「マルクス・クロディウス・プピエヌス・マクシムス」の版間の差分

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[[ゴルディアヌス1世]]らの死後に、[[元老院 (ローマ)|元老院]]によって[[デキムス・カエリウス・カルウィヌス・バルビヌス]]と共同で擁立された。
 
バルビヌスはローマに留まり、マクシムプピエヌスは[[マクシミヌス・トラクス]]を追撃に出た。対立していたマクシミヌスが6月に兵士によって殺害され、マクシミヌス軍兵士もマクシムプピエヌスに投降したため、マクシムプピエヌスはローマに帰った。2人は[[ゲルマニア]]と[[パルティア]]への遠征を計画したが、口論が絶えず、バルビヌスと激しく敵対したため、[[プラエトリアニ]]によってバルビヌス共々殺害されて、遺体は[[ティベリス川]]へ投げ込まれた。
 
その後2人は[[ゲルマニア]]と[[パルティア]]への遠征を計画したが、口論が絶えず、バルビヌスと激しく敵対したため、[[プラエトリアニ]]によってバルビヌス共々殺害されて、遺体は[[ティベリス川]]へ投げ込まれた。
 
プピエヌスの父母の名前は、マルクス・プピエヌス・マクシムス(140年頃 - ?)とクロディア・プルクラとされる。
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