「覚山尼」の版間の差分

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時宗は34歳で死去し、時宗の死後息子貞時が執権に就任、兄泰盛が幕政を主導。晩年は仏事につとめ、父義景、兄泰盛の後を受けて[[遠江国]]笠原荘を領している。弘安8年([[1285年]])に、[[内管領]][[平頼綱]]の讒言を信じた執権貞時が、泰盛を始めとする[[安達氏]]一族を誅殺する([[霜月騒動]])。この事件の際、安達一族の子供達を庇護したと見られ、その後の安達氏の勢力回復には覚山尼の存在が大きかったと思われる。同年には貞時の承認を得て鎌倉松ヶ岡に[[東慶寺]]を建立。さらに夫の暴力などに苦しむ女性を救済する政策を行なったと言われ、直接史料は無いが、これが元で東慶寺は[[縁切寺]](駆込寺、駆入寺とも)となったと言われている。55歳で死去。
 
== 登場関連作品 ==
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=== 映画 ===
=== ;テレビドラマ ===
*[[蒙古襲来 敵国降伏]](1937年、松竹) - 演:[[北見禮子]](役名は'''時宗奥方''')
=== テレビドラマ ===
;NHK大河ドラマ
*[[北条時宗 (NHK大河ドラマ)|北条時宗]](2001年) - 演:[[吉谷彩子]]→[[児玉真菜]]→[[西田ひかる]]→[[十朱幸代]](役名は'''祝子'''(のりこ)→'''覚山尼''')