「ビートルズ」の版間の差分

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1965年8月27日にビートルズはロサンゼルスの[[エルヴィス・プレスリー]]宅に招かれた{{Sfn|Harry|2000a|p=283-4}}。プレスリーのマネージャーである[[トム・パーカー (マネージャー)|トム・パーカー]]大佐がエプスタインと「極秘の打ち合わせを行なう」という名目だったが、プレスリー宅周辺には人々が集まった。
 
面会に際してメンバーはバカだと思われないように装いながらも、心を躍らせて部屋に入った。部屋でプレスリーはテレビを見ながらベースを練習しながらくつろいでいた。「本物のエルヴィスだ」と感激したメンバーは呆然としてしまい、プレスリーが「ずっとそうやって僕を見てるだけなら僕はもう寝るよせっかく演奏ができると思って待ってたのに」と声をかけたことから、即興演奏が始まった。プレスリーはベースを演奏し、レノンとハリスンはギター、マッカートニーはピアノを演奏した。スターはドラムキットが無かったので演奏せずビリヤードやサッカーを楽しんでいたという。
 
プレスリーはビートルズの曲も歌い「君たちのレコードは全部持ってるよ」と言った。対してレノンは「僕はあなたのレコードは1枚も持ってないけどね」と発言したのでその場が凍りついた。これはレノン流の過激なジョークだったのだが、プレスリーはその発言に気分を害してしまった。レノンはプレスリーの[[ベトナム戦争]]に賛同する姿勢や、マンネリ気味である映画を痛烈に批判した。これらのことをきっかけにプレスリーはレノンを嫌うようになった。プレスリーはマッカートニーやハリスンが作曲した曲はコンサートで頻繁に歌っているが、レノンの曲は歌っていない。
 
レノンは発言を反省したのか後日、メンフィス・マフィア(プレスリーの取り巻き)に「エルヴィスがいるからこそ今の自分がある」と伝えるよう頼んだという。しかし後にレノンがアメリカに住み、ベトナム反戦運動を積極的に行っている頃、プレスリーは[[リチャード・ニクソン|ニクソン大統領]]に「ジョンを追放してほしい」との手紙を出したとも言われている。