「安珍・清姫伝説」の版間の差分

安珍/鎮→『安鎮清姫略物語』に訂正→‎釣鐘の顛末: ニッポニカは"鐘を焼き溶かし"とし、石燕も鐘は"とけて湯と"なったとする. →‎安珍・清姫の名の嚆矢: 安珍は山伏か→テキストにはないが絵巻でも山伏姿に描かれている
(再構成: →‎あらすじ: のあらすじを濃縮、「ニッポニカ」「三省堂百科」「佛教布教大系」に近い部分だけ残し、『道成寺縁起』や絵解き台本由来の部分は →‎道成寺縁起: に移動する. →‎史跡: 蛇塚+)
(安珍/鎮→『安鎮清姫略物語』に訂正→‎釣鐘の顛末: ニッポニカは"鐘を焼き溶かし"とし、石燕も鐘は"とけて湯と"なったとする. →‎安珍・清姫の名の嚆矢: 安珍は山伏か→テキストにはないが絵巻でも山伏姿に描かれている)
=== 安珍・清姫の名の嚆矢===
これらのいずれにおいても安珍・清姫の名はまだ見られず、安珍の名の初出は『[[元亨釈書]]』([[1322年]])である。ただし鞍馬寺に居たことになっており{{sfnp|三田村|1911|p=276}}<ref name=shimura/>{{Refn|『元亨釈書』巻一九「釈安珍」{{sfnp|徳田|1997|p=207}}。}}<ref name=genko_shakusho/>、後の奥州白川の僧という設定と異なっている。また、出身はみちのくであるが(現・宮城県[[角田市]][[藤尾村 (宮城県)|藤尾]]<!--典拠では[[伊具郡]]藤尾だが、これは旧地名で、現今の郡内になく分立した角田市にある-->の[[住吉神社 (角田市)|東光院]]の山伏・住持)、京都の鞍馬寺で修行したと辻褄を合わせている民話が角田市界隈に伝わる{{sfnp|及川|1958|p=50}}。
 
安珍を[[山伏]]とみるべきか、そうでなしかとみるべきか考察があるが<ref>「二 坊主か山伏か」の条、{{harvp|三田村|1911|pp=273–279}}</ref>、能楽の『道成寺』で「山伏」と設定されている{{sfnp|三田村|1911|p=276}}<ref name=noh-dojoji-handwritten/>{{efn2|三田村は『道成寺』を観阿弥(秦清次)作とする説をとるので、『道成寺縁起』絵巻より古いとしている。}}。草紙では『道成寺縁起』絵巻<ref name=dojojiengi-text/>や『賢学草子』の詞に{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|岩城|2015}}「山伏」としていないが、挿絵は山伏姿に描かれている{{sfnp|三田村|1911|p=279}}<ref name=watakushitachi-no-densetsu/>{{Refn|『賢学草子』の摸本とみなされる『道縁起縁起絵詞』の模写は『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563503/43 紀伊国名所図会]』で確認できる(着色はないが、色情報が付記されている)。}}。
 
清姫の名の初出は[[並木宗輔]]作の[[浄瑠璃]]『道成寺現在蛇鱗』([[寛保]]2/[[1742年]]初演)とされる{{sfnp|林|2005|p=113}}。浄瑠璃『道成寺現在蛇鱗』([[宝暦]]9/[[1759年]])にも清姫の名はみえる{{sfnp|三田村|1911|p=183}}。なお、清姫の名は、その父親の名とされる庄司の清次からとられていると目される{{sfnp|黒沢|1972|p=249|ps=<!--: "清姫とはおそらく『道成寺縁起』の荘司清次にヒントを得て作られた名前であろう。"-->}}{{sfnp|三田村|1911|p=283}}{{Refn|group="注"|父親の名が清次だという根拠は不詳だが、一説では道成寺の能の原作者とも目される[[観阿弥]](秦清次)と符合する、との[[三田村鳶魚]]の考察がある{{sfnp|三田村|1911|p=283}}。(観阿弥(1384年没)について、三田村は、結城治部秦清次の死没を応永十三年(1406年)五月十五日との記載を是とし、道成寺の能の原作者と断定する{{sfnp|三田村|1911|p=176}}。よって「まなごの庄司」という名を登場させたのは秦清次が初めてである{{sfnp|三田村|1911|p=280}}(すなわち「道成寺縁起」絵巻より前)と説いている。ただ、観阿弥ではなく後の世代([[世阿弥]]、[[観世小次郎信光]])の作であると諸説あるので<ref name=kurosawa/>、そうなると時代がずれて三田村の考察も狂ってくる。}}。
 
清姫の年齢は文献に拠って13歳, 16歳など様々である。"現行の絵解きでは清姫の年齢には触れないが、二種の絵解き台本には「此の姫十三の時、又僧の参られまして」(『道成寺縁起絵とき手文』)、「清治と申す人の姫で、時に年拾三歳で御座いました」 (千年祭本『道成寺縁起絵とき』)"とみえる<ref name=tokuda>{{harvp|徳田|1986|p=200}}; {{harvp|徳田|1997|p=209}}</ref>。『'''安清姫略物語'''』([[文政|文政]]年間の刊行)でも「わらはもはや今年十三歳に及べり」{{sfnp|三田村|1911|p=286}}{{sfnp|徳田|1997|p=210}}。また、酒井家旧蔵本『賢学草子』等では「姫君十六になり侍るに」とあり{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|p=59}}、その写本である『道成寺絵詞』でも当然16歳である{{sfnp|三田村|1911|p=283}}。"[[常磐津]]"だと清姫は「十六七な、白歯の振袖の女の娘」{{sfnp|三田村|1911|p=272}}。
 
草紙では系統に関わらず蛇は"本の所に去"りゆくだけなのに、台本系統では道成寺と八幡山の入江の橋の下に沈んで果てることになっている{{sfnp|小峰|1985|p=23}}<!--これも系統の如何を問わず、蛇は本の所に去るだけなのに反し、台本は「西の入江のあの橋の上より海中深く沈んで..」--> 。そしてその入江はのちに陸地となり、"田の中にありまする蛇塚(へびつか<ref name=kishu-no-densetsu/>/じゃつか<ref name=kiinokuni-meisho-zue-jatsuka>『紀伊国名所図会.』後編(五之巻)[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563503/41 其の二 蛇塚(じゃつか)の图(ず)]</ref>)"がその標榜だと伝える{{sfnp|小峰|1985|p=23}}。
=== 釣鐘の顛末 ===
[[ファイル:SekienDojoji-no-kane.jpg|right|thumb|180px|[[鳥山石燕]]『[[今昔百鬼拾遺]]』より「道成寺鐘」]]
[[鳥山石燕]]の妖怪画集『[[今昔百鬼拾遺]]』にも「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件の鐘が、石燕の時代には妙満寺に納められていることが述べられている<ref name="kyoutoyoukai"/>。
 
解説によっては、隠れ場所につかった道成寺の鐘は、清姫の炎によって[[融解]]してしまったと説くが<ref name=nipponica/>、『道成寺縁起』の文章では、上述したように何時間は燃えていたが水で消火して鐘を除けたことになっているので{{sfnp|浜下|1998|pp=131-132}}、鐘が残存したものととれる。
;後日談
 
安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った[[正平 (日本)|正平]]14年(1359年)の春、鐘を再興することにした。二度目の鐘が完成した後、[[女人禁制]]の鐘供養をしたところ、一人の[[白拍子]](実は清姫の怨霊)が現れて鐘供養を妨害した。白拍子は一瞬にして蛇へ姿を変えて鐘を引きずり降ろし、その中へと消えたのである。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心に祈念したところ、ようやく鐘は鐘楼に上がった。しかし清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上、付近に災害や疫病が続いたため、山の中へと捨てられた<ref name="kyoutoyoukai">{{Cite book|和書|author=[[村上健司]]|title=京都妖怪紀行 - 地図でめぐる不思議・伝説地案内|year=2007|publisher=[[角川書店]]|series=角川oneテーマ21|isbn=978-4-04-710108-1|pages=92-93頁}}</ref><ref name="myoumanji">{{Cite web|url=https://myomanji.jp/info/bell/index.html |title=安珍・清姫の鐘|publisher=[[妙満寺]]|accessdate=2021-9-2}}</ref>。
ところが能楽の『道成寺』では、"鐘は即ち湯となつて、終に山伏を取りお終んぬ"という描写になっている<ref name=noh-dojoji-handwritten/>{{sfnp|三田村|1911|p=277}}<ref name=noh-dojoji-handwritten/>。[[鳥山石燕]]の妖怪画集『[[今昔百鬼拾遺]]』にも「道成寺鐘」と題して伝説の絵図があり、安珍の隠れた鐘は、蛇と化した庄司の娘がまきついて、「鐘とけて湯となるといふ」としている<ref name=toriyama-eng/><ref name=toriyama/>、にもかかわらず、件の鐘は、石燕の時代には妙満寺に納められているという事も併せ述べられている<ref name="kyoutoyoukai"/>。
 
;==== 後日談 ====
安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った[[正平 (日本)|正平]]14年(1359年)の春、鐘を再興することにし、[[逸見万壽丸]]が寄進した<ref name="kyoutoyoukai"/>{{sfnp|三田村|1911|pp=278, 281}}。二度目の鐘が完成した後、[[女人禁制]]の鐘供養をしたところ、一人の[[白拍子]](実は清姫の怨霊)が現れて鐘供養を妨害した。白拍子は一瞬にして蛇へ姿を変えて鐘を引きずり降ろし、その中へと消えたのである。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心に祈念したところ、ようやく鐘は鐘楼に上がった。しかし清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上、付近に災害や疫病が続いたため、山の中へと捨てられた<ref name="kyoutoyoukai">{{Cite book|和書|author=[[村上健司]]|title=京都妖怪紀行 - 地図でめぐる不思議・伝説地案内|year=2007|publisher=[[角川書店]]|series=角川oneテーマ21|isbn=978-4-04-710108-1|pages=92-93頁}}</ref><ref name="myoumanji">{{Cite web|url=https://myomanji.jp/info/bell/index.html |title=安珍・清姫の鐘|publisher=[[妙満寺]]|accessdate=2021-9-2}}</ref>。
 
さらに二百年ほど後の[[天正]]年間。[[豊臣秀吉]]による根来攻め([[紀州征伐]])が行われた際、秀吉の家臣[[仙石秀久]]が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用い、そのまま京都へ鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くため、[[顕本法華宗]]の総本山である[[妙満寺]]に鐘を納めた<ref name="myoumanji"/>。
<ref name=nipponica> {{citation|和書|last=松井 |first=俊諭 |authorlink=松井俊諭 |title=安珍清姫 |work=日本大百科全書(ニッポニカ) |publisher=小学館 |date=1994 |url=https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E7%8F%8D%E6%B8%85%E5%A7%AB-429511}}@コトバンク</ref>
 
<ref name=nishino>{{citation|和書|editor-last=西野丸岡 |first=春雄editor-first=桂 |authoreditor-link=西野春雄丸岡桂 |titlechapter=<随想>《鐘巻》を復曲して道成寺 |journaltitle=日本文學誌要 |ISSN=0287-7872観世流謡曲全集 |publisher=法政大学国文学観世流改訂本刊行会 |yeardate=<!--dec -->19921926 |issue=46 |url=https://doidl.org/10ndl.15002go.jp/info:ndljp/00019657pid/1019671/111 |pages=105208-108 |naid=110000208466 |doi=10.15002/00019657 213}}</ref>
 
<ref name=noh-dojoji-handwritten>{{citation|和書|last=尾崎 |first=秀樹 |authorlink=尾崎秀樹 |title=さむらい誕生: 時代小説の英雄たち |publisher=講談社 |date=1965 |url=https://books.google.com/books?id=rlywlhCLbgcC&q清姫 |page=9}}</ref>
 
<ref name=oohashi2017>{{Citation|和書|last=大橋 |first=直義 |author-link=<!--大橋直義--> |title=道成寺文書概観――特に「縁起」をめぐる資料について―― |journal=国文研ニューズ |number=49 |date=Autumn 2017<!--October 2017--> |pages=4-5<!--1-16--> |url=http://id.nii.ac.jp/1283/00003372/ |publisher=人間文化研究機構国文学研究資料館 |issn=1883-1931}}</ref>
 
<ref name=sanseido>{{citation|和書|last= |first= |authorlink= |title=安珍清姫 |work=図解現代百科辞典 |volume=第壹 |publisher=三省堂|date=1994 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1869770/72 |page=128}}</ref>
<ref name=sanseido1908>{{citation|和書|last= |first= |authorlink= |title=日本百科大辭典<!--Nihon hyakka daijiten--> |volume=6 |publisher=三省堂 |date=1908 |url=https://books.google.com/books?hl=ja&id=5EU4AQAAMAAJ&dq=清姫 |page=}}</ref>
 
<ref name=shimura>{{citation|和書|last=志村 |first=有弘 |authorlink=志村有弘|title=異形の伝説: 伝承文学考 |publisher=国書刊行会 |date=1989 |url=https://books.google.com/books?id=-5T70lppZzEC&q=道成寺 |pages=14-15 }}</ref>
 
<ref name=takatsu>{{citation|和書|last=鷹巣 |first=純 |author-link=<!--鷹巣純 教授 Takasu Jun--> |title=寺社縁起と絵解き |journal=国文学 : 解釈と鑑賞 |volume=63 |issue=12 |date=<!--Jan-->1998 |url=https://books.google.com/books?id=yd2GAAAAIAAJ&q=道成寺+地名 |page=19<!--16-23-->}}</ref>
 
<ref name=toriyama>{{cite book|和書|author=鳥山石燕 |first= |authorlink=鳥山石燕 |chapter=道成寺(の)鐘|title=百鬼夜行拾遺(今昔百鬼拾遺)|volume=雲/上<!--1巻/全3巻--> |publisher=長野屋勘吉 |year=1805 |chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2551539/10 |pages=上ノ五}}</ref>
<ref name=toriyama-eng>{{citation|last=Toriyama |first=Sekien |authorlink=鳥山石燕 |others=translated by Hiroko Yoda; Matt Alt |chapter=Dōjōji-no-kane (The Bell of Dōjōji) |title=Japandemonium Illustrated: The Yokai Encyclopedias of Toriyama Sekien |publisher=Courier Dover Publications |year=2017 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=KkGjDQAAQBAJ&pg=PT150|page=172 |isbn10=0-486-81875-6 |isbn=978-0-4868-1875-7}}</ref>
 
<ref name=tanabe>{{citation|和書|last=田邉 |first=秀雄 |authorlink=田辺秀雄 |chapter=長唄「京鹿子娘道成寺」綱館の段 杵屋六佐衛門、杵屋六一朗 |title=日本の音 声の音楽 |volume=2 |publisher=音楽之友社 |date=1988 |url=https://books.google.com/books?id=j-IwAAAAMAAJ&q=清次庄司 |pages=<!--unpaginated-->|series=邦楽百科入門シリーズカセットブックⅡ}}</ref>
 
<ref name=wakayama-museum-tokubetsuten-list>{{citation|和書|author=和歌山県立博物館 |authorlink=和歌山県立博物館 |title=特別展「道成寺と日高川 ―道成寺縁起と流域の宗教文化―」出陳資料リスト |date=2017/10/12 |url=https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/dojoji/list.pdf}}</ref>
 
<ref name=watakushitachi-no-densetsu>{{citation|和書|editor=読売新聞社社会部 |title=わたくしたちの伝説 |publisher読売新聞社 |date=1959 |url=https://books.google.com/books?id=h0oEAAAAMAAJ&q=山伏姿 |page=86 |doi=10.11501/9543529}}</ref>
 
<ref name=yoshida-dainihon_chimei_jisho>{{citation|和書|last=吉田 |first=東伍 |authorlink=吉田東伍 |chapter=鹽屋/名田(野島・上野)|title=大日本地名辞書 |volume=上 |edition=2 |publisher=冨山房 |date=1907-10-17 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937057/378 |pages=739-740}}</ref>
* {{Cite journal|和書|author=河原木惠 |author2=鷹谷薫 |author3=張家瑜 |author4=明道拓実 |author5=岩城賢太郎 |title=武蔵野大学蔵『賢学草子』絵巻の紹介と研究 |trans-title=A study of Kengakusoshi Emaki(Scroll Painting) owned by Musashino University Department of Japanese Literature and Culture |journal=武蔵野大学日本文学研究所紀要 |ISSN=2188-7934 |publisher=武蔵野大学文学部日本文学研究所 |year=2015 |month=mar |issue=2 |pages=55-78 |naid=120006304500 |url=http://id.nii.ac.jp/1419/00000494/}}
 
* {{citation|和書|last=志村 |first=有弘 |authorlink=志村有弘 |title=近世文芸と唱導 : 道成寺伝説と安達ヶ原伝説を視座として |journal=国文学 : 解釈と鑑賞 |volume=72 |number=10<!--通巻917 唱導文化の展望--> |date=2007a-10 |url=https://books.google.com/books?hl=ja&id=2scqAQAAIAAJ |pages=149-156}}
* {{citation|和書|last=志村 |first=有弘 |authorlink=志村有弘 |author-mask=2 |title=道成寺、安珍・清姫説話の展開 |work=国文学年次別論文集: 国文学一般 |publisher=朋文出版 |date=2007b |url=https://books.google.com/books?id=v_gzAQAAIAAJ&q=清姫 |pages=147-153}}