「陳和卿」の版間の差分

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[[建保]]4年([[1216年]])[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]、鎌倉に赴き「当将軍は権化の再誕であり、恩顔を拝みたい」と第三代将軍[[源実朝]]への拝謁を希望した。そして[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]に実朝に拝謁した際、実朝を三度拝み、泣き出した。実朝はその行動に辟易したが、陳は「貴方は昔[[宋 (王朝)|宋朝]][[阿育王寺|育王山]]の長老であった。その時、我はその門弟に列していた」と述べた。それは実朝がこの5年前に見た夢に出てきた高僧の言葉と同じであり、その夢のことを実朝は誰にも話していなかったため、実朝の信任を得た。
 
同年[[11月24日 (旧暦)|11月24日]]、渡宋を思い立った実朝に命じられて大船を建造し始める。翌建保5([[1217年]])[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]に完成し、[[由比ヶ浜]]で曳航させたものの、船は海に浮かばず、砂浜で朽ち損じてしまった。その後は消息不明。経歴には不明な点が多い。
 
== 作品 ==