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|市旗の説明 = 高島[[市町村旗|市旗]]<br />[[2005年]][[1月1日]]制定
|市章 = [[ファイル:Emblem of Takashima, Shiga.svg|75px]]
|市章の説明 = 高島[[市町村章|市章]]<br />[[2005年]][[1月1日]]制定
|自治体名 = 高島市
|都道府県 = 滋賀県
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[[ファイル:Adogawa Kosei-line.jpg|thumb|安曇川]]
[[ファイル:Tōjushoin.jpg|thumb|藤樹書院]]
'''高島市'''(たかしまし)は、[[滋賀県]]西部にある[[市]]。[[琵琶湖]]北西に位置する岸から[[福井県]]。市[[若狭地方]]と[[県境]]まで市域が広がり、面積は滋賀県内最大である。
 
== 概要 ==
[[安曇川]]と[[石田川 (滋賀県)|石田川]]流域の[[扇状地]]や[[三角州]]にまとまった平地があるほかは、[[比良山地]]や[[野坂山地]]など森林が広がり、る。また琵琶湖の[[水質汚染]]も少なく、自然豊か。[[日本さくら名所100選]]にも選定されている[[マキノ町]][[海津大崎]]には、[[花見]]シーズンになると10万人を超える観光客が訪れる。また[[マキノ町]][[カタクリ]]の花の群生地[[今津町 (滋賀県)|今津町]]の[[ザゼンソウ|ザゼン草]]、[[新旭町]][[針江区]]の川端(かばた)なども有名。安曇川沿いの[[]]骨生産、[[琵琶湖周航の歌]]の発祥地としても知られる。[[日本海側気候]]で、特に旧今津町旧マキノ町[[朽木村]]は[[豪雪地帯対策特別措置法]]における[[豪雪地帯]]となっており、それを利用した[[スキー場]]も賑わいを見せる。[[森林セラピー基地]]に認定されている。
 
[[2003年]]2月には当時日本の対人[[地雷]]処理が行われていた新旭町にて、その処理の終了をきっかけにNPO法人[[難民を助ける会]]との共催で「第1回地雷をなくそう! 全国子どもサミット」、引き続き[[2004年]][[8月]]に「第1回地雷をなくそう! 世界こどもサミット」が開催された。また、高島市立今津中学校が行っているアジア子どもプロジェクトも有名で、[[2006年]]には[[ネパール]]からの奨学生を招いての交流を行った。
 
[[陸上自衛隊]][[今津駐屯地]]及び、[[航空自衛隊]][[饗庭野分屯基地]]があり、饗庭野演習場を有している。
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== 市名の歴史と由来 ==
日本に現存する最古の正史である[[日本書紀]]の[[継体天皇]]即位前紀に「[[近江国]][[高島郡 (滋賀県)|高島郡]]三尾之別業」とあるのが初見である。『日本書紀』編纂時の郡名を用いて記されたもので、[[奈良時代]]には「高島」の名が使われていた
日本書紀編纂時の郡名を用いて記されたもので、奈良時代には高島の名前が使われていた。
 
[[万葉集]]』『[[和名抄]]などに「太加之萬」と記されていることから、早い時期から「タカシマ」の呼称が定着したと考えられる。
 
日本書紀『[[古事記]]』よりも成立が古い[[逸文上宮記]][[上宮記逸文]]には、継体天皇の父[[彦主人王]]が「弥乎国高島宮」に居たとの記事があり、これが高島の市名の由来になったとする説がある<ref>[http://www.city.takashima.lg.jp/www/contents/1134432294572/index.html 市政の情報] - 高島市</ref>。
 
== 地理 ==
[[ファイル:Makino district Takashima city Aerial photograph.1975.jpg|thumb|旧[[マキノ町]]海津地区周辺の空中写真。1975年撮影の4枚を合成作成。{{国土航空写真}}。]]
[[ファイル:Imazu district Takashima city Aerial photograph.1975.jpg|thumb|旧[[今津町 (滋賀県)|今津町]]中心部周辺の空中写真。1975年撮影の6枚を合成作成。{{国土航空写真}}。]]
[[ファイル:Katsuno district Takashima city Aerial photograph.1975.jpg|thumb|旧[[高島町 (滋賀県)|高島町]]勝野地区周辺の空中写真。1975年撮影の4枚を合成作成。{{国土航空写真}}。]]
* 山:[[蛇谷ヶ峰]]、[[箱館山]]
** [[高島トレイル]]の連山
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== 歴史 ==
古代の[[弥生時代]]の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である[[阿曇氏|安曇族]]が定着した。高島の[[一級河川]]の[[安曇川]]の名は安曇族に由来する。県名の[[滋賀県]]も安曇族に由来すると言われている。([[滋賀郡]]の郡名の由来を参照)
 
都と[[北陸地方]]を結ぶ人々の往来、物資の運搬や交易の最短路として高島は重要な拠点となる。([[古事記]]15代天皇[[応神天皇]]段に、応神が近江から若狭を経て敦賀の[[氣比神宮|気比]]の神に詣でるために[[行幸]]した。という記事がある。応神が実在したのかは不明だが、近江から若狭へ通じるルートは高島を通過する街道以外に無く、この記事からも古代の主要路として使用されていた事が史実であると分かる。)
 
[[古墳時代]]の450年?に『[[記紀]]によれば、第15代天皇[[応神天皇]]の5世子孫の第26代[[天皇]]である[[継体天皇]][[近江国]]高嶋郷三尾野(滋賀県高島市近辺)で誕生した。その地の付近には継体天皇の父親の[[彦主人王]]の[[陵墓]]とされる[[田中古墳群 (高島市)|田中王塚古墳]]や、継体天皇を支えた三尾氏の首長か?継体天皇の皇子の陵墓とされる[[稲荷山古墳 (高島市)|鴨稲荷山古墳]]がある。継体天皇は、古代の神話のみで実在しないとされる[[天皇]]の中で、おおよその年代が推定出来る実在が確実な最初の天皇である。(例えば、継体は第15代天皇の応神天皇の5世子孫とされるが、その応神天皇自体の実在を疑う説がある。継体の前代の第25代天皇の[[武烈天皇]]も実在を疑う説が強い。継体天皇擁立の前に[[大伴金村]]、[[物部麁鹿火]]らの豪族が擁立しようとしていたのは14代[[仲哀天皇]]の5世孫の[[倭彦王]]であるが、仲哀天皇も倭彦王も実在が疑われている人物である。)
 
[[飛鳥時代]]の672年、[[壬申の乱]]では高島の三尾が戦場となり、[[三尾城 (近江国)|三尾城]]が陥落する。
 
7世紀後半くらいに日置前に[[官衙的]]機能をつ建物が建てられる(日置前遺跡)
 
[[奈良時代]]の764年、[[藤原仲麻呂の乱]]で敗れた[[藤原仲麻呂]](藤原恵美押勝)は、高島の三尾付近の湖上にて[[坂上石楯]]に斬り殺される。
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8 - 9世紀にかけて、[[渤海使]]が国際航路として高島を使用した。
 
[[平安時代]]9世紀頃の高島郡は、『[[和名類聚抄]]』によると、木津」「鞆結」「善積」「河上」「角野」「三尾など10郷の存在の記載がある。このうち木津荘(旧[[饗庭村]])は、[[保延]]4年([[1138年]])山門([[比叡山]][[延暦寺]])領に加えられ、富永荘(伊香郡)、栗見荘(神崎郡)とともに、「三箇庄聖供領(千僧供領)」と言われ[[延暦寺]]の重要な経済基盤を担った。
 
高島は、[[延喜式]]の近江国[[延喜式神名帳|式内社]]155座の約4分の1に当たる34座([[延喜式神名帳|式外社]]の[[白鬚神社]]を含めると35座)を持っておがあ古代近江において重要な地位を持っていた。
 
[[鎌倉時代]]初期、[[近江源氏]]である[[佐々木信綱]]の子の佐々木高信が、父信綱より高島郡に所領を分与されて[[高島氏]]を称し高島高信と名乗った。高島氏は後に数流に分かれたが、それぞれ高島郡の各所に居城を構え[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]まで栄えた。高島一族には[[惣領]]家である高島氏を筆頭に、高島[[朽木氏]]高島永田氏高島平井氏高島横山氏高島[[田中氏]]らがあった。
 
[[室町時代]]の[[応永]]29年([[1422年]])の『木津荘検注帳』、年次不詳の『木津荘引田帳』などから安曇川・鴨川デルタ地帯(旧新旭町・旧[[安曇川町]]・旧[[高島町 (滋賀県)|高島町]])は[[条里制]]が敷かれていたことが知られている。
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室町時代の[[享禄]]元年([[1528年]])[[室町幕府]]12代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義晴]]は[[細川晴元]]・[[三好元長]]らの反乱の難を避け、[[朽木稙綱 (戦国武将)|朽木稙綱]]を頼って享禄4年([[1531年]])まで朽木[[興聖寺 (高島市)|興聖寺]]に滞在していた。
 
[[天文 (元号)|天文]]22年(1553年)[[三好長慶]]との戦い([[東山霊山城|東山霊山城の戦い]])に破れた室町幕府13代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義輝]]は伯父である前[[白]][[近衛稙家]]らを伴い、[[朽木元綱]]([[朽木稙綱 (戦国武将)|朽木稙綱]]の孫)を頼って朽木谷に逃れ、以降5年間を朽木岩神館で過ごした。
 
高島高信以降の高島氏歴代は、高島平野の中央部(安曇川北岸の饗庭野丘陵末端・新旭)にある清水山の清水寺跡に[[清水山城 (近江国)|清水山城]]を築いて居城とした。築城の年代は不詳であるが、[[北野天満宮]]史料『目安等諸記録書抜([[文安]]4年([[1448年]])[[12月4日]]記録)』に、清水寺に関する記録があることから文安4年以降の築城と考えられる。鎌倉時代室町時代と将軍家に直属する奉公衆として栄えた。しかし享禄4年(1531年)より[[浅井郡]][[戦国大名]][[浅井亮政]]の侵攻が始まり、[[永禄]]11年([[1568年]])には浅井氏の影響下に置かれることになった(『朽木文書』史料)。[[元亀]]年間、[[明智光秀]]ら[[織田信長]]軍の進攻により高島氏宗家は高島郡を追われた。朽木氏は市西部の朽木谷を鎌倉時代・室町時代を通して領しており、[[織田家および政権]]に続いて[[豊臣家・徳川家政権]]、[[江戸幕府]]に従い、[[旗本]]として[[幕末]]まで[[転封]]することなく栄えた。その後、[[磯野員昌]]により新庄城に政治の中心が移ったが、間もなく入城した[[津田信澄]]により[[大溝陣屋|大溝城]]に政治の中心が移された。信澄の後は[[京極高次]]などが大溝城主となった。
 
[[江戸時代]]の[[元和 (日本)|元和]]5年([[1619年]])に[[分部光信]]が[[伊勢国|伊勢]][[伊勢上野藩|上野]]より入封して[[大溝藩]]が成立し、以後、[[明治維新]]まで[[分部氏]]が治めた。[[江戸時代]]の高島郡は、[[天領]]大溝藩および領、[[小浜藩]]の飛び地・[[加賀藩]]の飛び地・[[膳所藩]]の飛び地・[[郡山藩]]の[[飛び地・[[]]、旗本朽木氏の[[知行地]]朽木領等などが混在していた。江戸時代は、幕府の役所が設置された海津村(旧マキノ町)と[[城下町]]である大溝村(旧高島町)を中心に発展した。
 
[[明治時代]]になり、[[大日本帝国陸軍]]の駐屯地・饗庭野演習場が置かれたことをきっかけに今津村(旧今津町)に'''高島郡役所'''が設置され、以後国・県の[[出先機関]]は今津に設置されるようになった。
 
=== 沿革 ===
''※市制執行以前の市域の歴史については、[[高島郡 (滋賀県)|高島郡]]も参照''
* [[2002年]][[10月1日]] - 高島地域合併協議会を設置(高島郡[[マキノ町]]、[[今津町 (滋賀県)|今津町]]、[[新旭町]]、[[安曇川町]]、[[高島町 (滋賀県)|高島町]]の5町が参加)
* [[2003年]]
** [[3月11日]] - 合併協議会が新市名を'''西近江市'''(にしおうみし)に決定。
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* [[2004年]][[2月24日]] - 新市名に対する多くの住民からの反対意見を受けて、合併協議会が新市名を再検討し、新市名を'''高島市'''に決定(一旦決めた合併後の新名称を再検討した例は、平成の大合併では西近江市が初)。
* [[2005年]][[1月1日]] - 5町1村が合併して市制施行し、'''高島市'''が誕生。この結果、滋賀県から[[村]]が消滅。
* [[2007年]][[9月30日]] - [[継体天皇]]即位1500年記念事業『高島歴史フォーラム「継体天皇と古代高島」』が開催される
* [[2008年]][[3月7日]] - [[中江藤樹]]生誕400年祭開催。
 
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!歴代!!氏名!!就任年月日!!退任年月日!!備考
|-
|市長職務執行者||玉垣勝||[[2005年]][[1月1日]]||2005年[[2月12日]]||旧朽木村長
|-
|初代||[[海東英和]]||2005年[[2月13日]]||[[2009年]]2月12日||旧新旭町長
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* 高島支所(旧高島町役場)
 
現在の市役所は暫定的なもので、将来的には[[滋賀県道333号安曇川今津線|県道安曇川今津線]]に面する今津町今津[[小|字]]南沼に新庁舎を建設するとしている<ref>[http://www.city.takashima.shiga.jp/gappei/kouho/9gou.pdf 合併協議会だより第9号] - 高島地域合併協議会2003年7月</ref>。高島市の[[条例]]第1号でも「今津町今津448番地20」が「本市の事務所の位置」として明記されている。しかし、2013年1月の市長選で新庁舎建設凍結を公約の一つに掲げる福井正明が当選し、現庁舎を増改築する方針に転じた。これに対して旧今津町では「合併協定書を守る市民の会」が結成されるなど、方針転換への反発が起こっている。<ref>2014年2月9日付『[[読売新聞]]』大阪本社版朝刊滋賀面</ref>
 
2017年8月14日、今津支所が庁舎の老朽化に伴い、旧今津町役場から新庁舎へと移転。
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=== 地場産業 ===
* 扇骨(扇子の骨)
* 高島[[]](虎斑石)
* [[綿織物]](とく
[[ちりめん]])
 
=== 農業 ===
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* 有限会社グリーン藤栄(安曇川町)
|style="vertical-align:top;"|
* たかしま[[有機農業|有機農法]]研究会(高島市内全域)
* マキノ町[[果樹]]生産組合
|}
 
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* [[川惣電機工業]]滋賀工場(マキノ)
|style="vertical-align:top;"|
* 醸造業([[地酒]]
** 福井弥平商店 - 「萩乃露」(高島)
** 川島酒造 - 「松の花」(新旭)
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* [[上新電機|ジョーシン]] 近江今津店
* [[関西ケーズデンキ|ケーズデンキ]] 今津店
* [[マツヤデンキ]]  安曇川店
* [[バロー  (チェーンストア)|バロー]] 安曇川店
* [[ジャパン  (チェーンストア)|ジャパン]] 新旭店/今津
*ジャパン 今津店
|style="vertical-align:top;"|
* [[アヤハディオ]] 安曇川店
* アヤハディオ 今津店
* [[コメリ]] 高島店/新旭店/今津店/マキノ
* [[ナフコ (ホームセンター)|ホームプラザナフコ]]  高島店(新旭)
* コメリ 新旭店
* [[業務スーパー ]] 安曇川店
* コメリ 今津店 
* コメリ マキノ店
* [[ナフコ (ホームセンター)|ホームプラザナフコ]] 高島店(新旭)
*業務スーパー 安曇川店
*[[PLANT]] 高島店(安曇川)
|}
387 ⟶ 383行目:
* {{Flagicon|JPN}} [[北海道]][[虻田郡]][[ニセコ町]]:ともに[[ひらがな・カタカナ地名|カタカナ地名]]の[[町#日本の地方制度としての町|町]]であったことから、[[1978年]](昭和53年)に旧マキノ町が姉妹都市提携。
* {{Flagicon|JPN}} [[大阪府]][[吹田市]]:[[1980年]](昭和55年)に旧今津町が友好都市提携。
* {{Flagicon|JPN}} [[大阪府]][[守口市]]:[[1981年]](昭和56年)に旧安曇川町が友好都市提携。
* {{Flagicon|JPN}} [[愛媛県]][[大洲市]]:[[1999年]](平成11年)に旧安曇川町が友好都市提携。
* {{Flagicon|USA}} [[ペトスキー市]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]] [[ミシガン州]]):[[ペトスキー市]]:[[1976年|1976年]](昭和51年)]]に旧マキノ町が姉妹都市提携。    
 
;その他
かつては信長ゆかりの自治体の集まる「[[織田信長サミット]]」にも参加し、1996年には第13回サミットを高島町(当時)で開催したが、2007年のサミットを最後に離脱している<ref name="kanra-nobunaga">{{Cite web | url=http://www.town.kanra.gunma.jp/kikaku/chousei/city/016.html | title= 信長サミット |publisher=[[甘楽町]] |date=2011-11-12 | accessdate=2016-05-17 }}</ref>。
 
== 地域 ==
487 ⟶ 483行目:
 
==== その他 ====
* 滋賀県立新旭[[養護学校]]
 
=== 郵便局 ===
503 ⟶ 499行目:
|style="vertical-align:top;"|
* 朽木郵便局
* 朽木古屋[[簡易郵便局]]
* [[今津郵便局 (滋賀県)|今津郵便局]]
* 今津桂郵便局
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== 交通 ==
=== 鉄道路線 ===
[[湖西線]]が市の東部を南北に縦断している。市内に下記のとおり6駅が存在するが、そのうち一部の特急が停車する[[近江今津駅]]が拠点であるといえる。市役所への最寄り駅は[[新旭駅]]である。
; [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)
* 湖西線
557 ⟶ 553行目:
=== 道路 ===
* 高速道路
*: 市内を高速道路は通っていない。[[国道303号]]を経由して[[木之本インターチェンジ]]が最寄りインターチェンジになるが、[[国道161号]][[琵琶湖西縦貫道路]]を南下して[[京都東インターチェンジ]]を利用する方法もある。
* 一般国道
** [[国道161号]][[琵琶湖西縦貫道路]](高島バイパス・湖北バイパス)
** [[国道303号]]
** [[国道367号]]
* 主な県道
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=== 船舶 ===
* [[今津港]]
*: [[竹生島]]行き、竹生島から[[長浜港]][[彦根港]][[飯浦港]]行きに接続
 
== 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 ==
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* 八ッ淵の滝([[日本の滝百選]])
* 畑の棚田([[日本の棚田百選]])
* [[メタセコイア]]並木 (日本街路樹百景)
* [[海津大崎]]([[日本さくら名所100選]])
* 生杉の[[ブナ]]原生林
* 今津浜
* [[今津のザゼンソウ群落]](滋賀県緑地環境保全地域:国内南限の[[ざぜん草]]ザゼンソウ群生地)
* [[高島トレイル]] - 高島市内の[[中央分水嶺]]を縦走するトレッキングルート
* [[マキノ高原]]
644 ⟶ 640行目:
|}
 
==== 仏教寺院 ====
{|
|style="vertical-align:top"|
686 ⟶ 682行目:
|}
 
==== キリスト教会 ====
{|
|
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=== 史跡 ===
==== 遺跡(古代) ====
* 鴨遺跡 - 平安時代前期の遺跡。[[木簡]]5点が出土した。
* 森浜遺跡 - 古代琴が出土した。
* 針江浜遺跡
* 堀川遺跡
* 熊野本遺跡 - 高地性集落の貴重な遺跡
* 日置前遺跡 - [[奈良時代]]の遺跡。高島郡の[[郡衙]]」と呼ばれる高島郡の役所跡と考えられている。
* 北仰西海道遺跡 - 約100基の土器棺墓
* 木津製鉄遺跡
* [[上御殿遺跡]] - 日本国内初の双環柄頭短剣(中国[[華北]][[内モンゴル]]に分布する[[オルドス]]式銅剣に似ている)の[[鋳型]]が出土した。
* 下五反田遺跡
* 八反田遺跡
* 天神畑遺跡
* 南市東遺跡
* 北牧野製鉄遺跡 - 古墳時代後期くらいから製鉄が行われていた可能性がある。[[続日本紀]]によれば、703年の[[文武天皇]]在位中には確実に製鉄が行われている。
 
==== 遺跡(中近世) ====
* [[高嶋七ヵ寺]] - 中世高島郡にあった[[天台宗]]の七大寺院
* 木津港跡 - 福井県の[[小浜藩]]の蔵屋敷の遺跡(新旭町饗庭木津区は小浜藩領)
* [[藤樹書院]]
* シシ垣遺跡 - [[イノシシ]]避けの[[石垣]]([[しし垣]])
 
==== 古墳 ====
* [[稲荷山古墳 (高島市)|鴨稲荷山古墳]] - 50メートル級の[[前方後円墳]][[朝鮮半島]]の影響を強く受けた多くの貴重な[[副葬品]]が出土した。被葬者は[[継体天皇]]の親族と推定されている。
* [[田中王塚古墳]] - 継体天皇の父の[[彦主人王]]御陵。[[陵墓参考地]]に治定されて[[宮内庁]]の管理下に置かれている。
* 熊野本古墳群 - 3世紀前半から築かれた[[前方後方墳]]を含む古墳群。前方後方墳1基、前方後円墳1基、[[方墳]]12基、[[円墳]]24基、計38基からなる。前方後円墳は国内最古級とされる。
* [[平ヶ崎王塚古墳]] - [[田中古墳群 (高島市)|田中王塚古墳]]と墳丘規模・墳形・築造方法等に共通性が認められる。直径80mの平地に築かれたものとしては県下最大級の円墳。
* [[打下古墳]] - 古墳時代中期の5世紀前半頃の古墳と推定される。
744 ⟶ 740行目:
* 吉武城 - 吉武壱岐守の居城。旧新旭町
* 新庄城 - 清水山城の中核的な出城。旧新旭町
* [[大溝陣屋]] - [[大溝藩]][[分部氏]]2万[[ (単位)|石]]の城址公園城門、石垣が残る。
 
=== 温泉 ===
* くつき温泉  てんくう
* [[マキノ白谷温泉]]
** マキノ高原温泉  さらさ
** 白谷温泉
* [[宝船温泉]]
757 ⟶ 753行目:
|-
|style="vertical-align:top; width:45%;"|
* 新旭森林スポーツ公園(清水山城[[ハイキング]]コース国の[[史跡]]
* マキノサニービーチ([[快水浴場百選]])
* 近江白浜
788 ⟶ 784行目:
|style="vertical-align:top; width:45%;"|
* [[鮒寿司]]
* 近江[[]]
* [[]]の[[なれずし]]
* 湖魚の[[佃煮]]
* [[栃餅]]
* [[丁稚羊羹]]
* 高島とんちゃん(味付けかしわ、[[味噌]]だれの[[鶏肉]]焼き料理)<ref>【継ぐメシ!つなぎたい郷土食】高島とんちゃん(滋賀県高島市)地域に根差した存在『[[日本農業新聞]]』2022年1月15日8-9面</ref>
* 高島とんちゃん(味付けかしわ)
* [[]][[]]漬け
* しょいめし
* たかしま生きもの田んぼ米(無農薬・無化学肥料)
802 ⟶ 798行目:
* 虎斑石硯
* 扇骨
* 和[[ろうそく]]
* 朽木[[]]
* [[万木かぶ]]
|}
816 ⟶ 812行目:
*[[高島四郎兵衛]] - 江戸時代の長崎の町年寄、高島郡高島庄出身
*[[中江藤樹]] - 江戸時代の[[陽明学]]者、安曇川町青柳出身
*[[浅見絅斎]] - 江戸時代の[[儒学者]]、新旭町太田出身
*[[川島宇一郎]] - 明治期の政治家([[衆議院]]議員)、安曇川町長尾出身
*[[安原仁兵衛]] - 大正期の政治家(衆議院議員)・実業家、安曇川町西万木出身
837 ⟶ 833行目:
*[[井上紀良]] - 漫画家
*[[中川源吾]] - 水産学者
*[[青木文教]] - 仏教僧侶
*[[山下英利]] - 政治家
*[[鈴木表朔]] - 漆芸家
844 ⟶ 840行目:
*[[岸誠二]] - アニメーション演出家
*[[陳明俊]] - サッカー選手
*[[水口由紀]] - [[競艇]]選手
*[[水澤心吾]] - 俳優
*[[渡忠秋]] - [[歌人]]
*[[海東英和]] - 元高島市長、[[内閣府]][[公益認定等委員会|公益認定等委員会委員]]
*[[永田和宏]] - 歌人、細胞生物学者、新旭町出身
*[[石黒浩]] - [[ロボット工学]]者、安曇川町出身。[[大阪大学]][[大学院]]基礎工学研究科[[教授]]<ref>{{Cite web|author=|website=滋賀県ホームページ|date=2016|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/kengai/interview/22036.html|title=大阪大学教授・ロボット工学者 石黒 浩さん|accessdate=2021-01-11|publisher=}}</ref>
*[[丸谷明夫]] - 教育者、[[吹奏楽]]指揮者、新旭町出身
*[[吉本ひかる]] - 女子プロゴルファー
*[[岡本美歌]] - 声優、舞台女優
893 ⟶ 889行目:
*[[長谷川左近]]
*[[柴田勝家]]
*[[松本善之助]] - [[古史古伝]]研究家
*[[武田元明]]
*[[津田信澄]]