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フランスによる文化財返還発表を追記
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[[日本語]]の表記は、'''ベナン共和国'''<ref name="日本国外務省"/>。通称、'''ベナン'''。かつては英語発音または[[ローマ字]]読みから、'''ベニン'''とも表記された。しかし、現在では現地の発音により近い'''ベナン'''という表記が浸透し、それを受けて例えば[[日本新聞協会]]がカナ表記のガイドラインを「ベニン」から「ベナン」に変更するといった動きがあり、このためこの傾向はさらに促進されている。これには、ナイジェリアの[[ベニン王国]](Benin)や[[ベニン市]]と区別するという意識もあると思われる。
 
[[1960年]]の[[フランス]]からの独立当初は'''ダホメ共和国'''だった。ダホメは国土南部の限られた地域を指す名称であり、北西部の[[アタコラ県]]や、北東部の[[ボルグ県]]を含めるには不適切だったので、ダホメが面していた[[ベニン湾]]に因み国名を決め、[[1975年]]に'''[[ベナン人民共和国]]'''が成立した。その後、[[1990年]]の[[社会主義]]政策放棄と共に現在の国名となる。ちなみにベナンの[[公用語]]であるフランス語では'''h'''は発音されないため、ダホメ(Dahomey)(Dahomey)は'''ダオメ'''に近い発声となる。
 
== 歴史 ==
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=== フランス領ダホメ ===
ダホメ敗北後、フランスはさらに北部へと進出していき、[[1904年]]、この一帯は[[フランス領西アフリカ]]の一部である[[フランス領ダホメ]]([[1904年]]-[[1958年]])となった。[[第二次世界大戦]]後、フランスは徐々にダホメの政治参加を拡大していった。1946年には本国議会への代表選出と自治議会設立を認め、1958年にはフランス共同体内の自治共和国となった<ref>田辺裕、島田周平、柴田匡平『世界地理大百科事典2 アフリカ』(朝倉書店、1998年 ISBN 4254166621)pp.484-485</ref>。
 
=== ダホメ共和国 ===
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== 国際関係 ==
{{節スタブ}}
旧宗主国フランスとは、社会主義政権時の1977年に起きたクーデター未遂で短期間関係が悪化したほかは、常に良好な関係を維持している<ref>田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.487、朝倉書店、1998年 ISBN 4254166621 4254166621)p.487</ref>。[[フランス大統領]][[エマニュエル・マクロン]]は2021年10月27日、1892年のベナン侵略時に持ち去った玉座や王宮の扉、彫像など26点の返還を表明した<ref name="朝日20211029"/>。

しかしベナンに最も大きな影響を及ぼすのは東隣の大国ナイジェリアであり、同国の通商政策はベナン経済に直接大きな影響を与えている<ref>ベラン世界地理体系9『西部・中部アフリカベラン世界地理体系9)p162-163 田辺裕・竹内信夫監訳  朝倉書店  2017年1月15日初版第1刷)pp.162-163</ref>。1983年にはナイジェリアが国境封鎖と禁輸を行ったためにベナン経済は大きな打撃を受け<ref>「ベラン世界地理体系9『西部・中部アフリカベラン世界地理体系9)p162 田辺裕・竹内信夫監訳  朝倉書店  2017年1月15日初版第1刷)p.162</ref>、2019年にも国境封鎖と禁輸によって同様に打撃を受けた<ref>[https://www.jetro.go.jp/biznews/2019/10/410853841746f81e.html  「ナイジェリアの国境封鎖、ベナン経済に影響」]JETROビジネス短信 2019(2019年10月10日 2019)2019年12月18日閲覧</ref>。ニジェールとは貿易ルートを通じて経済的に結びつきが深いが、かつてニジェール川の[[中州]]である{{仮リンク|レテ島|en|Lete Island}}をめぐって対立しており、2001年には[[国際司法裁判所]](ICJ)への提訴が行われ、2005年にはレテ島のニジェール帰属と国境線未画定地域におけるベナン側寄り裁定を組み合わせた判決が行われた<ref>酒井啓亘[「http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2010/2013-09_002.pdf?noprint 国際裁判による領域紛争の解決 最近の国際司法裁判所の判例の動向」]p.13『[[日本国際問題研究所#定期刊行物|国際問題]]』No264(2013年9月)2019年12月18日閲覧</ref>。
 
=== 日本との関係 ===
{{Main|日本とベナンの関係}}
*在留日本人数 - 9130(2018(2020年10月時点)<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/benin/data.html#section6 name="日本国外務省 ベナン基礎データ]<"/ref>
*在日ベナン人数 - 141110(2019(2020612月時点)<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/benin/data.html#section6 name="日本国外務省 ベナン基礎データ]<"/ref>
 
=== 駐日ベナン共和国大使館 ===
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{{Main|ベナンの国民|[[:en:Demographics of Benin]]}}
=== 民族 ===
ベナンにはおよそ42の民族が居住し、特に中南部の[[フォン人]](39%、以下すべて2002年データ)、南部の{{仮リンク|アジャ人|en|Aja people}}(15%)、南部の[[ヨルバ|ヨルバ人]](12%)、北部の{{仮リンク|バリバ人|en|Bariba people}}(9%)などが大多数を占め、他に[[フラニ族|プール人]]、{{仮リンク|ソンバ人|en|Somba people}}がいる<ref>「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p303  name="二宮書店 平成30年1月10日発行<303"/ref>。
 
=== 言語 ===
{{Main|{{仮リンク|ベナンの言語|en|Languages of Benin}}}}
言語は、[[フランス語]]が[[公用語]]であり、その他に[[フォン語]]、[[ヨルバ語]]などそれぞれの民族の言葉が話されている<ref>「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p303  name="二宮書店 平成30年1月10日発行<303"/ref>。
 
=== 宗教 ===
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土着信仰には、[[アタコラ県]]の[[アニミズム]]信仰、[[ヨルバ人]]の{{仮リンク|オリシャ|en|Orisha}}信仰や[[シャンゴ]]信仰、[[フォン人]]のヴォドゥン信仰、その他の宗教が存在している。
 
ベニン湾に面する[[ウィダー]]の街はベナンのヴォドゥン信仰の中心となっている。[[アメリカ大陸]]で信仰されている黒人宗教として知られている[[ヴードゥー教]]は[[ダホメ王国]]のフォン人の信仰が発祥であるとされ<ref>ジョアン・マノエル・リマ・ミラ「ラテンアメリカにおけるアフリカ系文化」子安昭子/高木綾子(訳)『ラテンアメリカ人と社会』中川文雄/三田千代子 (編)[[新評論]] 1995/10</ref>、それが[[奴隷貿易]]の広がりや[[ハイチ革命]]後の[[ハイチ#民族|ハイチ人]]([[マルーン]])の移動とともに[[西インド諸島]]の[[ハイチ]]、[[キューバ]]、[[ブラジル]]、[[北アメリカ]]へと広がったと言われている。社会主義政権時代にはヴォドゥン信仰は封建遺制であるとして厳しい統制下に置かれていたが、民主化後ベナン政府は文化復興の一環としてヴォドゥン信仰への規制を撤廃し、[[1992年]]には当時の[[ニセフォール・ソグロ]]大統領とベナン政府によってウィダー92というヴードゥー芸術・文化祭が開催された<ref>「ベナンの政治と伝統宗教  民主化以降の動きを中心として」p714-715 田中正隆(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月</ref>。1997年には政府によって毎年[[1月10日]]がヴォドゥン祭りの日に制定され、以降この日は国を挙げてのヴォドゥン休日となっている<ref>「ベナンの政治と伝統宗教  民主化以降の動きを中心として」p715-716 田中正隆(「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」所収) 池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月</ref>。
 
=== 教育 ===
[[ファイル:Benin classroom.jpg|thumb|ベナンの小学校]]
{{Main|{{仮リンク|ベナンの教育|en|Education in Benin}}}}
教育制度は小学校6年、中学校4年、高校3年、大学3年であり、法制上[[義務教育]]となっているのは[[初等教育]]にあたる小学校6年間のみである<ref name="学校情報">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/world_school/07africa/infoC74000.html  「諸外国・地域の学校情報  ベナン共和国」]日本国外務省 平成29年11月 2019)2019年12月17日閲覧</ref>。近年公立学校の授業料が無料化されたことから、就学率は上昇に転じているものの、未だ子供は重要な労働力であると共に、学校自体が無い地域も多い為、高度な義務教育は達成されていない。教育言語は[[フランス語]]で行われる<ref>https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/world_school/07africa/infoC74000.html 「諸外国・地域の name="学校情報 ベナン共和国」日本国外務省 平成29年11月 2019年12月17日閲覧<"/ref>。2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の[[識字率]]は34.7%(男性47.9%、女性23.3%)である<ref>https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/bn.html 2009年5月31日閲覧</ref>。
 
主な[[高等教育]]機関としては、[[国立アボメ・カラビ大学]]や[[国立パラク大学]]が挙げられる。
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[[ファイル:Abomey-Königspalast2.jpg|thumb|240px|世界遺産[[アボメイの王宮群]]]]
{{Main|ベナンの世界遺産}}
ベナン国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が1件([[アボメイの王宮群]])、ニジェールおよびブルキナファソとの共同登録である[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が1件([[W・アルリ・パンジャリ自然公園群]])存在する。1985年にアボメイ王宮群が登録されて以降、ベナンの世界遺産は長らく1件のみであったが、ニジェールのみの登録となっていた[[W国立公園]]が、隣接するベナン・ブルキナファソ両国を含む形で2017年に拡大された<ref>[[文化庁]]記念物課世界文化遺産室[https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/isanbukai/sekaiisanbukai_nittei/1_04/pdf/shiryo_1.pdf 『第41回回ユネスコ世界遺産委員会について(概要)』]p.3(平成29年7月)2019年12月17日閲覧</ref>。
 
=== 祝祭日 ===