「アレクサンダー・クロフト・ショー」の版間の差分

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1846年、英領カナダの[[トロント]]で生まれた。ショー家は、[[スコットランド]]に長く続いた名[[貴族]]({{仮リンク|クラン・ショー|en|Clan Shaw}})で、後にカナダに移住<ref name="r-shiseki">[https://www.keio-up.co.jp/mita/r-shiseki/s0908-9_1.html 慶應義塾機関誌『三田評論』慶應義塾史跡めぐり 避暑地軽井沢とA. C. ショー]</ref>。祖先はトロントの開発の先駆者として活躍し、父は当時トロントの[[連隊長]]であった。同市内には今でも「ショー通り」の名前が残されている。ショーは、トロントの[[トロント大学|トリニティ・コレッジ]]で神学を学び、1867年に学士の学位を取得している。1870年に聖公会の司祭となる。
 
1873年9月25日に[[ウィリアム・ライト (宣教師)|W・B・ライト]]と共に[[イギリス海外福音伝道会|英国聖公会福音宣布協会]](SPG)の宣教師として派遣され[[横浜]]に着き、[[築地]]にあった居留地、今の[[聖路加国際病院|聖路加病院]]のあたりにあった田中屋という外人宿に旅装を解いた<ref name="r-shiseki"/>。しかし、日本人への宣教伝道をしたくとも、日本人との接触を十分に持つことができなかった。イギリスの公使館から、日本人を相手に宣教するならば日本人の町の中に溶け込まなくてはいけないという助言を受け、三田の[[慶應義塾]]と通りをはさんですぐ南西隣にあった大松寺に5か月間滞在する<ref name="r-shiseki"/>。1874年には[[福沢諭吉]]の子供たちが英語を習いに来ていたことで福沢の知遇を得て、、福沢家の家庭教師として3年間雇われる。そのため、福沢が自宅の隣にショーのために洋館を建て、また慶應義塾の英語教師、倫理学教授にも招聘される。英語だけではなく聖書も教えるようなり、学生たちが信仰を持ち、1875年の[[クリスマス]]に[[尾崎行雄]]を含めた8人の日本人がショーから洗礼を受けている。そのうちの3人は慶應義塾に学ぶ生徒たちであった<ref>守部2003年、141頁< name="r-shiseki"/ref><ref>白井1999年、82頁</ref>。
 
ショーは[[駐日英国大使館|英国公使館]]付きの牧師という公職を続けながら、日本の指導者たちと幅広くかかわりを持った<ref>高橋2003年、55頁</ref>。1875年からは霊南坂の陽泉寺で在日英国人のための礼拝や、日本人への本格的な伝道を開始した。ほどなくして[[島田弟丸]]などにも洗礼を授ける<ref name="history">[http://www.st-andrew-tokyo.com/web/guide/profile.html 聖アンデレ教会 教会のプロフィール]</ref>。慶應義塾では英語だけではなく聖書も教えるようなり、学生たちが信仰を持ち、1875年の[[クリスマス]]に[[尾崎行雄]]を含めた8人の日本人がショーから洗礼を受けている。そのうちの3人は慶應義塾に学ぶ生徒たちであった<ref>守部2003年、141頁</ref><ref>白井1999年、82頁</ref>。
また、ショーは[[駐日英国大使館|英国公使館]]付きの牧師に任命され、日本の指導者たちと幅広くかかわりを持った<ref>高橋2003年、55頁</ref>。
 
1876年に聖パウロ教会(聖アンデレ教会の前身)を三田松本町に設立<ref name="history">[http://www.st-andrew-tokyo.com/web/guide/profile.html 聖アンデレ教会 教会のプロフィール]</ref>。1877年には、ショウーは福沢諭吉の援助もあって、現在聖アンデレ教会の建つ芝栄町(芝公園3丁目)に敷地を購入し、自宅を建設<ref name="history"/>。
1879年6月4日に、聖アンデレ教会が完成する<ref>聖アンデレ教会の初代礼拝堂は、1888年(明治21年)、[[ジョサイア・コンドル]]により増築。1894年(明治27年)の[[明治東京地震]]により倒壊するが、翌年にはすぐに木造の聖堂が建てられる。ショーが亡くなった1902年(明治35年)、[[今井寿道]]が牧師に就任し、同年念願の日本人会衆専用の聖堂が完成し、戦災により1944年(昭和19年)に焼失するまで大聖堂として長く信徒に親しまれた。</ref><ref name="history"/><ref>{{PDFlink|[http://www.jusoken.or.jp/publish/pdf/sumairon084.pdf 『すまいろん』2007秋号(通巻第84号)2007年10月20日 財団法人住宅総合研究財団]}}</ref>。また教会の敷地内に聖教社神学校を設立して、日本人の教職者の育成に力を注いだ。[[今井寿道]](後の校長)はその門下生である。
 
1885年頃、[[リウマチ]]を患っていたショーはたまたま訪れた[[長野県]][[軽井沢]]に魅了され、生涯の避暑地にする。また、軽井沢にも教会を設立する([[ショー記念礼拝堂|軽井沢ショー記念礼拝堂]])。これ以降軽井沢が外国人の間で有名になる。