じて来た経歴がある<ref name=tanaka_i1929/>。原文にはその家の女房(仕える女)ともみえる{{sfnp|浜下|1998|p=131}}。}}、相手は奥州出身の美男子な僧(「見目能僧」)と記される{{Refn|「紀伊國室)の郡(むろのこほり)」の「眞砂と云所」の宿の「亭主清次庄司と申人の娵」<ref name=dojojiengi-text/>}}<ref>『続日本の絵巻24 [[桑実寺]]縁起 [[道成寺]]縁起』([[小松茂美]]編、[[中央公論社]])に詳しく紹介されている。</ref>{{sfnp|安田|1989|p=3}}{{sfnp|徳田|1997|pp=204, 207}}。{{sfnp|浜下|1998|p=131}}。女は僧に「かくて渡らせたまえ」(しばらくいらしてください)と迫るが、これは夫になってくれとの口説きだと解釈される。後日、再会を約束したはずの僧はとうに通り過ぎて行った知って出立した女房は、[[切目王子]]の社を過ぎた上野という場所{{Refn|group="注"|旧・[[名田村]]大字上野(現今の[[御坊市]]名田町上野)<ref name=kineya/>。}}で追いつき呼びかけたが、僧は頭巾、負[[厨子]]、念珠などをかなぐり捨てて逃げたので、女は上体蛇と化し火を吹いて追いかけた。僧は[[塩屋村 (和歌山県)|塩屋]]を過ぎ、[[日高川]]を船で渡って逃げたが、女は衣を脱ぎ捨て全身蛇体となって泳ぎわたる<ref>(以上、絵巻の上巻){{harvp|田中|1979|p=19}}; {{harvp|浜下|1998|p=131}}にほぼ同文で転載</ref>。以上の部分も、残りの部分も{{efn2|絵巻の上巻・下巻のそれぞれ内容}}、上述の安珍清姫伝説と比べて大きな違いえは無い。僧は道成寺に駆け込んでかくまわれ、鐘の中に隠されるが、女房の大蛇は尾で堂の戸を壊し、鐘の{{読み仮名|竜頭|りゅうず}}を{{読み仮名|銜|くわ}}えては鐘に巻きつき尾でこれを打ち鳴らすと火焔がまきおこった。「3[[刻|時]]あまり」(6時間余?{{Refn|林雅彦の論文では"三時(六時間)余り"と注釈するが{{harvp|林|2005|p=114}}、浜下論文では"3時間ばかり"、和歌山県立博物館ニュースの訳では「一時間半ほど」<ref name=dojojiengi-text/>。『大日本法華験記』の原文では「兩三時計」(二、三どきばかり)尾で竜頭を叩いていた<ref name=hokke_genki/>となっているが[[三田村鳶魚]]はこれを「半日ばかり」と釈義している<!--「兩三日(りゃうさんにち)」は「二三日(にさんにち)」であるとしている-->{{sfnp|三田村|1911|pp=274-275}}。『今昔物語集』}})経ってやっと大蛇は「両眼より血の涙を流し」離れていったが、鐘を消火してみると骸骨だけの炭のような遺体がみつかった(以下略)<ref>(以上、絵巻の下巻){{harvp|田中|1979|p=19}}; {{harvp|浜下|1998|pp=131-132}}にほぼ同文で転載</ref>。
 
異本である酒井家旧蔵「賢学草子絵巻」(伝・[[土佐広周]]筆<ref>[[#kogabiko|古画備考 巻33]] 土佐家・土佐廣周「道成寺縁起二巻」の段、[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2591618/32 23頁b面]</ref><ref name=bunka-db-ekotoba/>{{Refn|group="注"|「'''道成寺絵詞'''」(天保12年)はその写本<ref name=bunka-db-ekotoba/><ref name=oohashi2021/><!--大橋はこの転写本のほうを"土佐広周画本"と読んでいるのでまぎらわしい-->。}})では、「姫君」と「{{読み仮名|賢学|けんがく}}」とあり、関連本である武蔵野大学本もまた然りである{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|pp=58-63}}。この両本は本文において様々な相違がみられるが、ともに「古寺」とあり「道成寺」と明記されない、にもかかわらず、酒井家旧蔵本には「右、道成寺之絵一巻者..」との加証識語が加えられている{{efn2|ただし酒井家旧蔵本(やその多くの写本)は前欠(冒頭分が欠損する)である。}}{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|pp=58-61}}<ref name=oohashi2021/>。
 
「道成寺縁起」の異本にはまた[[根津美術館]]蔵の「賢学草子」(または「日高川草紙」と称す)があり、[[遠江国]][[新居宿|橋本宿]]の長者の娘「花ひめ(花姫)」と、三井寺の若き僧「けんかく(賢学)」となっている{{sfnp|安田|1989|p=3}}<ref name=kobayashi/>。賢学は花姫と結ばれる運命を知りこれが修行の妨げとなることを恐れ、幼い花姫を亡き者にしようと胸を刺して逃げる。その後賢学は一目惚れした娘と結ばれるが彼女の胸の傷から成長した花姫その人であると気付き彼女を捨てて熊野へ向かう。花姫は彼を追い、ついに蛇となって日高川を越えて追いすがる。とある寺に逃げこんだ賢学は鐘の中に匿われるが、蛇と化した花姫は鐘にとぐろを巻いてそれを湯のごとく溶かし、賢学を掴みだしたのち、川底へと消えていった。その後弟子たちが二人を供養したという{{sfnp|勝田|1982|p=28}}<ref name=kobayashi/>。安珍清姫伝説に比べて宗教色が希薄で「御伽草子」的要素が強い話である<ref>[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/100889|title=日高川草紙 ひだかがわそうし 和歌山県立博物館所蔵]文化遺産オンライン</ref>。
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{{Reflist|30em|refs=
<ref name=bukkyo_fukyo_taikei> {{citation|和書|last= |first= |authorlink= |title=道成寺:【安珍清姫】 |work=佛教布教大系 |volume=7 |publisher=大東出版社 |date=1994 |url=https://books.google.com/books?id=78gLAQAAIAAJ&q=安珍清姫 |pages=451-452}}</ref>
 
<ref name=bunka-db-ekotoba>{{cite web|author= |author-link=<!--no byline--> |url=https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/463896 |title=異本 道成寺絵詞 |work=異本 道成寺絵詞<!--Cultural Heritage Database--> |date=<!--sans date--> |access-date=2021-12-14}}</ref>
 
<ref name=dojojiengi-text>『道成寺縁起』釈文(原文・訳)。{{cite web|author=大河内智之 |author-link=<!--大河内智之--> |url=https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/dojoji/frameset.htm<!--http://kenpakunews.blog120.fc2.com/blog-entry-819.html--> |title=道成寺縁起(重要文化財・道成寺蔵)の詞書釈文と現代語訳 |work=和歌山県立博物館ニュース |date=2017-10-19 |access-date=2021-11-22}}; (原文){{citation|和書|last=下店 |first=静市 |authorlink=下店静市<!-- Shimomise, Shizuichi--> |chapter=二十一、道成寺縁起に就いて |title=大和絵史研究 |publisher=富山房<!--フザンボウ--> |date=1944 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=CKwEAAAAMAAJ&q=眞砂 |pages=939-}}</ref>
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<ref name=hokke_genki>『本朝法華驗記』下「第百廿九 紀伊國牟婁郡惡女」(原文)。{{harvp|屋代|1908}}「道成寺考」『燕石十種』所収、450-451頁; {{citation|和書|chapter=本朝法華驗記 下 |editor-last=塙 |editor-first=保己一 |editor-link=塙保己一 |title= 続群書類従 8上(伝部)] |chapter-url=https://books.google.com/books?id=EbWhnETRhhgC&pg=PP205 |pages=199-200}}</ref>
 
<ref name=kanagawa_u>{{citation|和書|last= |first= |authorlink=<!--no byline--> |title=妖怪~変化するものたち~ |journal=KU図書館だより |volume= |number=149 |date=2016<!--2016-08--> |publisher=神奈川大学図書館 |url=https://www.kanagawa-u.ac.jp/library/publication/reliance/file/149.pdf |page=5}}</ref>
 
<ref name=kineya>{{citation|和書|last=杵屋 |first=栄蔵 |authorlink=杵屋栄蔵#三代目 |title=長唄のうたひ方 続 |publisher=創元社 |date=1932 |url=https://books.google.com/books?id=qlUmAAAAMAAJ&q=名田村|page=44}}</ref>
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<ref name=nishino>{{Cite journal|和書|author=[[西野春雄]] |title=<随想>《鐘巻》を復曲して |journal=日本文學誌要 |ISSN=0287-7872 |publisher=法政大学国文学会 |year=1992 |month=dec |issue=46 |pages=105-108 |naid=110000208466 |doi=10.15002/00019657 |url=https://doi.org/10.15002/00019657}}</ref>
 
<ref name=oohashi2017>{{Cite journal|和書|author=大橋直義 |journal=国文研ニューズ No.49 AUTUMN 2017 |title=道成寺文書概観――特に「縁起」をめぐる資料について―― |month=oct |number=49 |year=Autumn 2017<!--October 2017--> |pages=4-5<!--1-16(p.4-5)-> |url=http://id.nii.ac.jp/1283/00003372/ |publisher=人間文化研究機構国文学研究資料館 |ISSN issn=1883-1931}}</ref>
 
<ref name=oohashi2021>{{citation|和書|last=大橋 |first=直義 |authorlink=<!--大橋直義 Oohashi Naoyoshi--> |title=『道成寺縁起』書名―覚書 |journal=きのみなと<!-- : 紀州研 News Letter--> |volume=<!--通巻-->8 |number=|date=Spring 2021 |url=https://researchmap.jp/naoyoshi_oohashi/misc/32462561/attachment_file.pdf |page=3}}</ref>
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; 参照文献
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* {{citation|和書|ref=kogabiko|last=朝岡 |first=興禎 |author-link=朝岡興禎|title=古画備考 50巻 |volume=33 |publisher=写本 |orig-date=c. 1850 |date= |doi=10.11501/2591618}}
 
* {{citation|和書|last=出岡 |first=宏 |title=「道成寺縁起絵解き」をめぐって : 〈かたり〉の場についての試論 / On "Dojo-ji engi etoki" as Katari |journal=人文科学年報 |ISSN=0387-8708 |publisher=専修大学人文科学研究所 |year=2014 |issue=44 |pages=1-23 |naid=120006793641 |doi=10.34360/00007478 |url=https://doi.org/10.34360/00007478}}