「吉原遊廓」の版間の差分

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[[中央公論]]明治35年2月号によれば、1902年1月6日夜、入廓者は、洋服と髯(官吏と会社員)205、職人340、学生120、兵士122、田舎者80、商人200、女26であった。
 
1911年(明治44年)4月9日の火災(吉原大火)で周辺を含めた広範囲が焼失。1923年(大正12年)9月1日の[[関東大震災]]では火災を避けようと花園池(弁天池)に490人もの遊女が飛び込んで溺死するなど大きな被害を出した<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20160101-WUX4CUAB5ZPQNAG2ZNROBDKDVM/2/ |title=かつての遊郭〜日本一のソープ街に異変が起きたって? 若い女性がちらほら散策 |publisher=産経新聞 |date=2016-01-01 |accessdate=2022-01-20}}</ref>。更に1945年(昭和20年)3月10日の[[東京大空襲]]によってほぼ全焼という憂き目を見た。
 
戦後、[[純潔]]主義を掲げる[[キリスト教]]女性団体である[[婦人矯風会]]の運動などにより、[[昭和]]31年([[1956年]])[[5月21日]]に[[売春防止法]]が可決成立し、翌昭和32年([[1957年]])[[4月1日]]に施行されると、吉原遊廓はその歴史に幕を下ろし、一部は「[[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]」([[ソープランド]])に転身する。