「男爵」の版間の差分

→‎男爵家の一覧: 福井藩付家老本多家は諸侯になっていないため表現調整
編集の要約なし
(→‎男爵家の一覧: 福井藩付家老本多家は諸侯になっていないため表現調整)
タグ: 差し戻し済み
**旧[[交代寄合]]だった旧大名華族(6家) - 江戸時代に交代寄合だった家のうち以下の6家は、1868年(慶応4年・明治元年)6月20日から11月20日の間に戊辰戦争で官軍に協力した功績で加増されたり、「高直し」で石高が万石以上になったことを政府に申告して認めてもらったことなどにより大名として立藩して華族に列していた{{sfn|浅見雅男|1994|p=37-38}}{{#tag:ref|交代寄合ではないが、[[高家]]旗本の[[大沢家]]も3550石(実高5485石)の家禄を1万6石に「高直し」したことを政府に申告して[[堀江藩]]を立藩し華族に列していたが、明治4年に大沢家が増えたと主張していた4521石は[[浜名湖]]の水面だったことが発覚。大沢家は「浜名湖では魚が採れる」と弁明したが、認められず同年11月29日に華族の身分を剥奪されて士族に落とされ、当主[[大沢基寿]]は禁固1年、関与した3人の家臣が禁固1年半に処された{{sfn|浅見雅男|1994|p=39}}。|group="注釈"}}。しかし彼らは江戸時代から大名だった家とは区別されて「一新後華族二列セラレタル者」として男爵位を与えられた。数字は江戸時代の交代寄合としての家禄と立藩した後の藩名と家禄である。
**:'''[[池田徳潤|池田家]]'''(6000石→播磨[[福本藩]]1万573石。1894年返上)、'''[[生駒氏|生駒家]]'''(8000石→出羽[[矢島藩]]1万5200石)、'''[[平野氏#北条氏族|平野家]]'''(5000石→大和[[田原本藩]]1万1石)、'''[[本堂氏|本堂家]]'''(8000石→常陸[[志筑藩]]1万110石)、'''[[山崎氏#近江国の山崎氏|山崎家]]'''(5000石→備中[[成羽藩]]1万2746石)、'''[[山名氏|山名家]]'''(6700石→但馬[[村岡藩]]1万1000石)
**[[陪臣]]だった旧大名武家華族(7家) - 江戸時代を通じて[[御附家老|付家老]]たちは独立諸侯として認められない立場に不満を持ち続け、その独立意識は旺盛で主家をないがしろにする行動が多かった。幕末の王政復古は彼らにとって独立諸侯となる千載一遇のチャンスであり、また権力基盤が不安定だった新政府にとっても彼らを味方に付ける意味は大きく、利害が一致して慶応4年1月24日に本多家{{#tag:ref|福井藩付家老の本多家は諸侯とはされず士族に編入されたが、[[武生騒動]]を経て1879年に特旨を以て華族に列せれた。|group="注釈"}}以外の5家は政府により独立諸侯と認められた{{sfn|浅見雅男|1994|p=36}}。吉川家も王政復古に際して勲功があったので慶応4年3月13日に独立諸侯と認められた{{sfn|浅見雅男|1994|p=36}}。ただしこれら旧陪臣系諸侯は旧交代寄合系諸侯と同様、江戸時代から諸侯だった家とは区別されて「一新後華族二列セラレタル者」として男爵位を与えられた(吉川家と成瀬家については維新の功績により1891年に子爵に陞爵){{sfn|浅見雅男|1994|p=36/262}}。
**:'''[[安藤直行|安藤家]]'''([[紀伊田辺藩]]。[[紀州藩]]付家老)、'''[[吉川氏|吉川家]]'''(周防[[岩国藩]]。[[長州藩]]の一門家臣。1891年子爵)、'''{{Ruby|[[竹腰正己|竹腰家]]|たけのこし}}'''(美濃[[今尾藩]]。[[尾張藩]]付家老)、'''[[中山氏#水戸藩附家老の中山氏|中山家]]'''([[常陸松岡藩]]。[[水戸藩]]付家老)、'''[[成瀬氏|成瀬家]]'''(尾張[[犬山藩]]。尾張藩付家老。1891年子爵)、'''[[本多副元|本多副元家]]'''(福井藩付家老)、'''[[水野忠幹 (紀伊新宮藩主)|水野家]]'''([[紀伊新宮藩]]。紀州藩付家老)
*国家二勲功アル者