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[[応仁]]元年([[1467年]])からの[[応仁の乱]]では、一色義直は若狭守護[[武田信賢]]との確執から西軍に味方したため、8代将軍[[足利義政]]により丹後・伊勢守護職を解かれ、東軍の下で新丹後守護となった武田信賢の激戦が続き、北伊勢でも新守護[[土岐政康]]との合戦が続いた。
一方、義遠は尾張知多郡の軍勢を率いて、[[細川成之]]の所領の三河に侵攻した。応仁2年([[1468年]])2月に東軍は一色義直が領する尾張知多郡
文明6年([[1474年]])和睦交渉の結果、若狭守護[[武田国信]]が奪った丹後の所領は一色氏に返還する事となった。さらに、三河では一色氏が戦いを優勢に進め、文明8年(1476年)9月、東軍[[細川成之]]の三河守護代[[東条国氏]]が三河で切腹し、細川成之が幕府への出仕を停止するという事件が起きている。
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