「スーパージャイアンツ」の版間の差分

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本シリーズが始まった1957年は、[[ソビエト連邦|ソ連]]が人類史上初めて[[人工衛星]]「[[スプートニク1号]]」を打ち上げた年であり、人工衛星や宇宙人のヒーローということが強く意識されている。また、ソ連が人工衛星を打ち上げたのと同じく、当時原爆以上の水素爆弾等の核兵器について各国が研究に力を入れ始めており(ビキニ環礁での核実験等)、原爆被爆国の日本としてスーパージャイアンツは子供向けに微温的ながらも反戦・核兵器廃絶・平和への希求のメッセージが込められた作品でもある。1 - 6作目までは[[石井輝男]]が監督している。
 
6作目までの監督を務めた石井輝男は本シリーズについて、「まあ僕はねえ、無責任ですからね(笑)、話を聞いたときは特別そういうジャンルが好きでもなかったから、自分と同期に新東宝に入った人間が企画を持ってきて技術についても説明してくれて、じゃあやってみようかなと。で、僕としては[[江戸川乱歩|乱歩]]の『[[少年探偵団]]』的なイメージでやっちゃったんですね。宇宙人と言うよりは、[[怪人二十面相|二十面相]]は変装した“怪人”という感じなんですよ」と語っている。石井としては軽い気持ちで引き受けたところ、作品が大ヒットしてシリーズ化となった。そのうちにスーパージャイアンツの真似をした子供たちが怪我をする事件が起こったりして、「何とか逃げたい」という気持ちになって、6作目まで監督したという<ref>『宇宙船 vol.98』(朝日ソノラマ)「御本人コメント付 石井輝男映画作品ガイド」{{要ページ番号R|date=2019年11月宇宙船}}</ref>
 
後のエログロ路線の、その実エロスやフリークにより観客自身に現代性を切取らせてしまう石井は「普通に撮るとテレちゃうんですよね」と韜晦しているが<ref>『石井輝男映画魂』(ワイズ出版){{要ページ番号|date=2019年11月}}</ref>、のちの[[吉田輝雄]]主演路線につながる「'''ヒーローの無力さ'''」を体現した本作をして[[長部日出雄]]に「映画の終末点に立つ墓堀人」といわしめたところに、巨匠石井の面目がある。
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<ref name="画報">{{Harvnb|超人画報|1995|p=34}}</ref>
<ref name="日本特撮・幻想">{{Cite|和書|title=日本特撮・幻想映画全集|pages=108-109|date=1997|publisher=[[勁文社]]|isbn=4766927060}}</ref>
<ref name="宇宙船">{{Cite journal|和書 |date=2001-12-01 |editor=村山実 |title=盲獣VS一寸法師インタビュー 石井輝男(監督)|journal=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]] |issue=Vol.98 |page=67 |publisher=[[朝日ソノラマ]] |id = 雑誌コード 01843-12}}</ref>
<ref name="60年代">{{Cite book|和書|author=石橋春海|date=2013-12-05|title='60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー|publisher=[[コスミック出版]]|series=COSMIC MOOK|pages=14-15|isbn=978-4-7747-5853-4}}</ref>
<ref name="20th">{{Cite book|和書|date=2018-07-25|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1980 [[電子戦隊デンジマン]]|publisher=[[講談社]]|series=講談社シリーズMOOK|page=33|chapter=スーパー戦隊制作の裏舞台 [[渡辺宙明]]|isbn=978-4-06-509608-6}}</ref>