「安珍・清姫伝説」の版間の差分

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→‎概説: "現行の絵解き"は「絵とき手文」「千年祭本」の台本どおりでない→清姫を13歳と言わずにとばす(徳田和夫).賢学草子とかでは16歳. <『法華験記』が原型>の出典改訂. →‎安珍・清姫の名の嚆矢: 清姫は清次からとった名という仮説.ちなみに清次は能作者候補(観阿弥)の実名(三田村の考察)
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安珍・清姫伝説は、主人公らの悲恋と情念をテーマとした、[[紀伊国]]([[和歌山県]])道成寺ゆかりの伝説である<ref name=nipponica/>。
 
原型とされる[[平安時代]]の『[[大日本国法華験記]]』(『法華験記』)『[[今昔物語集]]』所収の[[説話]]には<ref name=shimura/><!--"古くは『本朝法華験記』/?"-->{{sfnp|馬淵|国東|稲垣|2008|p=49|ps=<!--" 話の原型は平安時代の仏教説話集『法華験記』にあり、..のちに安珍・清姫説話として広く享受され"-->}}、[[熊野詣で|熊野参詣]]の僧と、宿の寡婦とだけ記され、名は言及されていない{{sfnp|志村|2007a|p=153}}<ref name=hinata-genki/>。安珍の僧名は『[[元亨釈書]]』([[1322年]])が初出で{{sfnp|三田村|1911|p=276}}、清姫の名は[[1742年]]初演の浄瑠璃に初めて見える{{sfnp|林|2005|p=113}}。よって安珍清姫の名を冠した作品や絵巻物等の稿本は、おおむね江戸時代以降ということになる。
 
室町時代の『[[道成寺縁起]]』(上下巻、絵巻、[[重要文化財|重文]])でも、主人公らは無名である{{efn2|奥州の無名僧と清次の娵(女房)とあるのみ。}}<ref name=dojojiengi-text/>{{sfnp|浜下|1998|p=130}}。
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[[能]](謡曲『道成寺』)、[[歌舞伎]](『[[娘道成寺]]』、総じて「道成寺物」という作品群)、[[浄瑠璃]](『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』『道成寺現在蛇鱗(げんざいうろこ)』)など、後世にさまざまな題材にされてきた<ref name=nipponica/><ref name=sanseido/>。
 
道成寺では、絵巻物(後期の写本・摸本類)を見せながら[[絵解|絵解き]]説法をおこなっているが{{Refn|group="注"|古くから行われた絵解きは室町時代絵巻も使ったとする論旨もあるが{{sfnp|林|2020|p=203-204}}、これには懐疑的な意見も呈される<ref name=fukuda/>。}}{{sfnp|林|2020|p=203-204}}。現在は昭和の時代に文言を多少[[アレンジ]]して作成された「千年祭本」および、書写は新しいが古形にちかい「道成寺縁起絵とき手文」が使用され台本としてあものの{{sfnp|林|1984|p=13}}<ref name=komine/>、実践においては台本通りでない(例えば清姫が年齢13歳であるというこの両本にある記述は口にされない)<ref name=tokuda/>。
 
「略縁起」と名のつく稿本も複数存在する{{sfnp|林|2020|pp=203-204}}{{Refn|group="注"|例えば「紀州日高郡道成寺御建立畧縁起(りゃくえんぎ)」<ref name=hidakagun_dojoji_gokonryu_ryakuengi/>や異本としては「安鎭清姫畧物語」が伝説を記したものである{{sfnp|林|2020|pp=203-204}}。なかでも豪俔(1654年没)「道成寺御建立略縁起』」は、「創建縁起」の最古の例とされる<ref name=oohashi2017/>(室町絵巻の上下本には、道成寺の創建のいきさつが解かれるわけではない)。創建伝承は例えば「紀伊國日髙郡吉田村 鐘巻道成寺縁起」にも見える{{sfnp|林|2020|pp=203-204, 207}}。}}。また、絵解きの影響で、江戸時代にはこの伝説が「略縁起」の形で刊行され、数多く頒布されてきた{{sfnp|林|2020|pp=203-204}}。
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=== 安珍・清姫のなれそめ ===
[[醍醐天皇]]の御代、[[延長 (日本)|延長]]6年([[928年]])夏の頃{{Refn|この具体的な時代設定は室町期「道成寺縁起」絵巻以降にみえるが{{sfnp|浜下|1998|pp=131-132}}、道成寺の絵解き台本のうち昭和四年作成「千年祭本」では「今よ り一千年の昔し人皇六拾代醍醐天皇御代」という文句になっている<ref>{{harvp|林|1981|p=44}}; {{harvp|林|1984|p=28}}</ref>。}}<ref name=sanseido/>{{sfnp|志村|2007b|p=148}}。[[陸奥国|奥州]]白河(現[[福島県]][[白河市]])より安珍という僧が熊野に参詣に来た{{Refn|group="注"|千年祭本では"見目うるはしき山伏の安珍"({{harvp|林|1981|p=44}})}}。この僧は大変な美形であった。[[紀伊国]][[牟婁郡]](現在の和歌山県[[田辺市]][[中辺路]]、[[熊野街道]]沿い)[[熊野八庄司|真砂(まなご、まさご)の庄司]]清治/清次の娘清姫{{Refn|group="注"|年齢、宿を借りた安珍を見て一目惚れし、女だてら文献[[夜這い]]をかけ拠っ迫る13歳, 16歳など様々安珍"現行の絵解きで清姫身ゆえ年齢当惑しは触れないが必ず帰り二種の絵解き台本には立ち寄ると口約束だけをしてそ「此姫十三の時、又僧の参られま去っ」(『道成寺縁起絵とき手文』)、「清治と申す人の姫で、時に年拾三歳で御座まし」 (千年祭本『道成寺縁起絵とき』)"<ref name=nipponicatokuda>{{harvp|徳田|1986|p=200}}; {{harvp|徳田|1997|p=209}}</ref>。酒井家旧蔵本『賢学草子』等では「姫君十六になり侍るに」とあり{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|p=59}}、その写本である『道成寺絵詞』でも当然16歳である{{sfnp|三田村|1911|p=283}}。"[[常磐津]]"だと清姫は「十六七な、白歯の振袖の女の娘」{{sfnp|三田村|1911|p=272}}
}}、宿を借りた安珍を見て一目惚れし、女だてらに[[夜這い]]をかけて迫る。安珍は僧の身ゆえに当惑し、必ず帰りには立ち寄ると口約束だけをしてそのまま去っていった<ref name=nipponica/>。
 
=== 清姫の怒りと追跡 ===
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==== 切目川より ====
; (切目王子~上野~塩屋){{Refn|group="注"|{{harvp|千野|1981}}: "切目川、上野、塩屋、と南から少しずつ北上し、道成寺のある小松原に下り、そして日高川に行きあたる、という構成をとっていたと思われる"。}}
<!--典拠とした百科事典の類では(日高川場面にくるまで)触れないような細部であるが-->当寺では地元の地名をいくつもからめてこの道中が伝えられる。姫は切目川を渡り<ref>{{harvp|林|1981|p=46}}:" 脛(はぎ)もあらわに、裾からげなき川にとび入って"との描写が千年祭本にある。室町絵巻本では「切目川」の地名が台詞にでる程度</ref>、[[切目王子|切目五体王子]]の神社の先(北西)の[[名田村|上野]]という場所で追いつき{{Refn|group="注"|"野田村上野と申す所にてたづね求むる/安珍に追付きまし"と昭和の千年祭本にみえるが{{harvp|林|1981|p=46}}、すでに室町期の絵巻にも"こゝは上野といふ所"と書き添えられている<ref name=dojojiengi-text/>。じっさいに該当する地名は「野田村」でなく旧・[[名田村]]大字上野(現今の[[御坊市]]名田町上野)<ref name=kineya/>。絵解き台本には"当寺より道二里程下上野と云う處"と語るものもある{{sfnp|林|1984|p=21}}}}、あのときの御房(僧)でないかと声をかける。しかし記憶にない、人違いだ<!--人たがへ-->と否認したため、姫は激昂して火煙(火炎<ref name=hidakagun_dojoji_gokonryu_ryakuengi/>)を吹きはじめ<ref>{{harvp|林|1981|p=46}}; {{harvp|林|1984|p=30}}</ref>{{Refn|group="注"|この上野の場面:千年祭本では清姫"遂に口より火煙を吹"いたゆえだが<ref name=hayashi-fire>{{harvp|林|1981|pp=46-47}}; {{harvp|林|1984|p=31}}</ref>、室町時代絵巻では女房は単に恐ろしい形相になっているゆえに<ref name=dojojiengi-text/>、安珍/無名僧は神仏([[金剛杵|金剛童子]]と観世音)を唱える<ref name=dojojiengi-text/>。}}、安珍は恐怖をなして念仏(「南無{{仮リンク|金剛童子|en|Vajrakilaya|preserve=1}}」、次いで「南無観世音」<ref name=hayashi-fire/>等)を唱える{{Refn|上野の場面:絵解き(千年祭本)や室町絵巻本では、既述したように金剛童子と観世音だが<ref name=hayashi-fire/><ref name=dojojiengi-text/>、略縁起系では熊野権現・観音である<ref name=hidakagun_dojoji_gokonryu_ryakuengi/>。}}。その甲斐あって([[塩屋村 (和歌山県)|塩屋]]に<ref name=hidakagun_dojoji_gokonryu_ryakuengi/><ref name=yoshida-dainihon_chimei_jisho/>)逃れるが<ref name=bukkyo_fukyo_taikei/>、見失ったことに怒りをつのらせた清姫が、ここで(首から上が<ref name=hidakagun_dojoji_gokonryu_ryakuengi/>)蛇と化する<ref name=hayashi-shioya>{{harvp|林|1981|p=47}}; {{harvp|林|1984|p=31}}</ref>{{efn2|塩屋の場面:蛇を目にしたと安珍/無名僧が言いつつ大悲権現(これも観音菩薩の異称)への念仏を、"蛇となれるを見つつ、声も惜しまず"わめく、と絵解き千年祭本にも室町絵巻本にもある<ref name=hayashi-shioya/><ref name=dojojiengi-text/>}}。
 
==== 日高川 ====
安珍は[[日高川]]で[[渡し船]]に頼みこみ渡ってしまい<ref>{{harvp|林|1981|p=47}}; {{harvp|林|1984|p=32}}: 舟渡しは「ちけし」という名で[[御坊市#岩内|岩内}}の者と千年祭本記述(同じく室町絵巻本にも"「ちけし」と申て「いわうち」にありける")。</ref>、清姫がやってきて河川に身を投じて追いかける大場面となる<ref>{{harvp|千野|1981}}: "日高川に纏わる諸段のなかでも特に印象深い場面を挙げれば、女が思いを定めて日高川へ身を投げる、あの場面(図 3 )であろう"。</ref><!--ニッポニカ百科事典でも触れるのが日高川越しの追跡。-->{{efn2|「日高河」の場面は、月岡芳年、[[村上華岳]]等により画題にされている。}}。
 
現代の絵解き(千年祭本)だとここで熊野権現への祈り{{Refn|group="注"|室町絵巻ではここでで熊野権現を念じていないが<ref name=dojojiengi-text/>、三所権現(熊野権現)に助けを乞う記述は酒井家旧蔵本「賢学草子絵巻(日高川草紙絵巻)」にみえる{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|p=61}}{{sfnp|千野|1981}}。}}が通じて、清姫がいわば不動[[金縛り]]になった隙に逃げ出す、という脚色があるかわりに<ref>{{harvp|林|1981|p=46}}: "熊野権現を念じました。功力に依りまして清姫にはたちまち、眼くらみ、足立たず、息も苦しく詮方なく、路傍の石に腰を下して休みました。その虚に乗じて安珍には一目散に逃げて参ります"。</ref>{{Refn|小峰:"『縁起絵巻』とは異る"部分<ref name=komine/>。}}、脱衣するという表現をさけて「かような姿になった」と絵を指し示す演出になっているが<ref>{{harvp|林|1981|p=46}}: "遂にかやうな姿となりまする。/ (ト次ノ場ヲ開ク)"</ref>、もとは清姫が衣服を川辺に脱ぎ捨てて全身もろとも毒蛇となり、日高川を渡る場面となっている<ref>道成寺縁起絵とき手文。"身にかけたる衣をこゝえぬいで捨て参りまして大毒蛇となり.. 日高川え飛び入り" ({{harvp|林|1984|p=22}})。</ref>{{Refn|group="注"|日高川渡りの場面は、平安時代の説話には無く、室町期の「道成寺縁起」絵巻に盛り込まれたと考察されている。この絵巻では最初追いついたとき頭と上半身が蛇となり、日高川を渡ろうと全身蛇と化した、と解釈される{{sfnp|浜下|1998|p=132}}。}}
 
=== 道成寺の鐘・最期 ===
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原型(平安時代の説話)から、やがて道成寺の[[寺社縁起|縁起]]物(室町時代から江戸時代)に発展した<ref name=ozaki/>。江戸期の写本や摸本を数多く道成寺では所蔵する<ref name=wakayama-museum-tokubetsuten-list/>。
 
なかでもとりわけ有名な稿本は、道成寺蔵道成寺縁起(絵巻、2巻2軸、重文)であるが{{Refn|group="注"|解説者によって様々に呼ばれているので名称にぶれがあるが、国の重要文化財としての登録題名は「紙本著色道成寺縁起」二巻である<ref name=oohashi2021/>。}}<ref name=oohashi2021/>、これは寺伝では[[応永]]十年([[1403年]])
[[後小松天皇]]の[[宸筆]]により書きしたためられたもので絵は伝・[[土佐光重]]筆だが、現代の検証では16世紀前半ないし15世紀後半の成立と推察される<ref name=oohashi2017/><ref name=kanagawa_u/>。
 
道成寺縁起では、主人公の女は{{読み仮名|真砂|まさご/まなご}}の清次の「{{linktext|娵}}」(よめ)である{{Refn|group="注"|だが「娵」の正しい読みは、「よめ」であるにかかわらず、道成寺では「むすめ」と訓じて来た経歴がある<ref name=tanaka_i1929/>。原文にはその家の女房(仕える女)ともみえる{{sfnp|浜下|1998|p=131}}。}}、相手は奥州出身の美男子な僧(「見目能僧」)と記される{{Refn|「紀伊國室)の郡(むろのこほり)」の「眞砂と云所」の宿の「亭主清次庄司と申人の娵」<ref name=dojojiengi-text/>}}<ref>『続日本の絵巻24 [[桑実寺]]縁起 [[道成寺]]縁起』([[小松茂美]]編、[[中央公論社]])に詳しく紹介されている。</ref>{{sfnp|安田|1989|p=3}}{{sfnp|徳田|1997|pp=204, 207}}。{{sfnp|浜下|1998|p=131}}。女は僧に「かくて渡らせたまえ」(しばらくいらしてください)と迫るが、これは夫になってくれとの口説きだと解釈される。後日、再会を約束したはずの僧はとうに通り過ぎて行った知って出立した女房は、[[切目王子]]の社を過ぎた上野という場所{{Refn|group="注"|旧・[[名田村]]大字上野(現今の[[御坊市]]名田町上野)<ref name=kineya/>。}}で追いつき呼びかけたが、僧は頭巾、負[[厨子]]、念珠などをかなぐり捨てて逃げたので、女は上体蛇と化し火を吹いて追いかけた。僧は[[塩屋村 (和歌山県)|塩屋]]を過ぎ、[[日高川]]を船で渡って逃げたが、女は衣を脱ぎ捨て全身蛇体となって泳ぎわたる<ref>(以上、絵巻の上巻){{harvp|田中|1979|p=19}}; {{harvp|浜下|1998|p=131}}にほぼ同文で転載</ref>。以上の部分も、残りの部分も{{efn2|絵巻の上巻・下巻のそれぞれ内容}}、上述の安珍清姫伝説と比べて大きな違いえは無い。僧は道成寺に駆け込んでかくまわれ、鐘の中に隠されるが、女房の大蛇は尾で堂の戸を壊し、鐘の{{読み仮名|竜頭|りゅうず}}を{{読み仮名|銜|くわ}}えては鐘に巻きつき尾でこれを打ち鳴らすと火焔がまきおこった。「3[[刻|時]]あまり」(6時間余?{{Refn|林雅彦の論文では"三時(六時間)余り"と注釈するが{{harvp|林|2005|p=114}}、浜下論文では"3時間ばかり"、和歌山県立博物館ニュースの訳では「一時間半ほど」<ref name=dojojiengi-text/>。『大日本法華験記』の原文では「兩三時計」(二、三どきばかり)尾で竜頭を叩いていた<ref name=hokke_genki/>となっているが[[三田村鳶魚]]はこれを「半日ばかり」と釈義している<!--「兩三日(りゃうさんにち)」は「二三日(にさんにち)」であるとしている-->{{sfnp|三田村|1911|pp=274-275}}。『今昔物語集』}})経ってやっと大蛇は「両眼より血の涙を流し」離れていったが、鐘を消火してみると骸骨だけの炭のような遺体がみつかった(以下略)<ref>(以上、絵巻の下巻){{harvp|田中|1979|p=19}}; {{harvp|浜下|1998|pp=131-132}}にほぼ同文で転載</ref>。
 
異本である酒井家旧蔵賢学草子絵巻(伝・[[土佐広周]]筆<ref>[[#kogabiko|古画備考 巻33]] 土佐家・土佐廣周「道成寺縁起二巻」の段、[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2591618/32 23頁b面]</ref><ref name=bunka-db-ekotoba/>{{Refn|group="注"|「'''道成寺絵詞'''」(天保12年)はその写本<ref name=bunka-db-ekotoba/><ref name=oohashi2021/><!--大橋はこの転写本のほうを"土佐広周画本"と読んでいるのでまぎらわしい-->。}})では、「姫君」と「{{読み仮名|賢学|けんがく}}」とあり、関連本である武蔵野大学本もまた然りである{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|pp=58-63}}。この両本は本文において様々な相違がみられるが、ともに「古寺」とあり「道成寺」と明記されない、にもかかわらず、酒井家旧蔵本には「右、道成寺之絵一巻者..」との加証識語が加えられている{{efn2|ただし酒井家旧蔵本(やその多くの写本)は前欠(冒頭分が欠損する)である。}}{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|pp=58-61}}<ref name=oohashi2021/>。
 
「道成寺縁起」の異本にはまた[[根津美術館]]蔵の賢学草子(または「日高川草紙」と称す)があり、[[遠江国]][[新居宿|橋本宿]]の長者の娘「花ひめ(花姫)」と、三井寺の若き僧「けんかく(賢学)」となっている{{sfnp|安田|1989|p=3}}<ref name=kobayashi/>。賢学は花姫と結ばれる運命を知りこれが修行の妨げとなることを恐れ、幼い花姫を亡き者にしようと胸を刺して逃げる。その後賢学は一目惚れした娘と結ばれるが彼女の胸の傷から成長した花姫その人であると気付き彼女を捨てて熊野へ向かう。花姫は彼を追い、ついに蛇となって日高川を越えて追いすがる。とある寺に逃げこんだ賢学は鐘の中に匿われるが、蛇と化した花姫は鐘にとぐろを巻いてそれを湯のごとく溶かし、賢学を掴みだしたのち、川底へと消えていった。その後弟子たちが二人を供養したという{{sfnp|勝田|1982|p=28}}<ref name=kobayashi/>。安珍清姫伝説に比べて宗教色が希薄で「御伽草子」的要素が強い話である<ref>[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/100889|title=日高川草紙 ひだかがわそうし 和歌山県立博物館所蔵]文化遺産オンライン</ref>。
 
=== 安珍・清姫の名の嚆矢===
これらのいずれにおいても安珍・清姫の名はまだ見られず、安珍の名の初出は『[[元亨釈書]]』([[1322年]])である。ただし鞍馬寺に居たことになっており{{sfnp|三田村|1911|p=276}}<ref name=shimura/>{{Refn|『元亨釈書』巻一九「釈安珍」{{sfnp|徳田|1997|p=207}}。}}<ref name=genko_shakusho/>、後の奥州白川の僧という設定と異なっている。また、出身はみちのくであるが(現・宮城県[[角田市]][[藤尾村 (宮城県)|藤尾]]<!--典拠では[[伊具郡]]藤尾だが、これは旧地名で、現今の郡内になく分立した角田市にある-->の[[住吉神社 (角田市)|東光院]]の山伏・住持)、京都の鞍馬寺で修行したと辻褄を合わせている民話が角田市界隈に伝わる{{sfnp|及川|1958|p=50}}。
 
清姫の名の初出は[[並木宗輔]]作の[[浄瑠璃]]『道成寺現在蛇鱗』([[寛保]]2/[[1742年]]初演)とされる{{sfnp|林|2005|p=113}}。浄瑠璃『道成寺現在蛇鱗』([[宝暦]]9/[[1759年]])にも清姫の名はみえる{{sfnp|三田村|1911|p=183}}。なお、清姫の名は、その父親の名とされる庄司の清次からとられていると提唱される{{sfnp|三田村|1911|p=183}}{{Refn|group="注"|父親の名が清次だという根拠は不詳だが、一説では道成寺の能の原作者とも目される[[観阿弥]](秦清次)と符合する、との[[三田村鳶魚]]の考察がある{{sfnp|三田村|1911|p=183}}。(観阿弥(1384年没)について、三田村は、結城治部秦清次の死没を応永十三年(1406年)五月十五日との記載を是とし、道成寺の能の原作者と断定する{{sfnp|三田村|1911|p=176}}。よって「まなごの庄司」という名を登場させたのは秦清次が初めてである{{sfnp|三田村|1911|p=280}}(すなわち「道成寺縁起」絵巻より前)と説いている。ただ、観阿弥ではなく後の世代([[世阿弥]]、[[観世小次郎信光]])の作であると諸説あるので<ref name=kurosawa/>、そうなると時代がずれて三田村の考察も狂ってくる。}}。
清姫の名の初出は[[並木宗輔]]作の[[浄瑠璃]]『道成寺現在蛇鱗』([[寛保]]2年〈[[1742年]]〉初演)とされる{{sfnp|林|2005|p=113}}。
 
=== 伝承内容の相違 ===
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芸能を主に、様々な作品の題材として広く採りあげられた。前記「後日談」の部分が用いられることが多く、そのため安珍を直接舞台に出すことなく女性の怨念の物語として世界を展開することができた。
 
* [[能]] : 『鐘巻』(廃曲だが復元が試みられている)。これを大幅に省略した謡曲『[[道成寺 (能)|道成寺]]』のみが逸失せず伝わる<ref name=nishino/>。『鐘巻』については、従来は[[観阿弥]](1384年没)、[[世阿弥]](1443年没)の作とされてきたが、[[観世小次郎信光]](1516年没)([[横道萬里雄]]説)も有力視されており<ref name=kurosawa/>、これだと成立年代もだいぶ下ることになる
* [[長唄]] : 『紀州道成寺』
* [[常磐津]]:『道成寺伝授ノ睦言』<!--[[桜田治助]]作。寛政10年(1798)5月初演(江戸・中村座)。-->
* [[荻江節]] : 『鐘の岬』
*義太夫節 : 『[[日高川]]』 ※このページの冒頭に表示されている画像は、このお芝居の一場面である。
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<ref name=komine>{{citation|和書|last=小峯 |first=和明 |authorlink=小峯和明 |title=中世説話文学と絵解き |work=絵解き |series=一冊の講座. 日本の古典文学 3 |publisher=有精堂 |date=1985 |url=https://books.google.com/books?id=MBU6AAAAMAAJ&q=道成寺 |pages=22-23<!--pp. 13-26-->}}</ref>
 
<ref name=konjaku>『今昔物語集』第十四「紀伊國道成寺僧寫法華救蛇」(原文)。{{harvp|屋代|1908}}「道成寺考」『燕石十種』所収、450-453頁; {{citation|和書|chapter=紀伊國道成寺僧寫<sub>二</sub>法花<sub>一</sub>救<sub>レ</sub>su虵語第三 |title=今昔物語(源隆国) |series=国史大系 16 |publisher=経済雑誌社 |date=1901 |url=https://books.google.com/books?id=qs4tAAAAYAAJ&pg=PP821 |pages=753-756}}; {{harvp|馬淵|国東|稲垣|2008|pp=38–49}}</ref>
 
<ref name=kurosawa>{{citation|和書|last=黒沢 |first=幸三|author-link=<!--黒沢幸三--> |title=道成寺説話の考察 |journal=古代文化 |publisher=古代學協會 |volume=24 |number=9 |issue=46 |date=1972 |url=https://books.google.com/books?id=ZElDAQAAIAAJ&q=鐘巻+観阿弥 |page=247<!--241–252-->}}; {{citation|和書|last=黒沢 |first=幸三|author-link=<!--黒沢幸三--> |author-mask=2 |title=日本古代の伝承文学の研究 |publisher=塙書房 |year=1976 |url=https://books.google.com/books?id=2qsFAAAAMAAJ&q=鐘巻+観阿弥 |page=345}}</ref>
 
<ref name=mabuchi&kunisaki&konno>{{citation|和書|editor1-last=馬淵 |editor1-first=和夫 |editor1-link=馬淵和夫 |editor2-last=国東 |editor2-first=文麿 |editor2-link=国東文麿 |editor3-last=今野 |editor3-first=達 |editor3-link=<!--今野達 Konno, Tōru-->|editor-mask=[[馬淵和夫]], [[国東文麿]], 今野達 校注・訳 |title=今昔物語集 |volume=1 |publisher=[[小学館]] |year=1971 |url=https://books.google.com/books?id=KIsqAQAAIAAJ&q=牟婁郡+未亡人 |pages= |series=日本古典文学全集 21}}</ref>
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<ref name=nipponica> {{citation|和書|last=松井 |first=俊諭 |authorlink=松井俊諭 |title=安珍清姫 |work=日本大百科全書(ニッポニカ) |publisher=小学館 |date=1994 |url=https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E7%8F%8D%E6%B8%85%E5%A7%AB-429511}}@コトバンク</ref>
 
<ref name=nishino>{{Cite journalcitation|和書|last=西野 |first=春雄 |author=[[author-link=西野春雄]] |title=<随想>《鐘巻》を復曲して |journal=日本文學誌要 |ISSN=0287-7872 |publisher=法政大学国文学会 |year=<!--dec -->1992 |monthissue=dec46 |issueurl=46https://doi.org/10.15002/00019657 |pages=105-108 |naid=110000208466 |doi=10.15002/00019657 |url=https://doi.org/10.15002/00019657}}</ref>
 
<ref name=oohashi2017>{{Cite journal|和書|author=大橋直義 |journal=国文研ニューズ |title=道成寺文書概観――特に「縁起」をめぐる資料について―― |journal=国文研ニューズ |number=49 |yeardate=Autumn 2017<!--October 2017--> |pages=4-5<!--1-16--> |url=http://id.nii.ac.jp/1283/00003372/ |publisher=人間文化研究機構国文学研究資料館 |issn=1883-1931}}</ref>
 
<ref name=oohashi2021>{{citation|和書|last=大橋 |first=直義 |authorlink=<!--大橋直義 Oohashi Naoyoshi--> |title=『道成寺縁起』書名―覚書 |journal=きのみなと<!-- : 紀州研 News Letter--> |volume=<!--通巻-->8 |number=|date=Spring 2021 |url=https://researchmap.jp/naoyoshi_oohashi/misc/32462561/attachment_file.pdf |page=3}}</ref>
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* {{citation|和書|last=千野 |first=香織 |authorlink=千野香織 |title=日高川草紙絵巻にみる伝統と創造 |trans-title=A Study on the Creation and the Succession in the Picture Scroll of the Tale of Hidaka-gawa |editor1-last=所 |editor1-first=三男 |editor1-link=所三男 |editor2-last=徳川 |editor2-first=義宣 |editor2-link=徳川義宣 |journal=金鯱叢書<!--Kinko Sōsho: Bulletin of The Tokugawa Reimeikai Foundation--> |number=8 |publisher=徳川黎明会 |date=1981 |url=https://books.google.com/books?id=2K0LAQAAMAAJ&q=道成寺縁起 |pages=831-869}}<!--(正しい頁は出ないが) alt-url=https://books.google.com/books?id=YOIMAAAAIAAJ&q=道成寺縁起-->
 
* {{citation|和書|last=徳田 |first=和夫 |authorlink=徳田和夫 |author-mask=2 |title=絵解きの仕組み (第五章 『道成寺縁起絵巻』の絵解き?作品の創作)と物語享受 |workjournal=岩波講座日本学史 |volume=1654 |publishernumber=12<!--中央と地方<特集>--> |date=19971986<!--01December 1986--> |page=191-204 |url=https://books.google.com/books?hl=ja&id=VqgPAAAAYAAJD6EMAAAAIAAJ&q=道成寺清姫+十三歳 |pagespublisher=202-214<!--pp. 191-214-->岩波書店}}
* {{citation|和書|last=徳田 |first=和夫 |authorlink=徳田和夫 |author-mask=2 |title=絵解きの仕組み (第五章 『道成寺縁起絵巻』の絵解き?作品の創作)|work=岩波講座日本文学史 |volume=16 |publisher= |date=1997-01 |url=https://books.google.com/books?hl=ja&id=VqgPAAAAYAAJ&q=道成寺 |pages=202-214<!--pp. 191-214-->}}
 
* * {{Cite journal|和書|author=浜下昌宏 |title=「道成寺」の<女>-変容の美学 |journal=女性学評論 |ISSN=09136630 |publisher=神戸女学院大学 |year=1998 |month=mar |volume=12 |pages=127-148 |naid=110000505168 |doi=10.18878/00002190 |url=https://doi.org/10.18878/00002190}}
 
* {{citation|和書|last=丸山 |first=顕徳 (和歌山担当) |authorlink=丸山顕徳 |chapter=2. 安珍清姫 (和歌山) |title=日本伝説大系 第9巻 南近畿編 : 三重・奈良・大阪・和歌山 |publisher=みずうみ書房 |date=1984<!--.12--> |url=https://books.google.com/books?id=-5T70lppZzEC&q=道成寺 |pages=24?30 |isbn=4-8380-1409-0<!--, 9784838014095-->}}
 
* {{citation|和書|last1=馬淵 |first1=和夫 |author1-link=馬淵和夫 |last2=国東 |first2=文麿 |author2-link=国東文麿 |last3=稲垣|first3=泰一 |author3-link=<!--稲垣泰一-->|author3-mask=<!--馬淵和夫; 国東文麿-->稲垣泰一 (校訂・訳) |chapter=道成寺の僧、法華経を写して蛇を救うこと(巻一四ノ三) |title=今昔物語 |series=日本の古典をよむ 12 |publisher=角川小学館 |date2008<!--2008-08--> |url=https://books.google.com/books?id=iX4RAQAAMAAJ&q=道成寺 |pages=38–49}}
 
* {{citation|和書|last=林 |first=雅彦 |authorlink=林雅彦 |title=〈翻刻〉絵とき台本「道成寺縁起絵とき(千年祭本)」 |journal=明治大學教養論集 |number=146<!--通号;日本文学特集--> |date=1981 |url=https://books.google.com/books?id=t_ZAAQAAIAAJ&q=道成寺 |pages=41-52}}