「成宗 (高麗王)」の版間の差分

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'''成宗'''(せいそう、[[961年]][[1月15日]](旧暦960年12月26日) - [[997年]][[11月29日]](旧暦10月27日))は第6代[[高麗王]](在位:[[981年]] - 997年)。姓は王、[[諱]]は治、[[諡号]]は康威章憲光孝献明襄定文懿大王。父は[[王旭 (高麗)|王旭]](追尊して戴宗)、母は[[太祖 (高麗王)|太祖]]の娘の柳氏(追尊して宣義王后)。従兄の[[景宗 (高麗王)|景宗]]の後を継いで即位した。同母妹に[[献哀王后]]皇甫氏および[[献貞王后]]皇甫氏(ともに景宗の妃)がいる。
 
行政改革を推進し、高麗建国時から濃かった[[仏教]]色を排除し[[儒教]]の普及のため各地に学堂を建てた。993年[[契丹の高麗侵攻]]を受けた際には、外交交渉で軍勢を退け、高麗は[[鴨緑江]]東部の[[江東6州]]を得た。995年[[契丹]]の侵攻を受けると、[[宋 (王朝)|宋]]との関係を断絶し契丹と外交関係を結んだ。男子がいなかったため、王位は甥である先代景宗の長男の[[穆宗 (高麗王)|穆宗]]に受け継がれた。
 
== 家族 ==