「立教大学」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎年表: 追記
328行目:
**立教尋常中学校校舎(六角塔)竣工(築地居留地57番、58番)<ref name="history2"/>。
** 4月 - 立教学校を廃し、立教専修学校(3年制)と立教尋常中学校(5年制)を設置(第4次学政改革)。
** 6月13日 - 聖公会の愛恵病院が立教大学校校舎があった築地居留地37番に移転し、築地病院(英語名:St. Luke's Hospital)と改称して開設<ref name="tsukuba-g"/>
* 1897年(明治30年)
** 9月 - 東京英語専修学校を神田錦町に開校(1903年閉校)。立教学校ミッションを結成(翌年3月から機関誌『築地の園』創刊{{Refnest|group="注釈"|月刊として1931年(昭和6年)5月の300号まで続いた。その時々の立教のキャンパス全体の状況を知る唯一の雑誌として貴重である<ref>『立教学院百二十五年史 図録:Bricks and Ivy』</ref>。}})<ref>『立教学院百年史』634頁</ref>。
348行目:
==== 20世紀 ====
* 1901年(明治34年)
** 2月12日 - 米国聖公会宣教医[[ルドルフ・トイスラー]]が築地病院を前身とする聖路加病院(現:[[聖路加国際病院]])を開設する(築地居留地37番)<ref name="tsukuba-g"/>。
** 3月 - 立教専修学校閉校。
* 1903年(明治36年)4月 - [[ヘンリー・セントジョージ・タッカー|タッカー]]が総理に就任。[[アーサー・ロイド|ロイド]]が[[小泉八雲]]の後任として、[[東京大学|東京帝国大学]]英文学科で[[夏目漱石]]、[[上田敏]]とともに[[英文学]]を教える。