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==== 宝塚記念 ====
有馬記念優勝後は、シンボリ牧場で放牧<ref name="優駿-2003-7-89" />。藤沢はこの年、[[宝塚記念]]、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の4戦を予定する。春夏の出走が宝塚記念のみなのは、距離の適性のない天皇賞(春)参戦を見送ったことと、秋に疲れを残さないようにするためであった<ref name="優駿-2019-6-7883" />。
ファン投票は1位となる5万9817票を集めた<ref>『優駿』2003年7月号 7頁</ref>。6月29日の宝塚記念({{GI}})に[[ケント・デザーモ]]が騎乗し出走。春にクラシック二冠を果たした3歳の[[ネオユニヴァース]]、{{GI}}級6勝のアグネスデジタルなどが出走し「宝塚記念史上、最高のメンバー<ref name="優駿-2003-8-3641" />」(『優駿』編集部)とも呼ばれた中、単勝オッズ2.1倍の1番人気に推された<ref>{{Cite web|title=宝塚記念|url=https://db.netkeiba.com/race/200309030411/|website=db.netkeiba.com|accessdate=2021-12-16}}</ref>。スタートから中団の内側に位置<ref name="優駿-2003-8-3641" />。最終コーナーで抜け出し、外から位置を上げたタップダンスシチーとの競り合ったが、外から追い込む[[ヒシミラクル]]や[[ツルマルボーイ]]にかわされ、5着に敗れた<ref name="優駿-2003-8-3641">『優駿』2003年8月号 36-41頁</ref>。その後は、ファンタストクラブで夏休みを過ごす<ref>『優駿』2003年9月号 23頁</ref>。
藤沢は
==== 天皇賞(秋) ====
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{{GI}}4勝目、スピードシンボリ、シンボリルドルフ、グラスワンダーに続く史上4頭目の有馬記念連覇となった<ref>『名馬を読む2』89頁</ref>。そのうえ'''史上初めてとなる天皇賞(秋)、有馬記念のダブル連覇'''を果たした<ref name="日刊スポーツ-有馬" />。また走破タイム2分30秒5は、1991年有馬記念で[[ダイユウサク]]が記録したレースレコードおよびコースレコードを0.1秒更新<ref name="優駿-2004-2-138139" />。加えて、2着リンカーンに9馬身差の優勝は、1967年の優勝[[カブトシロー]]、2着[[リュウファーロス|リュウフアーロス]]の6馬身を上回る有馬記念史上最大着差であり<ref name="優駿-2004-2-138139">『優駿』2004年2月号 138-139頁</ref>、タップダンスシチーが勝利した前出のジャパンカップと並び立つ'''{{GI}}競走史上最大着差記録'''となった<ref name="優駿-2004-2-3639" />。
開催終了後の中山競馬場にて、引退式を開催<ref>『優駿』2004年2月号 77頁</ref><ref>{{Cite web|title=Sクリスエスが引退式/有馬記念|url=http://www.shikoku-np.co.jp/sports/general/20031228000200|website=四国新聞社|accessdate=2021-12-16}}</ref>。同日付で、JRAの競走馬登録を抹消された<ref name="シンボリクリスエス-抹消" />。この年のJRA賞では、全287票中220票を集めてJRA賞年度代表馬{{Efn|他に、[[スティルインラブ]]58票、[[ヒシミラクル]]6票、[[ネオユニヴァース]]2票、該当馬なし1票<ref name="優駿-2003年度-JRA賞" />。}}に、275票を集めて[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬]]に選出された{{Efn|他に、[[ヒシミラクル]]12票<ref name="優駿-2003年度-JRA賞" />。}}<ref name="優駿-2003年度-JRA賞" />。2年連続となる年度代表馬受賞であった<ref name="優駿-2003年度-JRA賞" />。
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