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*ベレランクス地区 - 隣接するコミューン、ジャスの方向
*ボワ地区 - 隣接するコミューン、ムランクスの方向(かつては[[カゴ (被差別民)|カゴ]]たちが暮らす地区であった)
 
==地名==
===語源===
ナヴァール(Navarre、[[ナバラ州|ナバラ]]のこと)とナヴァランクス(Navarrenx)という[[バスク語]]の語幹の間には、明らかに類似性が見られる(同じく隣接する集落にNabas、Navarsがある)。しかしながら、バスク語学者たちはいくつかの語源の間で躊躇している。
 
一方、ナバラの領外にあるナバラ人の居住地であるスペイン国内の数十の村とは異なり、ナバラとナヴァランクスをつなぐ唯一の歴史的なつながりは、ナヴァランクスに要塞を建設したのがナバラ王[[エンリケ2世 (ナバラ王)|アンリ・ダルブレ]]([[サングエサ]]生まれ)だったという事実からきている。
 
==歴史==
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1316年、モルラスの裁判権を獲得したマルグリット・マティルド女子爵から町に[[バスティッド]]としての憲章が授けられた。ナヴァランクスの中央の広場と直角の通りが、バスティッドの記憶を留めている。1343年、ナヴァランクス代官区にはアロジュソン、オードー、ドニェン、ギュルス、メリタン、シュス、ラース、オサンクス、ジュ集落(現在のカステットボン)といったコミューンが含まれていた。1385年、ナヴァランクスでは85件の炉税が発生し、ベレランクスでは10件であった。ベレランクスには、ベアルン子爵の臣下である世俗的な修道院があった。
 
1388年、フォワ伯爵及びベアルン子爵であるガストン3世・ド・フォワは、住民が川に面した製粉所の修理に貢献することを同意するまで、ナヴァランクスの判事たちを拘束した。1412年から1415年、新参者であるカゴたちによって新たに修理が行われた。
 
1507年7月24日、町は製粉所を建設したナバラ女王[[カタリナ (ナバラ女王)|カタリナ]]に忠誠と敬意を表した。
 
1523年、オラニエ公フィリベール・ド・シャロンが率いるカスティーリャ軍が町を占領し、防御施設を破壊した。1538年から1549年まで、ナヴァランクスは最新システムの要塞を備えていた。
 
==脚注==