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'''フィンランド共和国'''(フィンランドきょうわこく、{{lang-fi|Suomen tasavalta}}、{{lang-sv|Republiken Finland}})、通称'''フィンランド'''は、[[北ヨーロッパ]]に位置する[[共和制]][[国家]]。[[首都]]は[[ヘルシンキ]]。[[北欧]]諸国のひとつであり、西は[[スウェーデン]]、北は[[ノルウェー]]、東は[[ロシア連邦]]と隣接し、南は[[フィンランド湾]]を挟んで[[エストニア]]が位置している。
 
[[国体]]の変化が激しい歴史を持つ国家であり、[[王制]]から[[共和制]]へ変換された国々の一国として知られている。[[ロシア帝国]]が[[第二次ロシア・スウェーデン戦争]]後にフィンランドを併合して[[フィンランド大公国]]にした1809年まで、[[スウェーデン王国]]に属していた。後に、ロシア帝国が[[ロシア革命]]で崩壊したことで1917年に[[国家の独立|独立]]を果たした。独立後、フィンランドでは4つの戦争が行われた。1918年の[[フィンランド内戦]]、1939年から1940年ロシア革命で成立した[[ソビエト連邦]]との[[冬戦争]]、1941(1939から1944~1940)、[[第二次世界大戦]]([[独ソ戦]])に伴うソ連との[[継続戦争]]、1944(1941から1945~1944)とソ連との講和後の[[ナチス・ドイツ]]との[[ラップランド戦争]](1944年~1945年)である。それぞれの戦争において、共和国の軍隊は、軍の最高司令官である[[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム|マンネルへイム]][[陸軍元帥|元帥]]によって率いられた。更に[[冬戦争]][[継続戦争]]の二度渡って[[ソビエト連邦|ソ連]]と戦争状態に陥幾らかの土地をに奪われるも、その後の[[バルト諸国占領|ソ連に併合されたバルト三国]]と異なり独立を維持し続けた。
 
首都ヘルシンキは[[露仏同盟]]以来、ロシア帝国の主要都市である[[サンクトペテルブルク]]方面へ[[西側諸国]]が投資や往来をするための前線基地となってきた。フィンランドで成長しているもう1つの重要な都市エリアは、ヘルシンキの北約180 kmにある[[タンペレ]]である。同じく直近の旧領[[ヴィボルグ]]は[[サイマー運河]]の出口であったが、現在はロシア領で、[[ノルド・ストリーム]]の経由地となっている。ロシアと欧州諸国の間にある[[地政学]]的な重要性から、たびたび度々勢力争いの舞台や[[戦場]]になってきた。
 
[[中立]]的外交の裏では、[[外交]]・[[安全保障]]や[[エネルギー]]政策を巡り東西の綱引きが行われている。国内には[[原子力発電所]]があり、[[オンカロ処分場]]が[[2020年]]に開設されれば世界初の使用済み[[核燃料]]の最終処分場となる。[[情報技術|情報産業]]も[[政治]]と関係しており、公職経歴者が民間企業の幹部になる例として、[[エスコ・アホ]]という[[フィンランドの首相|首相]]経験者が[[ノキア]]取締役を務めているようなことがある。
 
[[人口]]や経済規模は小さいが[[国の国内総生産順リスト (一人当り為替レート)|一人当たりGDP]]などを見ると、豊かで自由な[[民主主義]]国として知られている。フィンランドは2014年の[[経済協力開発機構|OECD]]レビューにおいて「世界でもっとも競争力が高く、かつ市民が生活に満足している国のひとつである」と報告された{{Sfn|OECD|2014|p=14}}。フィンランドは収入、[[雇用]]と所得、住居、[[ワークライフバランス]]、保健状態、教育と技能、社会的結びつき、市民契約、環境の質、個人の安全、主観的幸福の各評価において、全ての点でOECD加盟国平均を上回っている{{Sfn|OECD|2014|p=14}}。
 
なお、同国は1995年、[[欧州連合]]加盟国の一国であり、1995年に|欧州連合(EU)加盟している国]]となった。2020年の[[経済平和研究所|積極的平和指数]]で欧州連合で第1位にランクされた<ref name=":0">{{Cite web|title=Research – Institute for Economics and Peace|url=https://www.economicsandpeace.org/research/|website=www.economicsandpeace.org|accessdate=2021-07-22}}</ref>。
 
== 国名・象徴 ==
=== 国名 ===
フィンランドは「[[フィン人]]の国」という意味で、スオミはフィン人の[[自称]]である。「スオミ」の[[語源]]については多くの説が提唱されており定説はないが、同じ[[ウラル系民族|ウラル系]]の「[[サーミ]]」や「[[ネネツ人|サーミッド]]」([[サモエード人|サモエード]])と同源とする見方がある。「フィン」については[[タキトゥス]]が残した「北方に住む貧しいフェンニ人」の記述<ref>注:『[[ゲルマニア (書物)|ゲルマニア]]』におけ記述。</ref> 「北方に住む貧しいフェンニ人」が最古のもの現存する記述である。「スオミ」については古くはフィンランド南西端、バルト海沿岸にある都市[[トゥルク]]を中心とする限られた地域を指す単語であったのが、のちに国土全体を指す単語に変容し、そこに住んでいたスオミ族の名がフィンランド語の名称になった。トゥルク周辺は現在では「本来のスオミ({{lang|fi|Varsinais-Suomi}})」と呼ばれている。「スオミ」は、フィンランド語で「[[湖沼]]・[[沼地]]」を表す単語「スオ」(suo)に由来すると言われる<ref>{{Cite web|title=フィンランドとは|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-122914|website=コトバンク|accessdate=2019-05-12|language=ja|first=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,世界大百科事典|last=第2版,日本大百科全書(ニッポニカ),世界大百科事典内言及|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190512124906/https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-122914|archivedate=2019年5月12日|deadlinkdate=}}</ref>。
 
正式名称は、[[フィンランド語]]では ''{{lang|fi|Suomen tasavalta}}''(スオメン・タサヴァルタ)、通称 ''{{lang|fi|Suomi}}''('''スオミ''')。形容詞はSuomalainen(スオマライネン)。[[スウェーデン語]]では ''{{lang|sv|Republiken Finland}}''(レプブリケン・フィンランド)、通称 ''{{lang|sv|Finland}}''('''フィンランド''')。形容詞はfinsk(フィンスク)。[[公用語]]はフィンランド語とスウェーデン語。
通常は先史時代( - [[1155年]])、スウェーデン時代([[1155年]] - [[1809年]])、ロシアによる大公国([[フィンランド大公国]])時代([[1809年]] - [[1917年]])、独立後の現代([[フィンランド王国]]時代を含む、[[1917年]] - )の4つの区分に分かれる。
 
現在のフィンランドの土地には、[[旧石器時代]]から人が居住した。南には農業や航海を生業とする[[フィン人]]が居住し、のちに[[トナカイ]]の[[放牧]]狩猟をする[[サーミ人]]が、北方に生活を営むようになった。400年代に[[ノルマン人]]の[[スヴェーア人]]がフィンランド沿岸に移住を開始し、居住域を拡大していった。
 
[[1155年]]にはスウェーデン王[[エーリク9世 (スウェーデン王)|エーリク9世]]が[[北方十字軍]]の名のもとフィンランドを征服し、同時に[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック]])を広めた。1323年までにはスウェーデンによる支配が完了し、[[正教会]]の[[ノブゴロド公国]]との間で国境線が画定したことで、名実ともにスウェーデン領になった。16世紀の[[宗教改革]]でスウェーデンの[[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]が[[ルーテル教会|ルター派]]を受け入れたため、フィンランドもルター派が広まることになった。カトリックの承認を得ずに[[司教]]となった[[ミカエル・アグリコラ|アグリコラ]]が[[聖書翻訳]]を進めたことで、フィンランドは[[プロテスタント|新教国]]としての性格を決定的にした。
[[1899年]]、[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]が署名した二月詔書には、高揚するロシア・ナショナリズムに配慮して{{仮リンク|フィンランドの自治権廃止宣言|fi|Sortovuodet|en|Russification of Finland}}が含まれていることがフィンランド人に発覚したため、フィンランドで暴動が発生している。[[1904年]][[6月17日]]にはフィンランド民族主義者{{仮リンク|オイゲン・シャウマン|fi|Eugen Schauman|en|Eugen Schauman}}によるロシア総督[[ニコライ・ボブリコフ]]暗殺の惨事に至り、ついに[[1905年]]には「自治権廃止」は撤回された。
 
[[ファイル:Senate1917.jpg|thumb|1917年のフィンランド上[[元老院]]。最初の議長である[[ペール・スヴィンヒュー]](写真中央)が首相の座にいた。]]
[[第一次世界大戦]]末期の[[1917年]]には[[ロシア革命]]の混乱に乗じてフィンランド領邦議会は[[フィンランドの独立|独立]]を宣言した<ref>{{Cite news|url=https://news.1242.com/article/178213|title=これぞ、フィンランド版『プラトーン』! 日本人が知らなかったフィンランドの歴史|newspaper=ニッポン放送 NEWS ONLINE|date=2019-06-25|accessdate=2020-11-30}}</ref>。[[1918年]]に[[共産主義|共産]]化し、[[オットー・クーシネン]]らを首班とした[[フィンランド社会主義労働者共和国]]が成立した。その後、敗戦国となった[[ドイツ軍]]など外国の介入もあり、フィンランド南部で優勢だった[[赤軍]]は白軍の[[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム|マンネルヘイム]]により鎮圧され、[[1919年]]にはフィンランド共和国憲法が制定された([[フィンランド内戦]])。
 
独立後のフィンランドの政情や国際情勢は不安定で、[[1921年]]にスウェーデンと[[オーランド諸島]]の領土問題で争ったが、[[国際連盟]]の事務次官であった[[新渡戸稲造]]による「新渡戸裁定」で解決をみた。さらに[[1939年]]から[[1940年]]の[[ソビエト連邦|ソ連]]との[[冬戦争]]では国土(38万2,801km²)の10分の1を失った{{Sfn|イルッカ・タイパレ|2008|loc=Chapt.41}}。喪失した地域はおもに人口と産業密度の高い南東部で、[[ヴィープリ州]]にはもっとも要となる港湾があった。[[ペツァモ州]]には[[ニッケル]]鉱床と国内唯一の[[不凍港]]と[[北極海]]への出入り口があった。これらが失われたうえ、[[サイマー運河]]も両断された。
 
[[ファイル:Carl Gustaf Emil Mannerheim.png|thumb|upright|[[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム]]フィンランドの[[将官]]、[[フィンランドの大統領|大統領]]]]
[[第二次世界大戦]]([[継続戦争]])ではソ連と対抗するために[[ナチス・ドイツ]]や[[イタリア王国]]などの[[枢軸国]]側について戦い、一時は冬戦争前の領土を回復した。その後、ソ連軍の反攻によって押し戻され、[[1944年]]にソ連と[[モスクワ休戦協定|休戦]]し、休戦の条件として国内駐留[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]を駆逐するために戦った([[ラップランド戦争]])。日本や独伊と同様に敗戦国になったものの、フィンランド軍はソ連軍に大損害を与えて進撃を遅らせ、[[ナチス・ドイツ]]降伏前に休戦へ漕ぎ着けた。このため、[[バルト三国]]のようにソ連へ併合されたり、ソ連に占領された[[東ヨーロッパ]]諸国([[東側諸国]])のように完全な[[衛星国]]化や[[社会主義]]化をされたりすることなく、[[冷戦]]終結による[[東欧革命]]も経た現在に至っている。
 
戦後はソ連の影響下に置かれ、ソ連の意向により西側陣営のアメリカによる[[マーシャル・プラン]]を受けられず、[[北大西洋条約機構|北大西洋条約機構(NATO)]](NATO)にも[[欧州諸共同体|EC]](EC)にも加盟しなかった。自由民主政体を維持し[[資本主義]]経済圏に属するかたわら、外交・国防の面では[[東側諸国|共産圏]]に近かったが、[[ワルシャワ条約機構]]には加盟しなかった([[ノルディックバランス]]、[[フィンランド化]])。この微妙な舵取りのもと、現在に至るまで独立と平和を維持した。[[ソビエト連邦の崩壊]]後には[[西側諸国|西側陣営]]に接近し、[[1994年]]には[[欧州連合|EU]](EU)加盟に合意。[[2000年]]には欧州共通通貨[[ユーロ]]を北欧諸国の中で初めて自国通貨として導入した。
 
2010年代に[[2014年ウクライナ内戦|クリミア・東部ウクライナ紛争]]などでロシアの脅威が高まったため、西側への接近を加速している。2017年にはスウェーデンとともに[[イギリス]]主導でNATOや[[国際連合]]に協力する合同派遣軍への参加を決めた<ref>{{Cite web|url=https://www.gov.uk/government/news/sweden-and-finland-join-uk-led-response-force|title=Sweden and Finland join UK-led response force|publisher=イギリス[[国防省]]ホームページ|accessdate=2017-7-7|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170712221113/https://www.gov.uk/government/news/sweden-and-finland-join-uk-led-response-force|archivedate=2017年7月12日|deadlinkdate=}}</ref>。[[サウリ・ニーニスト]]大統領は2022年1月1日の演説で、NATOへの加盟申請を含む「選択の自由がある」と語った<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB041GU0U2A100C2000000/NATO加盟申請「選択し」フィンランド、米ロ協議控え強調]『[[日本経済新聞]]』朝刊2022年1月5日(国際面)2022年1月8日閲覧</ref>。
{{Clearleft}}
 
 
[[元首|国家元首]]である[[フィンランドの大統領|大統領]]の任期は6年で、国民の[[直接選挙]]によって選ばれる。{{See also|フィンランドの大統領|フィンランドの首相}}
[[2015年]][[5月29日]]、議会は、第1党・中央党の党首[[ユハ・シピラ]]を首相に選出した。[[サウリ・ニーニスト]]大統領は同日、同首相就任を承認した。同首相は、中央党を中心とする新連立内閣を発足させた。
 
[[間接民主制|議会制民主主義]]国家であり、議会が国権の最高機関である。政治形態は独立以降、[[半大統領制]]のような状態で大統領には現在より強大な権力があったが、ポスト[[冷戦]]期への移行が重なった[[1990年代]]以降になって[[議院内閣制]]への移行を目的とした[[憲法改正]]が数度行われ、[[行政権]]の比重は大統領から[[首相]]([[内閣]])に傾いた。
 
[[議会]]は[[一院制]]で[[エドゥスクンタ]](Eduskunta)と呼ばれる{{Sfn|イルッカ・タイパレ|2008|loc=Chapt.1}}。200議席を15の選挙区に分け、[[比例代表制]]選挙で選出され、[[政党助成金]]制度が存在する{{Sfn|イルッカ・タイパレ|2008|loc=Chapt.72}}。任期は4年だが、途中で解散される場合もある。前回の投票は、[[2015年]][[4月19日]]に行われた。政党別の獲得議席数は次の通り。
* その他 1
 
[[行政府]]の長である[[首相]]は、副首相や閣僚とともに[[内閣]]を構成する。各閣僚は議会に対して責任を負う。首相は、総選挙後に各党代表の交渉結果に従って大統領が首相候補者を指名し、議会で過半数の賛成を得たあと、大統領による任命を経て就任する。ほかの閣僚は、首相の選任に基づき大統領が任命する。
 
内政面においては先進的な北欧型の[[福祉国家論|福祉国家]]という印象が強いが、戦後は敗戦国の地位にもあって賠償金などの支払もあり国政面での労働者の権利拡充は後回しされ、労働なき[[コーポラティズム]]として日本に近い社会であった。その後は急速に福祉国家建設へと邁進し北欧型の社会に近づく。
 
また、世界でもっとも政治家による汚職が最も少ない国のひとつとも評価されている{{Sfn|イルッカ・タイパレ|2008|loc=Chapt.8}}。[[2008年]]の民間活動団体「[[トランスペアレンシー・インターナショナル]]」による政治の[[腐敗認識指数]]調査では、[[2004年]]まで1位(世界でもっとも汚職が少ない)だったが、[[2009年]]時点では6位に転落している。
 
== 国際関係 ==
[[ファイル:Diplomatic missions of Finland.png|thumb|360px|フィンランドが外交使節を派遣している諸国の一覧図]]
{{main|{{仮リンク|フィンランドの国際関係|en|Foreign relations of Finland}}}}
[[第二次世界大戦]]後、共産化せず資本主義体制を維持したまま、[[ビエト邦]]の軍事勢力圏に入った[[ジレンマ]](外交面では反ソ連路線でありながら、内政面では社会主義体制を敷いた[[ユーゴスラビア]]などの逆パターンともいえる)に置かれたため、外交のみならず国内的にもソビエト批判を[[タブー]]とする空気に支配される状況が続き、これを「[[フィンランド化]]」と呼んだ。そのため、「フィンランド外交とは、西側にあまり尻を出しすぎぬほどに、ロシアに頭を下げることである」との風刺が生まれるほどであった。日本では、[[中曽根康弘]]首相が「ソ連は、日本をフィンランド化しようとしている」と演説で述べ、ソ連が日本をフィンランドのような自分に逆らわない国にしようとしている、という懸念を述べたことがあったが、この演説は駐日大使を通じてフィンランド政府による抗議を受けている。
 
しかしながら、その立場を逆手に取り、[[全欧安全保障協力会議]]の発足を主導し、東西貿易の窓口として栄え、国民の生活水準は世界一のレベルになった。現在ではNATOには参加することなく、[[北欧理事会]]を中心とする[[北欧主義]](Nordicism)、[[欧州連合|EU]]を中心とする欧州への参加、[[国際連合|国連]]を中心とする世界秩序の構築が国是となっている。
 
=== 日本との関係 ===
{{main|フィンランドの銃規制}}
 
[[冷戦]]時代には、ソ連製の[[MiG-21]][[戦闘機]]や[[AK-47|AKライフル]]、[[T-54/55]]および[[T-72]]戦車と中立国のスウェーデン製[[サーブ 35 ドラケン]][[戦闘機]]などを有していた。冷戦終結後は西側からの調達が主となり、アメリカ製[[F/A-18 (航空機)|F-18]][[戦闘機]]、ドイツ製[[レオパルト2]]戦車を装備している。
 
== 地理 ==
=== 気候 ===
{{Main|フィンランドの気候}}
フィンランドは[[緯度]]の影響を最も受ける地域である。同国は[[北緯]]60度から70度の間に位置する為、北欧エリアにおいて冬期が最も長いことでも知られている。
{{sectstub}}
 
{{Main|フィンランドの地方行政区画}}
 
フィンランドは、19の'''県'''({{lang|fi|maakunta}}、マークンタ)に分かれる。2009年までは県の上位行政区画として州が存在し、6つの'''州'''({{lang|fi|lääni}}、レーニ)に区分されていたが、2010年1月1日に廃止された<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.hs.fi/english/article/New+regional+administration+model+abolishes+provinces+in+2010/1135251815296|title=New regional administration model abolishes provinces in 2010|publisher=HELSINGIN SANOMAT|accessdate=2012-07-15|archiveurl=https://www.webcitation.org/619jYR4gA?url=http://www.hs.fi/english/article/New+regional+administration+model+abolishes+provinces+in+2010/1135251815296|archivedate=2011年8月23日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。また、2010年までは[[東ウーシマー県]]が存在し、県の数は20であったが[[2011年]][[1月1日]]に東ウーシマー県と[[ウーシマー県]]とが合併し新たなウーシマー県が発足したため、東ウーシマー県は消滅し、県の数は19となった<ref>{{cite web |url=http://www.valtioneuvosto.fi/ajankohtaista/tiedotteet/tiedote/fi.jsp?oid=274585 |title=Valtioneuvosto päätti Uudenmaan ja Itä-Uudenmaan maakuntien yhdistämisestä |date=October 22, 2009 |publisher=Ministry of Finance |language=Finnish |accessdate=December 30, 2010 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110807084712/http://www.valtioneuvosto.fi/ajankohtaista/tiedotteet/tiedote/fi.jsp?oid=274585 |archivedate=2011年8月7日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
 
OECDは、フィンランドは世界でもっとも[[地方分権]]が進んでいる国のひとつだと評している{{Sfn|OECD|2014|p=84}}。
 
=== 県の一覧 ===
{{main|フィンランドの経済}}
 
人口とGDPの規模が日本の[[北海道]]とほぼ同じフィンランドは、1980年代以降、[[農業]]と[[林業]]中心の経済体制から、携帯電話の生産量が世界1位になるなどの[[ハイテク]]産業を基幹とする[[工業]]先進国へと著しい変化を遂げることに成功した。特に、150年前からある老舗企業の[[ノキア]](NOKIA)や[[Linux]]が有名である。高い教育水準なども影響した結果、ヨーロッパ内でも有数の経済大国となった。[[世界経済フォーラム]](WEF)が毎年発表する国際経済競争力の順位では、2001年から2004年までと4年連続首位となった(2002年はいったん2位と発表されたが、その後の再評価で1位に修正された)。現在では付加価値ベースで71.2パーセントを[[サービス業]]が占めている{{Sfn|OECD|2014|loc=Basic statics of Finland, 2012}}。フィンランドは2014年のOECDによるレビューにおいて「世界でもっとも競争力が高く、かつ市民が生活に満足している国のひとつである」と報告された{{Sfn|OECD|2014|p=14}}。フィンランドはOECD BetteLife Indexの多軸評価において、すべての点でOECD平均を上回っている{{Sfn|OECD|2014|p=14}}。
 
[[フラッグ・キャリア|ナショナル・フラッグ・キャリア]]は[[フィンランド航空]]だが、政府はすでに株式の半数以上を売却している。
 
=== 労働市場 ===
=== 言語 ===
{{Main|{{仮リンク|フィンランドの言語|en|Languages of Finland}}}}
使用されている[[言語]]は[[フィンランド語]]が93.4パーセント、[[スウェーデン語]]が5.9パーセントで、この2言語が[[公用語]]である。[[1919年]]に制定された。[[サーミ人]]は[[サーミ語]]を使用し、[[1970年代]]にその地位は向上した。[[1999年]]の憲法改正により、準公用語と明記された。同時に[[ロマ人]]その他の[[少数民族]]に対する配慮も加えられている。また、[[ロシア語]]を母語とするロシアからのいわゆる帰還者は最近増加しつつある。[[スウェーデン語]]はすでにフィンランドに根を下ろしており、少数派とはいえ、[[企業]]や産業界で影響力を持ち、[[政府]]にも主要政党を持っているため、公用語問題は歴史的な問題であった。これに対しロシア語は1世紀にわたり支配社会の上層部にのみ影響を与えただけで、国民に浸透することはなかった。
 
=== 宗教 ===
[[ファイル:Turku cathedral 26-Dec-2004.jpg|thumb|[[フィンランド福音ルター派教会]]のトゥルク大聖堂]]
{{Main|{{仮リンク|フィンランドの宗教|en|Religion in Finland}}}}
宗教は、[[フィンランド福音ルター派教会]]が78パーセント、[[フィンランド正教会]]が1.1パーセント、ほかの宗教([[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]、[[ユダヤ教]]、[[イスラム教]])と無宗教20パーセントである。[[フィンランド福音ルター派教会]]と[[フィンランド正教会]]は[[国教]]として扱われており、政府が国民から[[直接税]]の形で集めた[[教会税]]によって資金的援助を受けている。しかし、近年では国民の信仰心の低下や[[政教分離]]の意見の高まりなどから、教会への支援は世論からの支持を受けなくなる傾向にあり、それにともない「教会税」も毎年減少傾向にある。
 
=== 婚姻 ===
学校教育ではフィンランド語、スウェーデン語が必修であり(ただし、[[オーランド諸島]]ではフィンランド語は必修ではない)、さらに[[英語]]やその他の言語の教育が行われている。本土のスウェーデン系国民は幼いころから[[テレビ]]などを通じて自然にフィンランド語を習得することが多いが、フィンランド系国民の多くは7年生(中学校の初年度)から学校でスウェーデン語の学習を始める。現在ではスウェーデン語より英語に重点がおかれており、小学3年生程度から英語の授業が始まる。さらに小学校高学年、また中学校でもその他の外国語を選択科目として履修できる。ただし、外国語科目のカリキュラムなどは自治体や学校により異なることがある。国民の外国語に対する関心も全般に高いため、4 - 5か国語を使いこなすフィンランド人も多い。
 
[[大学]]はすべて国立で無料であり{{Sfn|イルッカ・タイパレ|2008|loc=Chapt.54}}、[[受験戦争]]はフランスや日本ほど厳しくはない。しかし、フィンランドの教育水準は世界トップで、教育における「[[フィンランドメソッド]]」が注目を集めている。生徒は競争による相対評価ではなく、達成度によって評価されるといわれている。ただし、これは学力の違いを無視した平等教育ではない。実際には高校入学は中学の成績に基づいて振り分けが行われている<ref>""Upper secondary school is mainly intended for students aged 16-19. The schools select their own pupils, based on their comprehensive school grades."[http://www.finland.cn/Public/default.aspx?contentid=99660] {{Wayback|url=http://www.finland.cn/Public/default.aspx?contentid=99660 |date=20101224102735 }}</ref>。また、中学校の教育に特筆されるのは3分の1の(成績の低い)生徒が特別学級に振り分けられるか、補習授業を受けていることである。このように、学力による差別化および低学力の生徒に対する個別の教育により落ちこぼれを学校ぐるみで防ぐ制度がフィンランドの教育の特徴である<ref>"In 2006 approximately one third of students in comprehensive school were transferred to special education or received part-time special education which is significantly more than in OECD countries on average (Statistics Finland, 2008). Special education has a key part to play in improving equity and combating educational failure in Finnish schools."[http://www.pasisahlberg.com/downloads/Failing%20students%202008%20JEC.pdf] {{Wayback|url=http://www.pasisahlberg.com/downloads/Failing%20students%202008%20JEC.pdf |date=20120316074940 }}</ref>。
 
[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の定義による高等教育機関(大学およびその他すべての高等教育機関・課程)の進学率は世界第2位の87パーセントである(2004年度)。2004年度に行われたOECD([[経済協力開発機構]])の[[OECD生徒の学習到達度調査|PISA]](学習到達度調査)では世界一である(ただし、OECDの調査自体には多くの問題点が指摘されている)。PISAは(1)読解力(2)数学リテラシー(3)科学リテラシーという3分野のみの調査を57か国に対して行ったものである。
 
フィンランドの学校は週休2日制であり、教師は[[大学院]]卒が基本(ただし、これは特に教師に限ったことではない。また「大学院」の位置づけも日本とまったく同一とはいえない)、授業時間も日本よりかなり少なく、また「総合的な学習」に相当する時間は日本より多い。近年、日本で批判されている「[[ゆとり教育]]」に一見似ているが、家庭学習を重視し宿題が比較的多く、成績別教育により成績下位者への支援態勢が特に手厚くなっているなど、その実態はかなり異なる。制度的にも教育内容や教授方法への教育行政の指示が少なく、分権化が進んでいること、義務教育にも[[留年]]制度があること、小学校から大学まで多くの学校で学費が無料であることなどの違いがある。
フィンランド人の[[平均寿命]]は、2015年では平均で80.77歳(男性77.82歳、女性83.86歳)であった<ref>{{Cite web|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/fields/2102.html|title=The World Factbook<!-- Bot generated title -->|accessdate=2019/08/09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140528191952/https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/fields/2102.html|archivedate=2014年5月28日|deadlinkdate=}}</ref>。およそ市民307人あたり1人の医師がいる<ref>{{cite web |url=http://www.stat.fi/tup/suoluk/suoluk_terveys_en.html |title=Health (2004) |work=Statistics Finland |accessdate=22 January 2007 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140404195621/http://www.stat.fi/tup/suoluk/suoluk_terveys_en.html |archivedate=2014年4月4日 |deadlinkdate= }}</ref>。 公営の[[保健センター]]が整備され、[[総合診療医]](GP)による[[プライマリケア]]が提供される{{Sfn|イルッカ・タイパレ|2008|loc=Chapt.39}}。
 
GDPあたり保健支出は9.0パーセント{{Sfn|OECD|2014|loc=Basic statics of Finland, 2012}}。医療費のおよそ18.9パーセントは自己負担であり、76.6パーセントは租税負担となる。近年の[[ランセット]]誌の研究によれば、フィンランドは193か国の中で死産率がもっとも低く、イギリス・フランス・ニュージーランドよりも低い<ref name="LawnBlencowe2011">{{cite journal|last1=Lawn|first1=Joy E|last2=Blencowe|first2=Hannah|last3=Pattinson|first3=Robert|last4=Cousens|first4=Simon|last5=Kumar|first5=Rajesh|last6=Ibiebele|first6=Ibinabo|last7=Gardosi|first7=Jason|last8=Day|first8=Louise T|last9=Stanton|first9=Cynthia|title=Stillbirths: Where? When? Why? How to make the data count?|journal=The Lancet|volume=377|issue=9775|year=2011|pages=1448–1463|issn=01406736|doi=10.1016/S0140-6736(10)62187-3}}</ref><ref>{{cite news |url=http://www.dailymail.co.uk/health/article-1376698/Britains-stillbirth-rate-National-scandal-11-day.html |location=London |work=Daily Mail |first=Jenny |last=Hope |title='National scandal' of 11 stillbirths a day means Britain has one of worst survival rates |date=14 April 2011 |publication-date= |accessdate=2014年3月17日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140120192759/http://www.dailymail.co.uk/health/article-1376698/Britains-stillbirth-rate-National-scandal-11-day.html |archivedate=2014年1月20日 }}</ref>。
 
課題としては、ほかのOECD諸国と同じように人口の[[高齢化]]があり{{Sfn|OECD|2014|p=51}}、65歳以上が人口の18.5パーセントを占めている(2012年){{Sfn|OECD|2014|loc=Basic statics of Finland, 2012}}。GDPに占める保健・介護費用も伸び続けており、2000年代は約6パーセント台であったが、2060年には13パーセントに達すると推測されている{{Sfn|OECD|2014|pp=58-60}}。[[医療費]]の約55パーセントは65歳以上人口が占めており、また[[認知症]]患者も増え続けている{{Sfn|OECD|2014|pp=58-60}}。
 
=== 市民活動 ===
フィンランドには[[非営利団体|NPO]]が約7 - 8万存在し、国民の5人に4人がNPOに参加している{{Sfn|イルッカ・タイパレ|2008|loc=Chapt.69}}。ほかの北欧諸国と同様、世界でもっとも参加率の高い国のひとつである{{Sfn|イルッカ・タイパレ|2008|loc=Chapt.69}}。
 
=== 移民制度 ===
 
== 治安 ==
フィンランドは[[ヨーロッパ]]において治安が良い国の一つとされているが、[[外国人]][[犯罪]]被害に遭うことが少なくない。
 
特に[[夏季]]や[[冬季]]の観光シーズンには、首都ヘルシンキなどの都市部において[[窃盗]]([[置き引き]]・[[スリ]])事案が多数発生していることが報告されており、[[旅行者]]は充分な注意を要することが求められる。
 
=== 食文化 ===
[[File:Karjalanpiirakka-20060227.jpg|thumb|[[カレリアンピーラッカ]] (''karjalanpiirakka)''は伝統的なフィンランド料理である。具には米を用い、外側の薄皮は[[ライムギ]]生地でできている。バターをつけたり、[[ゆで卵]]とバターを混ぜたもの(エッグバター、''munavoi'')をつけたりして食べる]]
{{main|フィンランド料理}}
 
=== 文学 ===
[[File:Kalevala2.jpg|thumb|180px|フィンランドの民族[[叙事詩]]『[[カレワラ]]』の1849年版(新カレワラ)]]
[[ファイル:Mika Waltari.jpg|thumb|180px|小説家[[ミカ・ワルタリ]]]]
{{main|フィンランド文学}}
19世紀に[[エリアス・リョンロート]]によって編纂された民族[[叙事詩]]『[[カレワラ]]』が存在する。
[[ファイル:Mariska keikalla Kalliossa 2004.jpg|thumb|180px|right|[[マリスカ|マリスカ(Mariska)]] <br/> 彼女はフィンランドを代表する[[ヒップホップ]]音楽家である]]
{{main|{{仮リンク|フィンランドの音楽|en|Music of Finland}}}}
フィンランド人の音楽界での活躍は目ざましく、人口に比しても世界的な音楽家を数多く輩出している。[[ジャン・シベリウス]]に代表される[[クラシック音楽]]や、[[ジャズ]]、[[ポップ・ミュージック|ポップ]]、[[ロック (音楽)|ロック]]や[[ヘヴィメタル]]などの[[ポピュラー音楽]]が普及しており、特にヘヴィメタルは国民的な音楽として今も支持されている<ref>{{Cite news|url=https://president.jp/articles/-/52463|title=世界で最も幸せなはずのフィンランドで、暗くて重苦しいヘヴィメタが流行るワケ|newspaper=PRESIDENT Online|date=2021-12-05|accessdate=2021-12-05}}</ref>。一方で、[[少数民族]][[サーミ人]]による[[ヨイク]]という[[民族音楽]]もある。
 
=== 映画 ===
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| 移動祝祭日
| [[復活祭]]後の月曜日
| {{lang|fi|Toinen Pääsiäispäivä}}
|
|-
| 移動祝祭日
| [[夏至]]
| {{lang|fi|Juhannuspäivä}}
|
[[ファイル:Paavo Nurmi (Antwerp 1920).jpg|thumb|180px|[[パーヴォ・ヌルミ]]]]
{{Main|{{仮リンク|フィンランドのスポーツ|en|Sport in Finland}}}}
ほかの欧州諸国とは異なり、フィンランドにおいて[[サッカー]]はもっとも人気を集めるスポーツではなかったため、弱小国のひとつにすぎなかった。しかし、近年は着実に力をつけており、もっとも直近の北欧選手権では初優勝を果たしている。個人では[[ヤリ・リトマネン]]や[[サミ・ヒーピア]]などがスペイン、イングランドのトップクラブに所属するなどし、近年は欧州でも中堅の地位を堅めつつある。日本人選手でも[[アルビレックス新潟]]の[[田中亜土夢]]が2015年、[[HJKヘルシンキ]]に移籍してきて活躍している。
 
フィンランド国民の関心では、サッカーよりも[[アイスホッケー]]が人気であり、[[トリノオリンピック]]では[[サク・コイブ]]らの活躍で銀メダルを獲得している。また、1995年、2011年、2019年の[[アイスホッケー世界選手権|世界選手権]]でも優勝している。
フィンランドはほかの北欧諸国同様に[[オリエンテーリング]]も盛んであり、強豪国のひとつである。代表的な選手としては[[2010年]]に[[ミンナ・カウッピ]]がフィンランド年間最優秀スポーツ選手に選ばれている([[:en:Finnish Sports Personality of the Year]])。
 
優れたフィンランド人選手に対しては「[[フライング・フィン]]」という固有の渾名が存在する。これは[[陸上競技]]の長距離種目で活躍した[[ハンネス・コーレマイネン]]や[[パーヴォ・ヌルミ]]を称したのが始まりであるが、今ではモータースポーツを中心にさまざま様々なスポーツの選手でこの渾名が使われている。
 
==== オリンピック ====
* 5位 - [[タルヤ・ハロネン]](政治家、前大統領)
* 7位 - [[ミカエル・アグリコラ]](16世紀の宗教改革者、フィンランド語の表記法を確立したフィンランド文学の父)
* 8位 - [[ジャン・シベリウス]](作曲家、国民的[[叙事詩]]『[[カレワラ]]』に影響を受けた曲を多数作曲)
* 9位 - アレクシス・キヴィ(フィンランド語文学および演劇の創始者)
* 10位 - [[エリアス・リョンロート]](医師、叙事詩『カレワラ』編纂者)
* [[マッティ・ニッカネン]](本スキージャンパー、元世界王者)
* [[ヤンネ・アホネン]](元スキージャンパー)
* [[ヘンリ・トイボネン]](WRCドライバー。1986年競技中事故死)
* [[マルク・アレン]](元WRCドライバー。1978年ドライバーズチャンピオン)
* [[ミンナ・カウッピ]]([[オリエンテーリング]]選手、2010年フィンランド年間最優秀スポーツ選手)